小食健康法を実践してからそろそろ1年近い期間がたとうとしている。
成果はというと、実際に数字としてはっきり表れた。
前に、今年の初め1月ごろ、身体検査で上と下の血圧が狭かったと云う事を書いた。
上が116で下が96だったのだが、今は上はほぼ同じで下が70ぐらいまで下がった。
今度はちょっと開きすぎ?じゃないかと思うぐらいだが、とにかくはっきりと目に見えてこの健康法の成果が出たのでうれしい。
血圧が上がった理由はだいたい見当はつけている。
去年ぐらいから白湯のつけ麺にはまっていて、ほぼ週に2~3回は食べていた。このスープがまさに塩スープと言っていもいいほどの塩分が濃厚なもので、
これが主な原因ではないかと僕は睨んでいる。
それと、この健康法を始める前までは、量を減らすようにはしていたものの肉も時々食べていた。
だが今健康法を始めてから、全くやめたわけではないが、ほぼ肉は食べなくなった。揚げ物なども同様である。
これも血液をきれいにするので、当然血管が詰まりにくくなり、そうなれば血液を体の隅々に届けるために血圧をあげる必要がなくなるので、自然に血圧は下がっていく。
もちろん、この健康法のメインである野菜ジュースを毎朝たくさん飲んでいることがよかったのは言うまでもない。
血圧が上がっていくにはそれだけの理由があって、まずはそれを解決しなくてはならない。
それなしに血圧を下げる薬だけを飲むのは、絶対に良くない。自分で自分の健康をむしばんでいるようなものである。
以前、同僚と尿酸値が高いときはどうするのかとい話をしていた時、その人はいい薬があるからそれを飲めばいい、と言った。
僕はそれを聞いて、あぁ、これが普通の現代人の思考だなと思った。
それでは抜本的な解決にはならない。
ならないどころか、それをやると体の健康を維持しているメカニズムのバランスが崩れて、その影響が必ずどこかに現れる、というのが東洋医学的な考え方だし、
東洋医学に関心がなかった時から僕はなぜかそのことに気づいていた。
尿酸が高くなるにはそれだけの「理由、原因」があり、そこを治さない限り、絶対に根本的な治癒とはならない。
あまりいいたとえではないが、薬だけで解決しようとするのは、たとえば英語の成績の良くない生徒がいたとして、成績を上げるために次の試験の範囲の部分に出てくる単語と、選択問題の答えを教えるのと似ている。
これで確かに成績は上がるかもしれない、でも、成績が上がるのはこの試験だけであり、次からはまた元の実力通りの成績に戻るだろう。
そればかりか、その生徒は次も同じことをしてくれることを期待して、普段の勉強をしなくなる(体の健康維持メカニズムが本来の働きを放棄し始める)から、さらに成績は下がっていく。
表に出ている症状は重篤な病気にならないように体がきづいてくれと言って出しているサインであり、それを抑えるのはあるいみ自滅行為である。
そのサインがなぜ出ているのか、そしてその原因を改善するにはどうしたらいいのか、という道をたどるのが病気治療の王道、正道であると思う。
英語の成績を上げるためには、基本的な文法の把握と、単語を覚える不断の努力、そしてある程度の量の英文をとりあえず辞書を引かずにひたすら読んでいくという努力が欠かせないのと同じである。
健康というといまとてもいいものに出会った。
それは「玄米の黒焼き茶」というものだ。
玄米を何時間も土鍋でいり続けて作ったもので、それを家庭で煎じて飲む。
僕がこれを知ったのは、若杉さんという食養を実践している方のことを知ってからである。
この方の旦那さんがあるとき肺のがんになり、彼女に泣きついてきたときに、彼女が教えたのが次のような食事療法だった。
まず、玄米と菜食中心の食事、まこも茶、梅干しの黒焼き、そして玄米の黒焼き茶である。
この旦那さんはこれを忠実に守った結果、わずか半月(半年ではない)でがんが縮小し始め、たしか6年くらいはかかったのかな、それでも完治したという。
しかもこのがんは進行性のもので、診断が出たらほぼ間違いなくそれから短い時間しか残されていないというがんらしい。
僕はこの話を聞いてたぶん真実だろうとは思った。
思ったけど、やはり人間なのでどこかに信じきれてない部分もあった。
ところが、自分でも最近気になることがあって、このお茶を試してみたら、非常に体にいい影響をもたらしているのを感じている。
信じてくれるかどうかわからないが、初めてこのお茶を口に含んだ時からこの薬効を感じた。
前にもこう云う事があって、それは鹿児島のある会社が作った健康茶を飲んだ時に、なんとリアルタイムで口内炎の痛みが引いていくのを感じたことがあった。
口の中で少し回すようにして飲んでいると、ゆっくりとだが痛みが和らいで行ったのだ。
それと同じ感覚を今回この玄米の黒焼き茶で感じた。
体というのは実に繊細微妙なもので、何か体にいいものや悪いものを食べると、ほぼリアルタイムで反応してくる。
神経を集中していればそれを感じ取れると思う。
話が長くなったが、ぼくがこの若杉さんの話がまず間違いない真実だと感じとったのは、この黒焼き茶を飲んだ時の体の反応を感じ取った時である。
あぁ、あの話はやはり事実だ、とその瞬間思った。
疑い深い人はこれでも信じないと思う。
たとえば事件などを解決する刑事や探偵などが、ある一つの証拠を見つけた時に、一気に全体の謎が解けてくると云う事があると思う。
僕の個人的なたとえで言うと、僕がイギリスで勉強していた時、ある一つの統計的なデータ、証言や手紙の文面(特に第一次史料)、をみつけたときに「あ!解けてきた、これで全体が見えてきた」と思う瞬間が何度かあった。
今までそれぞれバラバラに見えていた事実や事件、情報が、その一つの鍵となるものを見つけたことで、論理的な整合性を持ってつながり始める瞬間だ。
これと同じ感覚である。
「食養」というものの存在を知ったのは、随分前の事だが、なんか面倒くさくて実際に実行するのは大変だなと思って、それ以降はあまり関心がなかった。
だが、こういう話を聞くと、実は健康維持のために大変有効なものだろうと云う事を今は感じている。
こういう事を書くと、医療関係者は気を悪くするとは思うが、西洋医学の療法というのは、次の試験の範囲と答えだけを教えることと似ている。
対するに食養などの東洋的な医療をその根底に持っている療法は、とにかく基本的な文法を抑え、単語を毎日地道に覚え、文章をひたすら読んでいく、そういう方法に似ている。
いうまでもなく、前者の方が楽で即効性があるし、後者は苦しく、しかも、次の試験の成績がすぐに上がるなどの即効性などない。
ただ、後者の方が長い目で見れば確実に成績が上がっていくし、数年後にはとてつもない差がついていく。
僕は西洋医学全体を否定してはいない。
もちろん、大量に出血した時とか、骨折した時とか、緊急に手術を必要とする内蔵の病にかかった時、または、伝染病の治療などには大変な威力を発揮する。
とくにその診断技術に関しては、目を見張るものがある。
しかし、こと慢性病の治療ということになると、東洋的な医学をベースにする治療法にはるかに及ばない、というのが今の僕の実感である。
この差を簡潔に言えば、「根治」と表面的な症状を消す(治すではない)「表象治」(僕の造語)の違いではないかと思う。
まぁ、それもむりはない、西洋医学というのは眼に見えるデータ、つまり、「外側」から本質に迫ろうとするものであり、東洋医学というのは「内側」のメカニズムというものをどういうわけかあらかじめ想定して、そこに働きかけるものだからだろう。
この「内側のメカニズム」に今のような優れた診断技術がなかった大昔に『どうやって』気づいたのか?というのは、ぼくは人類のとても興味深い謎の一つだと思う。
一生かかってでも研究できるテーマになるのではないかとさえ思っている。
成果はというと、実際に数字としてはっきり表れた。
前に、今年の初め1月ごろ、身体検査で上と下の血圧が狭かったと云う事を書いた。
上が116で下が96だったのだが、今は上はほぼ同じで下が70ぐらいまで下がった。
今度はちょっと開きすぎ?じゃないかと思うぐらいだが、とにかくはっきりと目に見えてこの健康法の成果が出たのでうれしい。
血圧が上がった理由はだいたい見当はつけている。
去年ぐらいから白湯のつけ麺にはまっていて、ほぼ週に2~3回は食べていた。このスープがまさに塩スープと言っていもいいほどの塩分が濃厚なもので、
これが主な原因ではないかと僕は睨んでいる。
それと、この健康法を始める前までは、量を減らすようにはしていたものの肉も時々食べていた。
だが今健康法を始めてから、全くやめたわけではないが、ほぼ肉は食べなくなった。揚げ物なども同様である。
これも血液をきれいにするので、当然血管が詰まりにくくなり、そうなれば血液を体の隅々に届けるために血圧をあげる必要がなくなるので、自然に血圧は下がっていく。
もちろん、この健康法のメインである野菜ジュースを毎朝たくさん飲んでいることがよかったのは言うまでもない。
血圧が上がっていくにはそれだけの理由があって、まずはそれを解決しなくてはならない。
それなしに血圧を下げる薬だけを飲むのは、絶対に良くない。自分で自分の健康をむしばんでいるようなものである。
以前、同僚と尿酸値が高いときはどうするのかとい話をしていた時、その人はいい薬があるからそれを飲めばいい、と言った。
僕はそれを聞いて、あぁ、これが普通の現代人の思考だなと思った。
それでは抜本的な解決にはならない。
ならないどころか、それをやると体の健康を維持しているメカニズムのバランスが崩れて、その影響が必ずどこかに現れる、というのが東洋医学的な考え方だし、
東洋医学に関心がなかった時から僕はなぜかそのことに気づいていた。
尿酸が高くなるにはそれだけの「理由、原因」があり、そこを治さない限り、絶対に根本的な治癒とはならない。
あまりいいたとえではないが、薬だけで解決しようとするのは、たとえば英語の成績の良くない生徒がいたとして、成績を上げるために次の試験の範囲の部分に出てくる単語と、選択問題の答えを教えるのと似ている。
これで確かに成績は上がるかもしれない、でも、成績が上がるのはこの試験だけであり、次からはまた元の実力通りの成績に戻るだろう。
そればかりか、その生徒は次も同じことをしてくれることを期待して、普段の勉強をしなくなる(体の健康維持メカニズムが本来の働きを放棄し始める)から、さらに成績は下がっていく。
表に出ている症状は重篤な病気にならないように体がきづいてくれと言って出しているサインであり、それを抑えるのはあるいみ自滅行為である。
そのサインがなぜ出ているのか、そしてその原因を改善するにはどうしたらいいのか、という道をたどるのが病気治療の王道、正道であると思う。
英語の成績を上げるためには、基本的な文法の把握と、単語を覚える不断の努力、そしてある程度の量の英文をとりあえず辞書を引かずにひたすら読んでいくという努力が欠かせないのと同じである。
健康というといまとてもいいものに出会った。
それは「玄米の黒焼き茶」というものだ。
玄米を何時間も土鍋でいり続けて作ったもので、それを家庭で煎じて飲む。
僕がこれを知ったのは、若杉さんという食養を実践している方のことを知ってからである。
この方の旦那さんがあるとき肺のがんになり、彼女に泣きついてきたときに、彼女が教えたのが次のような食事療法だった。
まず、玄米と菜食中心の食事、まこも茶、梅干しの黒焼き、そして玄米の黒焼き茶である。
この旦那さんはこれを忠実に守った結果、わずか半月(半年ではない)でがんが縮小し始め、たしか6年くらいはかかったのかな、それでも完治したという。
しかもこのがんは進行性のもので、診断が出たらほぼ間違いなくそれから短い時間しか残されていないというがんらしい。
僕はこの話を聞いてたぶん真実だろうとは思った。
思ったけど、やはり人間なのでどこかに信じきれてない部分もあった。
ところが、自分でも最近気になることがあって、このお茶を試してみたら、非常に体にいい影響をもたらしているのを感じている。
信じてくれるかどうかわからないが、初めてこのお茶を口に含んだ時からこの薬効を感じた。
前にもこう云う事があって、それは鹿児島のある会社が作った健康茶を飲んだ時に、なんとリアルタイムで口内炎の痛みが引いていくのを感じたことがあった。
口の中で少し回すようにして飲んでいると、ゆっくりとだが痛みが和らいで行ったのだ。
それと同じ感覚を今回この玄米の黒焼き茶で感じた。
体というのは実に繊細微妙なもので、何か体にいいものや悪いものを食べると、ほぼリアルタイムで反応してくる。
神経を集中していればそれを感じ取れると思う。
話が長くなったが、ぼくがこの若杉さんの話がまず間違いない真実だと感じとったのは、この黒焼き茶を飲んだ時の体の反応を感じ取った時である。
あぁ、あの話はやはり事実だ、とその瞬間思った。
疑い深い人はこれでも信じないと思う。
たとえば事件などを解決する刑事や探偵などが、ある一つの証拠を見つけた時に、一気に全体の謎が解けてくると云う事があると思う。
僕の個人的なたとえで言うと、僕がイギリスで勉強していた時、ある一つの統計的なデータ、証言や手紙の文面(特に第一次史料)、をみつけたときに「あ!解けてきた、これで全体が見えてきた」と思う瞬間が何度かあった。
今までそれぞれバラバラに見えていた事実や事件、情報が、その一つの鍵となるものを見つけたことで、論理的な整合性を持ってつながり始める瞬間だ。
これと同じ感覚である。
「食養」というものの存在を知ったのは、随分前の事だが、なんか面倒くさくて実際に実行するのは大変だなと思って、それ以降はあまり関心がなかった。
だが、こういう話を聞くと、実は健康維持のために大変有効なものだろうと云う事を今は感じている。
こういう事を書くと、医療関係者は気を悪くするとは思うが、西洋医学の療法というのは、次の試験の範囲と答えだけを教えることと似ている。
対するに食養などの東洋的な医療をその根底に持っている療法は、とにかく基本的な文法を抑え、単語を毎日地道に覚え、文章をひたすら読んでいく、そういう方法に似ている。
いうまでもなく、前者の方が楽で即効性があるし、後者は苦しく、しかも、次の試験の成績がすぐに上がるなどの即効性などない。
ただ、後者の方が長い目で見れば確実に成績が上がっていくし、数年後にはとてつもない差がついていく。
僕は西洋医学全体を否定してはいない。
もちろん、大量に出血した時とか、骨折した時とか、緊急に手術を必要とする内蔵の病にかかった時、または、伝染病の治療などには大変な威力を発揮する。
とくにその診断技術に関しては、目を見張るものがある。
しかし、こと慢性病の治療ということになると、東洋的な医学をベースにする治療法にはるかに及ばない、というのが今の僕の実感である。
この差を簡潔に言えば、「根治」と表面的な症状を消す(治すではない)「表象治」(僕の造語)の違いではないかと思う。
まぁ、それもむりはない、西洋医学というのは眼に見えるデータ、つまり、「外側」から本質に迫ろうとするものであり、東洋医学というのは「内側」のメカニズムというものをどういうわけかあらかじめ想定して、そこに働きかけるものだからだろう。
この「内側のメカニズム」に今のような優れた診断技術がなかった大昔に『どうやって』気づいたのか?というのは、ぼくは人類のとても興味深い謎の一つだと思う。
一生かかってでも研究できるテーマになるのではないかとさえ思っている。