気の向くまま足の向くまま

できうるかぎり人のためになることを発信していきたいと思っています。

あけましておめでとうございます

2015-01-01 11:35:02 | 日記
あけましておめでとうございます。

 いま自分の信仰する神様のところにお参りし、新しいご神体をいただいてきた帰りです。
神殿のある場所が空気のすごくきれいたところであるせいもあるし、正月で車もあんまり走ってないせいか空気がすごくきれいだ。
僕が子供のころ吸っていたあの清浄な空気。

 今友達の一人にメールを送ったら、今日も仕事とのこと、ご苦労様です。
外国の友人からもメールが来た。便利な時代になったもんですね、地球のどこにいても携帯でメッセージどころか、携帯でスカイプすると無料で
地球の裏側の人とテレビ電話が楽しめちゃうんですから。

 さて、去年は僕にとって仕事では最悪の年でした(泣)
なので今年は正念場の年になります。しっかりと神様にはお願いしてきました。

 しかしながら、人間ではコントロールすることができない運というものがあるのも事実。(つまり生まれる前から決めてきていること)
それはそれで潔く手放しながら(そんなところにエネルギーを浪費するのは無駄なので)、自分でコントロールできることだけに注力して生きていこうと思っています。
 そうおもうと、楽になる。

 何年もあっていない北海道の叔父に会いに行くこと、追い詰められた時の自分の感情の理性的な抑制、そして…そういったことを目標に頑張っていくつもりです。

 おや、外を見ると雪がちらついてきてます。

 今日もここに来るまでの道すがら、2人のホームレスを見た。
彼らが不幸かどうか、それは彼らに聞いてみなければわからない。思いのほか幸せかもしれない。
 一方、一見幸せそうに初詣している家族ずれが幸福なのかどうか、それも、その人たちの心の中をのぞかなければわからない。

 今日見た2人のホームレスには、ほとんど無限の自由がある。
ブラック企業で体や心が壊れるまで働かされることもない、恐妻に毎日さげすまれることもない、家族を食わしていかなくてはならないという強迫観念もない。自分を全然尊敬してない子供に一生の間に数千万円も教育費をかけて大学へやる義務もない。
 ひょっとすると、我々一般人が最も恐れている死を恐れることもないかもしれない、彼らはすでに永遠の中にいるからだ。
すべてを失ったものが、実はすべてを得たものなのかもしれない。 

 一番の不幸は周りの人間と憎しみ合いながら生きていくことだと僕は思う。
 そういう意味で言えば、一番親しいはずの家族と憎しみ合っている人々が一番不幸ではないだろうか、たとえどんなに裕福であろうと、美しくあろうと、社会的地位が高かろうと。

 では肝心の僕は幸福なのか、不幸なのか…それは永遠の謎かもしれない、ピカソの筆に描かれた人物のように 

 

 

 

  

 
 
コメント
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