フィギュアスケートGPフランス大会女子FS、放送見て。
ちゃっちゃと前言撤回、2点。
【ザギトワのFS『クレオパトラ』鑑賞2回目】
一回前、ジャパンオープンで見た時は、彼女のクレオパトラのイメージが、私のそれとは違うのかな?って思ってた。
自分だって、エジプト文化や王朝史に詳しいわけでなく、何となく、例えば妖艶なイメージを持っていた。
ジャパンオープンでのザギトワのクレオパトラは、男を意図的に篭絡するような妖艶さはあまり感じさせず、むしろ毅然として誇り高く、高貴で女王の「威厳」を強く意識させるものだった。
ちょっと残念に思えたのが、衣装デザインが西欧的で、髪飾り、腕輪、ヘアスタイルとか、全体的に、日本人が思うエジプトの女王の服装とか、中近東の雰囲気が、そんなに強くなかった事。
それで、フランス杯でSP見たら最高にきれいで、恋に破れる女性の懊悩を演じて絵になるし、この衣装しみじみ似合うと思って、きっとFSよりいいと思ってた。
ところが。
ザギトワの場合、この所、演目によっては、一つの作品を段々に仕上げていくような所があるみたいで。
今回、前回とは、ガラリ一変。
冒頭から、攻めの演技。オリエンタル風の定番の手の振りを、随所に組み込んで、それもスケートする中で、きれいに消化して、このプログラム固有の手・腕の動き、普段やってない動きも、すべて美しくそれらしく入れてきた。
前もあったか記憶ないが、腕に蛇を摸した腕輪飾りが欲しいなあと思ってたけど、上腕じゃないけど、片腕の手首近くに、蛇がとぐろを巻いたような、くるくるした形の腕輪もどきの光物の入った装飾があって、首飾りや頭飾り、何となく全体的に、前より、「クレオパトラ」って感じがした。
前回とは見違えるほど、最初のジャンプ前の演技も濃くって、でも、こんなやって大丈夫かな?と思ったら、第一ジャンプのルッツで少し転倒しかけて。
演技をやりすぎて、大事な冒頭ジャンプへのエネルギーの貯め方が足りなかったせいか、或いは、ジャッジを意識しただけかはわからないけど。
ザギトワも、他のエテリ組の上位選手のやってる事は、戦略としては利に叶ってて、ザギトワの立場だと、表現の面で、何としても後輩たちと差をつけないといけない。(で、演技構成点は、一応高かった。)ただ、3A以上を持たないザギトワが勝つためには、ジャンプの回転不足も含めてミスはできない。
ちょっとバランスとして、冒頭からあれだけ意欲的に、今プログラムの世界を伝えようと意識しなくても勝てるように、演技の段取り考えた方が利口かも?と、ちょっとズル目には思った。最初にジャンプを決めてから、落ち着いたパートで演技を、エジプトの女王の世界を、見せる段取りにもっていった方が、楽だとは思うけど。今のやり方だと、凄く総合的な実力がないとできない。
それをやろうとするザギトワの、まじめさみたいなものは、前季と変わらない。今日よりも明日、きっと世界選手権を頂点とする長いレースの道程で、自分の道をこつこつ地道に上がって最後に結果を出せるといいと思った。
気になってた衣装デザインがやや西欧的に見えた点も、今回は、全く気にならず、むしろ、ザギトワが、「クレオパトラ」に見えてきた。あの衣装・アクセも含めて。彼女は非中近東的な、白い肌にも関わらず。若き女王が、若き女王を演じる。女王の貫禄は増したけど今回は、威厳と高貴さだけではなく、笑顔がはじけていたり、多彩な表情を見せていて、なにかしら想像力を刺激するクレオパトラだった。そういえば、「クレオパトラ」の映画でも、一番高名なのでなく、ヴィヴィアン・リーが演じたのは、まだ若い女王が、年上のローマの権力者のシーザーと出会う話だったことなどを、思い出させられた。
想像力を刺激する、引き込まれるクレオパトラの世界で、いつものザギトワより、ジャンプだけでなく技術の一部が、これからかな?と思う所はあったので、昨日とは違う展開があるのだろうと思う。
SPの恋に悩む女性は、非常に魅力的だけど、同様に、堂々として時にいたずらっぽさもあったりした女王クレオパトラのFSも、私的には好きになった。
パーフェクトビューティー、という点では、上位選手では文句なしの世界一、のザギトワさん。
(ついでに、羽生選手は、衣装なら、文句なしダントツの、滑る前から世界一決定、なんだけど。)
ザギトワとコストルナヤ二人が、試合前の映像で、一瞬映ってて、二人とも花があるので、画面がゴージャスだった。
【コストルナヤFS】
なんだ、やればできるやん、と思った。
昨日見たあの、いまいちなSPは、なんだったのか?
3Aの高さ、回転の切れ、美しさ、全然、FSの方がいいやん。
コストルナヤの立場で、あのSPの精度でも、勝てる試合だった、と言えば、結果見ればそうも言えるけど。前評判が高かったし、見ていてつまらなかったので、がっかり感は否めなかった。
冷静に考えれば、シニアデビューとしては、コストルナヤの方が普通で、トゥルソワ&シェルバコワが、技術以外も、異次元なんだけど。3Aの有無という、立場の違いもあるけど。
トゥルソワは、カナダ大会SP、ジャンプもそれ以外も、試合のポイントとなる要所要所を取りこぼしなく抑えて、表現的にも最初から最後まで、抜き所がなく、たぶん、パーフェクトな出来だったのでは。
シェルバコワに至っては、それがシニアデビュー1年目の船出の演技とか、試合であることを忘れさせるほど、常に美しく動こうとしていて、彼女はコストルナヤより動きの綺麗さの洗練の度合いが上なので、うっとり。陶然とさせられながら見てしまった。
分りやすい箇所で、片脚高く上げて手で押さえたポーズのまま滑っていく時の、全身で描くラインの見せ方、途中で少し体勢を変形する時、どの瞬間も、これ以上できない位、美しい姿勢、脚、全身のラインをキープしてるし、技術的な安定感も抜群で、安心して、その美の世界に酔える。
トゥルソワは、物語性がある演目で、シェルバコワは詩情を感じさせた。そして二人とも、コストルナヤと比べて無垢な感じが強い。コストルナヤは、表現にショーガール的な手馴れ感があって、彼女の最大の特徴は、自分への自信に満ち溢れていること。
紀平のように、前の選手を見て弱気になったりは、コストルナヤは、しなさそうな気がする演技だった。10代少女特有の、恐いもの知らずの堂々たる自信。
戦略としては、抜き所を適度に作ってるコストルナヤのあり方は正しいんだと思うんだけど。
ずっと試合生活が続いて、まだ序盤戦だし。
ただ、自分はSPから見てしまったので、・・・・たぶん、FSから見ていたら、コストルナヤへの印象は違ったと思う。
コストルナヤは、FSでは一転して、技術力の高さを見せつけた。
自分的には紀平の3A見て、がっかりしたことがあって。
これは、完全に好みの問題もあって、自分は10代からハイジャンパーに弱い傾向があって。
やっぱ、ジャンプが高くないと、3Aでも、見ていて興奮しないというか。
ま、こればっかりはしょうがない。紀平みたいな、ジャンプ低めで手堅くまとめました、みたいな3A見ると、3Aの有難味、特別感が失せてきて。で、今回コストルナヤの3Aを、SPで見た時、紀平以来の、心が感動しない3Aだった。
それが。
何この変化。FSのコストルナヤ。
3A、跳ぶ前の余裕、飛翔の高さ、軽さ、幅。それに、SPよりジャンプの細部が美しかった。
安定して3Aからコンビネーションにしてしまえて、続いてもう一回3A.同じ3Aとは言っても、紀平より、これ見た限りでは3Aの技術力は上に見えた。
中段の3Fの時、完全に上に舞い上がってから、回転速度が途中で高速になってるのが、自分程度にもはっきり見て取れた。(私は動体視力は普通程度)コストルナヤは、美貌と表現力のように言われてるが、むしろ技術的に身体能力も高く、器用な方に見えた。
SPとFSで違ったのが、「手」の使い方。彼女は手の振りに独特のくせがあって、(私の好みとかではなく)ジャンプや回転、ステップの中で、美しさも(シェルバコワ程の、スケートを超えた洗練ではなくても)出せる人。これが、SPでは無くって、荒かった。3Aを軽々跳んで着地の時、すかさず、すっと伸ばした腕と手の振り。手腕が歌うようで、彼女のジャンプの印象を、よりエレガントなものにしている。それによって、楽に跳んでるような感じもする。(シェルバコワは、ジャンプ着地の流れが一番目立って、長すぎる脚を、よりきれいに見える伸ばし方でキープするのが印象に残る。)
ただ、選手の試合生活としては、その方が普通なのかもしれない、と複雑な思いもした。
格下の試合で全力投球するよりも、一回、一回、調整局面として、抜き所をうまく作って、この世界の頂点の試合に向けて調整していくのが、既存のあり方だった。
羽生が、最近ではトゥルソワらが、その流れを変えている。
ただ、故障リスクとか、調子をキープする難しさとか配慮すると、彼らはフィギュア界の異次元な人々、ということなのだろう。
コストルナヤの自信に満ちた目線の飛ばし方。彼女は、ジュリエットみたいなシリアスなのより、本質的には、このFSの様な方が、合ってるように、私的には思った。
自信は美徳。アリョーナ・コストルナヤ。
今回の彼女ので、自分の見たいものは、表現よりも、3Aジャンプ部分!
高さはもちろん、「軽さ」と、回転の速さ、空中の自在なコントロール力もちょっと感じて、今迄の人の3Aより、楽に跳んでるような(?)余力も感じた。着地後の手腕が歌う動きで優雅に見せる終わり方とか、次もまた跳べそうな安定感が。
ロシアのシニアデビュー3人組の中で、自分の好きなのは、トゥルソワ、シェルバコワだけど。
※余談。
紀平が試合前の練習で3A跳ぶ時、松岡修造が「行けッ」っていってたことあったけど、紀平の3Aは、一回一回、もっと必死で跳んでる気がするから、まあ、そんなもんかと思うけど、ああいう掛け声は、自分はあんまり好きじゃない。それ以外の人でも、実況、解説、その他の出す音声が、録画再生して邪魔に感じる時は少なくない。
コストルナヤが3A跳ぶ時、松岡がもし「行けっ!」って音声出したら、コストルナヤが殴りに来るんじゃないか?と思うほど、前後のプログラムの流れの中で、、コストルナヤは、3A,跳べて当たり前みたいな雰囲気で跳んでいた。
(ついでに、あの、「いけっ!」みたいな掛け声は、見ていて音声的に邪魔になる時があるので、うざいので、やめてほしい。)
コストルナヤは、後半のステップも、観客の手拍子に助けられてという感じじゃなくって、自信たっぷりに、彼女の方が観客を煽って自分を見せるほど、舞台に立つ手馴れ感、揺るがない自分への自信が目立つ人。上がる感じが全然しない。
あと、どっちかっていうと、大衆的な演技っぽいかな。
【坂本花織選手】
最初にベル音。色々内容考えて振りつけてると思うんだけど、私が映画『マトリックス』をちゃんと見てないので、細部のストーリーは分らずに、雰囲気を見て、そういえばこんな感じだったと思ったり。
腕の動きその他、振付家の独創があるみたいで、創意工夫の部分が楽しかった。
オリンピックの経験から、地道にだんだん色々吸収してる気がした。動きの洗練も、前より上がったかも。コーチの指導の方向性のせいもあるのかも???しれないけど。一回はきつい思いもして、スケートする自分が何なのか、何の為に滑るのか、掴めたものがあるのかな。
続けることによって、練り上げられるものもあって、何となく、前より、空間の使い方、身体の使い方が大きくて、空間が大きく見える。爽快感のあるジャンプなんだけど、凄い命を削るようにというか、命を燃やすように、一回、一回、ダイナミックなジャンプを凄いエネルギー消費しながら跳んでるような気もした。
【樋口若葉選手】フラメンコ、スパニッシュダンスの先生から、教わったんではないか、と思われるような、オーソドックスなフラメンコ系の腕の振り、身振り、目線の方向付けとか、そちら方面の定番の形をマスターしているように見えて、時間作って練習したのかなあ、と思った。
それぞれ、一歩、一歩、新しいものを吸収してるみたい。
【白岩選手】この二人に比べると、お衣装が、SP,FSとも、上品な女性の感じで個性が違って見ていて楽しかった。
彼女は、SP,FSとも、選曲、編曲が良かったような気がした。FS、戦争を題材にした映画から題材取ってるけど、「自由になりたい気持ちを表現したい」という言葉があって、自分の言葉。
彼女のような日本の高校生として順当な意見で、ちゃんと対象に向き合ってて、紀平との比較で、ちょっと、感心した。
(脱線すると、対して、こないだの紀平のFSの、「世界平和を表現した」、とかいうのは、内心、歯に絹着せねば、「あれのどこが?」と思ったし、まじめにとりあうのも、あれだけど。高校生くらいの人が、言う分にはそれはそれだけど。(大の大人が、それを表現力があるとか言ってるのは、滑稽。表現という物を、業界の大人たちは、なめてるとしか感じられない。才能があって一度はスター扱いでもてはやされれば、若いうちは、自惚れも過大評価も自己過信もあるものでも、一生それでいいのか?と言いたくなる。)
紀平が悪いのかというと、それよりマスコミ含め、周囲の大人の問題も大きい。紀平をスターにしたい日本のフィギュアスケート業界の、作為的過ぎる事とか、(キャリアの浅い人を実力以上に持ち上げるとか)、彼女の指導者とかの問題を感じた。表現とは何かの教育が、この業界には薄いことが、例えば荒川解説を聞くと分る。紀平の問題から離れちゃうけど、フィギュアスケート業界に蔓延する、えせ表現の考え方についての批判は、また別途、いつか書けたら。)
そんな中でも、自分の地平から、ものを感じ取れる白岩選手の感性に、ちょっとほっとした。大仰なテーマを選べばいいというものではない。テーマと自分との距離を、どのように縮めていくかは、本来の表現の基本。
平たく言えば、口先で立派な事を言うのは、簡単って事で。その人の日常性、常日頃何を考え、どう生きてるか。そういう、その人の地平から発したものでないと、表現としての説得力は弱い。紀平の時期の、10代後半の女性には、その世界があるはずで、やっぱり、自分の地に足が付いた所で表現するか、自分とかけ離れたフィクションをやるなら、それ相応の適性(容姿が雰囲気が合うとか)や演技力は必要。
発表会的演技は、フィギュアスケートの世界のご愛敬だけど、
今の女子シングルは激変していて、もう、「表現力」ではごまかせない。
今の、日本のフィギュアスケート業界とマスコミがやってる事って、各選手の、10代少女の心を、時として弄ぶような所があって、一人をスターにしたがって、やたら持ち上げる。でも、その対象に一度はなって、上げたり下げたりされる少女たちの気持ちを考えても、何だか、候補を一人に絞って、やたら作為的に持ち上げるのは、片腹痛いと、いつも思う。
どのみち、女子シングルは、今後、エテリ組の4選手の様なのが活躍する時代が続けば、生来、運動神経やパワーが非凡で、基礎的に技術力が高いタイプの選手でないと、日本の選手が上位に食い込むのは難しくなってくるのは、自明の理で、
その辺が、今迄と違ってきそうな気がした。
ど素人の主観なので、溝や違和感を感じて下さい。
参考にして頂ければ望外。
※一方で、男子の宇野選手が泣いていたかな?今回は、コーチ不在だから、と言えるかもしれないけど、紀平選手に限らず、特定の若い日本人選手をマスコミが追いすぎるのも、どうか。
昔、競馬の武豊騎手が、レースに負けた時は、そっとしといて欲しいみたいな、マイク向けられて、コメント求められるのが、負けたのに、苦痛みたいなようなことを言ってた気がする。他の競技の選手から見ても、正しいかどうかわからないけど。