6,7,8月と、バレエを見に行った。
一番客入りが悪かったのが、ロシアバレエ界のトップ級をあえて外した(?)
「ボリショイ&マリインスキー合同公演」だった。
土曜の昼、夜、公演日でも、これだけ出演人数をかき集めても客席が埋まらない。
もっと盛り上がった完売公演、満員御礼の出ている公演を取り上げず、こういう、
「もしかしてマイナーな公演なのかもしれない・・・」と客席に座って思う公演を
ブログに取り上げるのも気が引けるが・・。
ガラで時々踊られる、サンサーンスの名曲にバレエ・リュスのフォーキンが振付け
た「瀕死の白鳥」を見ながら、やはり名曲、佳作の振付、と再認識した。
同時に、過去、この作品を踊ったバレリーナたちのことを思い出していた。
ロシア・ガラでの「瀕死」を踊ったバレリーナ(ロパートキナ)は、過去の名バレ
リーナたちの名演に比し、どうという出来ではなかった。
過去に見たバレリーナたちは、それぞれ、今のプリマに比べると味があった。
とりあえず日本で「瀕死の白鳥」を踊ったプリマの有名どころでは、(過去20年
位までなら)マイヤ・プリセツカヤあたり、ということになろう。
映画評論家の淀川氏ならアンナ・パブロワと答えそうだが。
プリセツカヤの「瀕死」も嫌いだと言う人はいるかもしれないが、
60代位までなら、見た大半の観客が、感動できる定番の「瀕死」を踊った一人と
言えると思う。
先日の「ロシア・ガラ」の公演の中堅のバレリーナと、ソ連バレエの元・大スタ
ー、プリセツカヤを比べると、二人の差は、一見「年齢」とも見える。
ロパートキナの瀕死はムードで流れたような所があって、音楽の素晴らしさほどは
盛り上がらない。「死」は全く感じられない。
あれを素晴らしいという人は、それはそれでいいと思う。「あれ以上」を見たこと
がないということだ。
パドブーレも、もっと滑る様に出来る人は何人もいる。腕の振りも。
技術は置くとして、ロパートキナがプリセツカヤほどの表現的訴求力を持たないこ
とについて、それが年齢差かといえば、
そうでもない。
バレリーナではないが、リレハンメル・オリンピックでのフィギュア・スケートの
金メダリスト、オクサーナ・バイウルが、エキシビションで見せた「瀕死の白鳥」
の感動は、プリセツカヤのそれに勝るとも劣らなかった。
あのバイウルは、わずか16歳。
16歳にしか舞うことの出来ない「瀕死」を踊った。氷上で。
それで、表現とは必ずしも若いからできないというものでもないと判る。
あの、オリンピックの舞台。満場のギャラリーが水を打ったように静まり返った瞬
間。
世界中のテレビ視聴者の誰もが、たやすくバイウルの「瀕死」に死を感じることが
できたと思う。
身震いするような才能。恐るべき16歳。
その才能がまぶしかったが、あの豊かな表現資質に、「母親の死」の悲しみの体験
が、「死を感じさせる踊り」を舞わせたのだろう。
「見せる」ことを意識した、精緻に計算された老練プリセツカヤのデコラティブな
「瀕死」。
16歳バイウルの無垢な魂によって舞われたシンプルだが、胸を突く「瀕死」。
他にも素晴らしい「瀕死の白鳥」を舞った芸術家は何人もいるが、久々にバレエ
「瀕死の白鳥」を見て、最初に思いついたのはこの二人、特に「氷上のバレリー
ナ」ことバイウルなのだった。
一番客入りが悪かったのが、ロシアバレエ界のトップ級をあえて外した(?)
「ボリショイ&マリインスキー合同公演」だった。
土曜の昼、夜、公演日でも、これだけ出演人数をかき集めても客席が埋まらない。
もっと盛り上がった完売公演、満員御礼の出ている公演を取り上げず、こういう、
「もしかしてマイナーな公演なのかもしれない・・・」と客席に座って思う公演を
ブログに取り上げるのも気が引けるが・・。
ガラで時々踊られる、サンサーンスの名曲にバレエ・リュスのフォーキンが振付け
た「瀕死の白鳥」を見ながら、やはり名曲、佳作の振付、と再認識した。
同時に、過去、この作品を踊ったバレリーナたちのことを思い出していた。
ロシア・ガラでの「瀕死」を踊ったバレリーナ(ロパートキナ)は、過去の名バレ
リーナたちの名演に比し、どうという出来ではなかった。
過去に見たバレリーナたちは、それぞれ、今のプリマに比べると味があった。
とりあえず日本で「瀕死の白鳥」を踊ったプリマの有名どころでは、(過去20年
位までなら)マイヤ・プリセツカヤあたり、ということになろう。
映画評論家の淀川氏ならアンナ・パブロワと答えそうだが。
プリセツカヤの「瀕死」も嫌いだと言う人はいるかもしれないが、
60代位までなら、見た大半の観客が、感動できる定番の「瀕死」を踊った一人と
言えると思う。
先日の「ロシア・ガラ」の公演の中堅のバレリーナと、ソ連バレエの元・大スタ
ー、プリセツカヤを比べると、二人の差は、一見「年齢」とも見える。
ロパートキナの瀕死はムードで流れたような所があって、音楽の素晴らしさほどは
盛り上がらない。「死」は全く感じられない。
あれを素晴らしいという人は、それはそれでいいと思う。「あれ以上」を見たこと
がないということだ。
パドブーレも、もっと滑る様に出来る人は何人もいる。腕の振りも。
技術は置くとして、ロパートキナがプリセツカヤほどの表現的訴求力を持たないこ
とについて、それが年齢差かといえば、
そうでもない。
バレリーナではないが、リレハンメル・オリンピックでのフィギュア・スケートの
金メダリスト、オクサーナ・バイウルが、エキシビションで見せた「瀕死の白鳥」
の感動は、プリセツカヤのそれに勝るとも劣らなかった。
あのバイウルは、わずか16歳。
16歳にしか舞うことの出来ない「瀕死」を踊った。氷上で。
それで、表現とは必ずしも若いからできないというものでもないと判る。
あの、オリンピックの舞台。満場のギャラリーが水を打ったように静まり返った瞬
間。
世界中のテレビ視聴者の誰もが、たやすくバイウルの「瀕死」に死を感じることが
できたと思う。
身震いするような才能。恐るべき16歳。
その才能がまぶしかったが、あの豊かな表現資質に、「母親の死」の悲しみの体験
が、「死を感じさせる踊り」を舞わせたのだろう。
「見せる」ことを意識した、精緻に計算された老練プリセツカヤのデコラティブな
「瀕死」。
16歳バイウルの無垢な魂によって舞われたシンプルだが、胸を突く「瀕死」。
他にも素晴らしい「瀕死の白鳥」を舞った芸術家は何人もいるが、久々にバレエ
「瀕死の白鳥」を見て、最初に思いついたのはこの二人、特に「氷上のバレリー
ナ」ことバイウルなのだった。