曹洞宗の道元禅師は正法眼蔵(身心学道)に
大聖(仏陀)は生死を心にまかす
生死を身にまかす
生死をみちにまかす
生死を生死にまかす
と言われる。
浄土真宗もしかりで、
「仏願に託する」「弥陀の本願に帰託す」と示され、
我がはからいを全て捨てて阿弥陀様に
罪も、さわりも、生も、死も、すべておまかせする。
これを一心といわれる。
でも、まかせたつもりでいても、
我が心に内に、我心が残っていては、
おまかせしたことにはなりません。
それは疑心があるからであります。
二心(ふたごころ)であり、一心ではありません。
大聖(仏陀)は生死を心にまかす
生死を身にまかす
生死をみちにまかす
生死を生死にまかす
と言われる。
浄土真宗もしかりで、
「仏願に託する」「弥陀の本願に帰託す」と示され、
我がはからいを全て捨てて阿弥陀様に
罪も、さわりも、生も、死も、すべておまかせする。
これを一心といわれる。
でも、まかせたつもりでいても、
我が心に内に、我心が残っていては、
おまかせしたことにはなりません。
それは疑心があるからであります。
二心(ふたごころ)であり、一心ではありません。