の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

ソンクラーンにイサーン中央部四県を周る (1)

2014年05月21日 | マハ・サラカーム
■ソンクラーンです。今年のソンクラーンはイサーン中央部を周ることにしました。この時期のタイ国内ではイサーンが一番暑くて、タイ人ですら遊びに行くのを嫌がります。日中の気温は摂氏40度はかるく超え、明け方の一番気温が下がった時間帯でも30度を超えています。
今年のソンクラーンの初日の4月13日は日曜日と重なり、企業などは12日から一斉に長期休暇に入ります。
最近はエコカー購入優遇措置の効果で、車両の保有台数が急激に増加し、通常の連休でも地方へ通じる道路は渋滞が激しくなっています。ソンクラーン休暇では渋滞の程度が予測できません。
イサーンへ行くのは国道1号線から国道2号線でコラートを抜けるのが一般的で一番通行量が多い道路です。サラブリーを抜けるとコラートの手前まで、多少の起伏があるものの、およそ80kmが上り坂になり大渋滞になります。
次に、バンコクから東へ向かい国道304号線でカビンブリーからコラートへ抜ける道路です。このルートはカオヤイ山系の峠を二つ越えなくてはなりません。コラート側の山道は4車線化されていますが、カビンブリー側は対向2車線です。この坂道は車が動きません。
そこで、国道304号線からアランヤプラテート、タープラヤーからダンレックの山道を登ってブリラムへ出るコースを走ることにします。かってはこの道路で交通事故以外の渋滞には遭遇したことがありません。


【第一日目・朱線】


しかし、今年は大渋滞、トラックが後方にいるためサイドミラーでは非常に見にくいですが、延々と車列が続きます。

渋滞の原因は、通行車両も多いですが、最大の原因は運転手が交通規則を守らない、運転マナーを知らないにつきます。
写真はイサーンへ入る登坂道です。対向2車線道路で、一方通行ではありません。それなのに右車線へはみ出します。当然、対向車が来ますが、渋滞で車が動かず、車間距離も詰まっています。対向車を避けるため無理やり渋滞車列に戻ろうとしますが、数台の車が割り込める余裕などありません。
渋滞道路でそんなバカが次から次へと現れるため、道路は完全に停まってしまいます。
坂道の途中から交通整理の警官が立っていて、対向車線へ出るバカがなくなり、それまでの渋滞が嘘のように解消されました。坂の下から警官が立っていれば、本来は交通規則を守っていれば・・・というのですが、規則を守れない輩が多すぎるので、警官が立っていれば渋滞はなかった道路です。

タイの道路は渋滞がひどいと言われていますが、道路設計や信号システムが増加した自動車に対応しきれなくなってはいるものの、それ以上に交通規則違反、運転マナーを知らない運転手が自ら渋滞を慢性的に作り出しています。

■結局、556.4km走行してマハー・サーラカームに到着、午後6時20分「タクシラ・ホテル」にチェックインしました。一泊1,100バーツで2泊します。

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ホテルの部屋にあった「コーン・ケン」「マハー・サーラカーム」「ローイ・エット」「カーラシン」の観光地図です。まさに今回の目的地を網羅しています。

今回の旅の目的は、コーン・ケン国立博物館で見た「結界石」の出土地、「カンタラウィチャイ」「ムアン・ファ・デート・ソーン・ヤーン」や数カ所にあるドヴァーラヴァティーの磨崖仏に参拝することでしたが、日数もあり、まずこの観光地図に従い「マハー・サーラカーム」周辺から行動します。

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■まず訪れたのが、国道23号線を東にしばらく走るとすぐに出会うクメール遺跡「クウ・バン・クワオ」です。
ジャヤヴァルマン7世(在位:1181年から1220年頃)が建立した102カ所の施療院の一つです。
この場所からはラーン・チャン時代の銀板の仏陀像が納められた、いくつかの壺が発掘されています。


祠塔の入り口の石柱に、クメール文字でサンスクリット語の「来たりりて、アスラムの神に敬意を払え」(アスラムとはヒンドゥーの聖域で、この祠塔を指しています。)と2行に彫られています。このクメール文字を根拠に11世紀から12世紀の建立と推定されています。

経蔵と説明されています。現在は寝仏が安置されています。



祠塔内部です。

クメール遺跡に隣接する現代の寺院で「クウ・マハタート」と表示されています。



クウ・マハタートの内部です。

イーサンの蛋白源、赤アリの卵を捕りに出かける親子です。赤アリは木の上で、葉を丸めて巣を作ります。担いでいる竹竿で巣を籠に取り込みます。
この赤アリに噛まれると、大きく腫れ上がり、一週間は痛みや腫れが無くなりません。

遺跡の前で打ち上げロケットを売っていました。

明日、遺跡のお祭りがあるようです。

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国道23号線を東へ走り「ローイ・エット」に入りました。国道2387号線を南下していると、たばこの葉がどの家先にも干されています。
観光地図にある「マハ・チェディ・サイ」へ行く予定でしたが、結局たどり着けずに国道1045号線に出てしまいました。

雨がなく、赤土の荒れた田地が続きます。

■国道1045線沿いにいきなり遺跡が表れました。「クウ・バン・デーン」です。13世紀建立の三基のラテライトの祠塔が東向きに同一基壇の上に建つ仏教寺院です。


ソンクラーンで参拝する人がちらほらと見られます。

中央祠塔の内部です。新しいクメール様式の仏陀像がヒンドゥーのヨニの上に安置されています。

赤色砂岩のまぐさ石です。中央にはナーガに守られ瞑想する仏陀、右には観音菩薩、左には女神般若が彫刻されています。



右側の祠塔内部です。

入口には仏陀立像のまぐさ石が上がっています。
鑿跡が残る未完成品のようです。

祠塔の背面です。

遺跡の周りに置かれていた、砂岩製の怪獣彫刻です。

シー・サチャナラーイの遺跡

2014年05月12日 | スコータイ

「サクトーン・リゾート」の入り口付近です。

コーヒーとトーストのサービスがあります。

今日はリタイ王公園でソンクラーン・パレードが行われると聞いていたので歴史公園まで来てみました。
しかし、パレードが催される雰囲気は全くありません。
歴史公園を突っ切り「タオ門」まで来ました。

友人宅に「サンカローク シー・サチャナラーイ」という冊子の表紙にタオ門とパーヤン窯のイラストがあったので載せておきます。左上がタオ門です。陶器は中国人が買い取っています。陶器を生産しているのはタイ族ではなくモン族が描かれています。
サンカロークで陶器生産を担っていたのはモン族だったのでしょうか・・・。



パレードについて歴史公園の入り口にある売店で聞いてみましたが、タイの標準的な回答で、皆さん言うことが異なります。一通り聞いた後は、正しいと思う内容を自分で判断するしかありません。
ヨム川で拾った古銭を売っていました。

午前9時、友人宅で朝食です。
友人は、今朝はリタイ公園で僧侶150名にタンブンが行われ、今頃僧侶は食事中だと説明してくれます。彼が昨日まで「今日は午後からパレード」と言っていたのですが・・・。

食後の果物、ソム・オー(ざぼん)です。

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■というわけで、朝食後にリタイ王公園まで来てみました。




僧侶はすでに帰っています。テントでは後片付けをしています。

声がする方へ来てみました。講演会が催されているようです。



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■せっかくなので遺跡を巡って帰ることにします。リタイ公園の向かいにある遺跡、「遺跡番号22」です。地元の人は「ボラーン・ピー」(お化けの遺跡)と呼んでいます。
番号だけの遺跡には解説がありませんが、残っている塀跡から、かなり大きな敷地を持った寺院であることが分かります。









壺の底に穴があるのは骨が納められていた証拠です。



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■遺跡番号16です。






この寺院を歩いているときに、直径7、8cmの漆喰で造られた仏像の螺髪を拾いました。現在は仏像の台座も見当たりませんが、当時はかなり大きな仏像があったようです。

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■「ワット・パー・クサラ」です。塀は24mX64mで四カ所の門があり、礼拝堂は11mX24.5mと説明されています。








何の台座でしょうか・・・。



案内板には礼拝堂は瓦屋根で周りには大量の瓦片が散乱している。と書かれていますが、これは棟飾りです。寺の大きさに比較すると棟飾りは小さいようです。



塀の外にもこんな遺構が残っています。

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■遺跡番号12です。
こじんまりした寺院です。象のパレードはこの横を通って行きます。
木陰に入った時グリーンスネークを見つけました。有毒で噛まれると2時間で死に至ります。慌てて逃げました。ちなみのコブラは30分で死に至ると言われています。






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■「ワット・トゥーン・セティー」という名前が揚げれれています。東北に向いた寺院で、礼拝堂は6部屋になっています。


門の外に見えるのが遺跡番号12です。







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■シー・サチャナラーイ歴史公園の案内所です。館内を整備してきれいになっているので入ってみました。


昨日「ワット・フア・コーン」で見た造花は、玄関脇の木に写真のように飾ります。



館内は写真と音声でシー・サチャナラーイ遺跡の説明がされています。













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■遺跡番号10です。
後方に木立の間に黒く横たわっているのがシー・サチャナラーイの都城壁です。この遺跡の右にスコータイへ通じる古道跡があります。





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■シー・サチャナラーイ遺跡を一回りして、友人に挨拶をしてからバンコクへ戻ります。
昼食をというのを、コーヒーだけ頂き、古陶を鑑賞してからスタートします。
このお皿は、タイ北部のサンカンペーンで焼かれたものです。ベースのお皿は15、6世紀のもですが、絵付けは最近のもです。

このお皿も同様です。

こちらの青磁小壺はサラチットのサトウキビ畑で掘り返されて壺底が地表近かったのか、焼畑による焦げ跡がついています。

帰路です。バナナを満載した車が走っています。

ピチィットで「ワット・ポー・プラタープ・チャーン」の参拝して往きます。全走行距離は1,258kmとなりました。往路、復路ともピチットで国道117号線を反れたのが走行距離を伸ばしたようです。
今回の走行地図です。

シー・サチャナラーイの織物博物館

2014年05月09日 | 博物館
■タイ・プアン族の出家の模様は終わりましたが、午後1時半頃に路地から離れて、遅い昼食をと思いシー・サチャナラーイ市街の北にある市場まできました。市場の向かいに「金織物博物館」があり、ここの駐車場に車を止めます。
空腹なはずだが、暑さのせいで食欲がなく、先に博物館を覗きました。
私設の博物館で無料公開しています。ここの駐車場は市場に寄るときによく利用するが、博物館には入ったことがないのと、先日イサーンの「サラ・マイ・タイ」織物博物館を見学したこともあって興味がありました。





これが目玉の金糸を織り込んだ布です。古いものだそうです。

こちらは新しく織った布で、約百万円分の金糸が織り込んであるそうです。

この地方で使われていた織物が蒐集されています。それぞれに織られていた村や所有者、若しくは織った人の名が表示されています。
知らない人ですが、名前が書かれていると、一気に親しみが出てきます。














いづれもタイに住む少数民族の人の手作業で手間暇をかけた、時間の凝縮された逸品です。
現在バンコクでは反政府運動が収まる様子がないのですが、反政府運動を行っている人たちには、このような貧しい人たちの伝統を重んじて技術を継承させる思想はなかったようです。タクシン元首相の政策には功罪もありますが、底辺の人たちが生活できるよう、一村一品運動で伝統技術の保護育成を図り、販売所の設置などを行ってきました。国民の大多数を占める貧困層の生活向上政策を行ったのは彼が初めてで、失脚した今も絶大な人気を保持している要因でしょう。
ただ、タクシン政権の登場は遅かったようで、展示されている織物はどれも100年前後の古いもので、同じものを作る手は途絶えて久しいようです。

サンカロークの古陶で、小壺がたくさん並んでいます。

裏には古い民具や農具を展示した建屋が数棟あります。

牛で耕作する道具です。



雲南から運ばれてきた壺です。

サンカロークの陶片です。

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■織物博物館では冷水の接待もあり、午後3時前にパレードが表れるまで休憩をすることにしました。パレードは向かいの市場の横の道をヨム川へ向かいます。

パレードが終わり、道路の通行が可能になってから軽食を取って「サクトーン・リゾート」へ戻りシャワーを浴びます。
泊まっている部屋の前の蘭の花です。



午後7時前、友人宅で食事です。

取敢えず朝晩の食事は全てお粥を頼んでおきました。

タイ・プアン族の出家儀式 (3)

2014年05月08日 | スコータイ


午後2時50分、町内を巡回していたパレードがヨム川へ通じる道へやって来ました。私が路地を後にしてから1時間以上経過しています。





まだまだ元気なグループです。

楽団も休むことなく演奏しています。






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全員が揃って、ヨム川へ下って行きます。

















隊列を外れた象さんがいます。

この象さんは川の中で座ってしましました。やはり象さんも暑いのです。水に浸かり体を冷やします。

こちらでは象使いが転んでしまいました。





川の中洲を回って川岸へ戻ってきます。







午後4時20分、パレードは去って行きます。寺院へ戻るのでしょうか、僧侶としての衣へ着替えなくてはなりません・・・。

タイ・プアン族の出家儀式 (2)

2014年05月07日 | スコータイ
■タイ・プアン族の出家の続きです。各家から出発した出家のパレードは、大通り(国道101号線)を進み順次「ワット・ハー・シオ」に集まります。



寺院に到着した出家者は象から降ります。

まず礼拝堂横の祠に詣でます。横に座った長老に従ってお経を唱和します。




そのまま本堂で全員が揃うのを待ち、出家の儀式が始まります。

出家者はすでに髪の毛、眉は剃っています。眉毛に見えるのは墨で描かれています。



象は出家儀式が終わるのを待ちます。儀式の後、町内を巡回します。


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出家の儀式が終わったようです。ホッとしたようで、顔に笑みが表れます。



再び象に乗って町内巡回です。







摂氏40度を超える暑さです。ソンクラーンには1週間早いですが、あちこちで水が掛けられます。

寺院を後に大通りから町内を巡回です。12時40分になっています。



竹筒の水が無くなりました。おすそ分けです。

肩から竹筒を下げた人がたくさんいますが、男性も女性も飲んでいるのはお酒の方が多いようです。私も振舞い酒を頂きましたが、甘くて口当たりは良いのですが、アルコール度はかなり高いようです。

こちらでは飲み干しています。この暑さではお酒だけでは体が持ちこたえられません。

あちこちで水がふるまわれています。

ここでは象の餌、バナナの茎です。



バナナを手にした女性たちもいます。









午前中は水色の衣装組を先導していた元気なおばちゃんですが、午後は水色の衣装を着た人たちは見当たりません。





この女性はカメラの前で解説をしていました。

お巡りさんはヘルメットを着けたまま日陰で警備中です。



午後1時をすぎ、暑さはどんどん上がり、人々の熱気も上昇しまっくりです。


















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パレードは路地へ入ってきました。



この女性は大通りでもカメラの前でポーズをとってくれましたが、まだまだ元気です。

















午後1時45分、パレードは路地を進んでいきますが、振る舞い酒と暑さで離脱して休憩です。
パレードはヨム川へ向かいます。ヨム川で待つことにします。