懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

ふたりの女~劇団第七病棟公演 唐版・葵上

2020-01-08 01:00:41 | Weblog
こないだ、源氏物語の舞台化(?)の「氷艶2019」、ってのをTVでチラ見して。

そういえば、石橋蓮司演出、緑魔子主演の唐十郎台本「ふたりの女」って舞台も、源氏物語に想を得た、舞台作品だったと思いだした。
公演した、第七病棟という劇団は、非常に公演数か少ないっていうか、名舞台を作ったけど、「次」を待ってると、なかなかやらない、こだわりのある(?)劇団みたいで、非常に良かったので、次も見たいと思ったけど、結局、次の公演を私は見られなかった。

商業主義とは対極にある劇団だったみたい。

それはともかく。
源氏物語、って、ベストセラー文学の割には、この数十年だと、映画化とかで決定的なヒット作は生まれてなかったような気がする。天海祐希主演の映画は、あんまりよくなかった。主演を男性にした方が良かった。次の生田斗真は良かったけど、内容がいまいち。

先日上げた、少女漫画の「あさきゆめみし」は良かったと思うけど、

よくよく考えてみると、この、唐十郎脚本、で、緑魔子が葵と六条の二役、相手の「光一さん」を石橋蓮司が演じた、この「ふたりの女」こそは、私が鑑賞する事の出来た「源氏物語」の舞台化・映像化・漫画化の諸作品の中では、一番優れていたんじゃないか、と言うような気がしてきた。

光一さんの彼女の葵、エキセントリックな若い女性が、ちょっと暗めのストーカーみたいだった六条という女の暗示にはまるようにだんだんおかしくなって、憑依されていく様が、狂気女優の異名をとった緑魔子の不思議に説得力のある演技で、納得させられてしまう力技。

幸せになれるはずが、六条の毒気にはまり、死ななくても良さそうな葵が、自死する。

上手く書けないけど。

源氏物語の葵と六条の話は、舞台化すると、荒唐無稽になりそうだけど、あの第七病棟の自然で説得力ある不思議な演技の世界は、かなり上級者の演出だったと、今更ながら、感嘆する次第。(もっとも、唐十郎も、石橋蓮司も緑魔子も、源氏物語の舞台化の為に、この作品を創ったわけじゃないかもだけど。)

懐かしの名舞台。

自分も舞台鑑賞では道楽をしてきた中、今まで見た良かった公演30位上げるとしたら、入りそうな、観に行ってよかったと思う公演だった。
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一方で、漫画の「あさきゆめみし」の方は、色々長所はあるんだけど、一例をあげると、源氏が禁断の恋を成就する時、恋愛の定石の「殺し文句」を使ってる所など、やっぱり、他の源氏翻案の作品群にはない魅力があった。

突破できにくい壁を源氏が突破するにあたって、藤壺に、光源氏が、”父の帝にとって貴女は桐壺更衣の身代わりで、父は本当のあなたを愛しているわけではない。”と示唆して、「真実のあなたを愛しているのは、いったい誰なのですか?」と問うて、本当のあなたを愛しているのは、自分だと伝えていた。

瀬戸内静聴の講釈なんか聞いてると、官能性ばかりが強調されてしまうのだけど、やっぱり、壁を突破する決定的な一言がある方が、恋の話としては、グレードが上がる気がする。

*あ、そうだ、こないだの「氷艶2019」に出てきた悪役の男「長道」ってのは、あれって、藤原道長の名から取ったんじゃないかな?
言葉の使い方、天皇の死が薨去じゃなくて崩御だったり、臣下が光る君を「光源氏様」って呼ばないんじゃないかと思うんだけど、そう呼んでたり
、藤壺が最後の方で、自分の事を自分で「母上」と言ったり、かなり変だったけど。誰も違和感ないみたいで、まあいいのか(?)

もう、昔からの日本の伝統的な文化ってのは、あんまり継承されてないんだなって、何となく知った。
今の時代は、源氏物語を知らない人が、紙媒体じゃなく電子書籍で読んでたりするのだと。これも時代の趨勢らしい。
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今宵も与太話。


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