懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

舞台「ヘドヴィク&アングリーインチ」

2008-04-21 01:27:09 | Weblog
☆皐月賞でよかったこと。

①アグネスタキオン産駒が買った

②勝利ジョッキーインタビュー。
「ゴールした時の気持ちは?」
てっきり「最高でした~」って言うかと思ったのに、一瞬考えて、もっとオリジナルな言葉で、じわじわと喜びを表現していた。自分の言葉があるって、良いね。

でも、脚を余して負ける馬がイロイロで、G1としては不完全燃焼。

★舞台の話。

ロックミュージカル「ヘドヴィク アンド アングリーインチ」。

今度は山本耕史主演でやるって。山本耕史って、そういうのをやる人だと知らなかった。

私は、評価を確定してるらしい?三上博史の舞台で見た。

んでも、でも。「ライブ」はライヴだから、毎日違うし、私は三上に詳しいファンでもなく、連日ロングランで行われてたツアーの終わりの方に、1日行っただけ。

その、全くの主観で言わせてもらえれば、「全然感動できなかった」。

別に作品の魅力、舞台の成果を否定するつもりもない。(よく知らないわけだし)

パルコで見たわけじゃないし。新宿厚生年金会館で見た。すでに熱心なおっかけもいるようで、全体にもう、「できあがっちゃってる」雰囲気。主演者と熱心系ファンとで、内輪っぽい感じもあった。

三上は芝居できる系のなかでは、歌はかなり巧いんだろし(声ちょい枯れてた)とりあえず、ひととおり作品の言わんとするところは表現できてるんだけど。

いかんせん、孤独なおかまのドラァグクイーンの、「魂の半身」という幻想そのものに全く共感できず、三上のロッカーぶりにも、自己陶酔的な、どっちでもいいものを感じてしまった。(この人は、普段はそんなにナルが鼻につく系の人ではないんだけど)もっとも、「ロッカー」のステージとは、自己陶酔性をその本質に持つのは当たり前なのか・・・。

むしろ、三上の個性より、性転換手術に失敗し、半分になってしまったものを抱えた事態を「アングリーインチ」=怒りの半分のもの(?)とネーミングした、おかまの心意気(?)、踏みつけられてもタダでは起きないエネルギー、そのあたりに一番感心した。(手術の失敗って・・・怖すぎ)

三上博史は、「恩師」寺山修司が看破したとおり、どちらかといえば、舞台より、より映像向きの人なのだと思う。低視聴率と映像美、脚本の愚作が話題になった、TVドラマ「共犯者」の怪演は見事だった。

ヘドヴィクの方は、やっぱり本家本元の、外国人のが一番いいんじゃないかと思う。この手のさきがけだった、映画「トミー」をちょっと思い出した。

という私の独断偏見とは裏腹に、
「評価の確定した三上ヘドヴィクに対し、山本がどこまでやるか?」
というのが、舞台好きたちの、一般世間的関心らしい。

自分は贅沢だから、「本家が一番いい」って思っちゃうんだけど、
作品が生き残り、幅広い支持を得、古典化していくためには、色々な役者に演じられることは必要なことなのかもしれない、と思った。

いまいちつかめない役者の山本耕史。バイプレイヤーをやると巧いし手堅いけど、大道を行く二枚目役だと、例えば塩谷瞬とか若い頃の長瀬智也みたいな、感情が直球ストレートに迸るタイプの方が、役者としては、やっぱり有利なんじゃないか、という気もしている。

ヘドヴィク役では、また新しい面を見せるのか?
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