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ショパンの宿りし人

2021-11-09 19:54:27 | 音楽

AIMI KOBAYASHI – third round (18th Chopin Competition, Warsaw)

 

 

 ちょうどポーランドでは5年に一度開かれるショパンコンクールが終わったばかりだ。
僕は音楽でも絵でも食わず嫌いで自分の好きな作曲家、演奏家、画家以外のものはあまり気に留めない悪癖がある。
ショパンも同じで、その醸し出す音が美しいのはある程度知ってはいたが、その美しさがあまりにも甘すぎて…たとえるなら砂糖を4杯ぐらい入れたコーヒーのような感じで…実はこの作曲家の音楽を聴くのを避けてきたところがある。


 ところがこのショパンコンクールではじめて集中して彼の音楽を聴き込んでみて、その考えがあまりにも表層的なものであったことを思い知らされた。
ショパンはもっと激しい、もっと暗い、もっと哀愁に満ちている、そして感情が奔放にほとばしる...ほとんど手が付けられないぐらいに。
ベートーベンも激しいが、ベートーベンは男性的な激しさである。それに対してショパンの激しさは...女性的といっていいのだろうか、とにかく切り裂くような激しさである。

 そして、今回ここまで聞き込んできていちばん思うのは、小さな作品一つにさえもなにがしかの「物語」が込められているということだ。非常に優れた劇作家のような、とにかくドラマがある。いうなら、作家的な作曲家というべきか。


 そしてそして、やはり彼の音楽をもっとも特徴づけるあの「高音域の美しさ」
それはこのビデオの33分16秒あたりから始まるPrelude D flat Major Op28 No15 通称「雨だれ」と呼ばれる曲に如実に表れている。
まるで白いレースか絹の布地が風に揺られているかのような、そしてそれがあまりにもこの世離れしていて人の手に触れるや否や粉々になってしまうかのような...
 
 そのような繊細さは彼女の弾くショパンの作品すべてにわたってみられるが、とくにこの曲での彼女の音の扱い方の繊細さが比類なく、他のどのピアニストもまねができない。なぜならこれは単なる技術的な問題ではないからだ。
 コメント欄でもそれを指摘する人が多くて、絶賛といってもいいほどの賛辞が散見され、ほかのだれでもなく彼女の弾くショパンをこれからもずっと聴いていきたいというものもあった。

 彼女は「1音1音をたいせつに弾いていきたい」と語っていたが、このことだろうと僕は感じた。彼女はこれらの作品(音)からショパンの魂の奥深くにある澄みきったなにかを感じ取り、それと彼女自身のもっとも深いところにある極めて純度の高いなにかが共鳴し、それがそのままショパンの音楽に誘われるようにして表出し、このような演奏へと結実したのであろう。

 Breathtaking and exquisite in every way. Aimi has already won this competition for me. As I mentioned on another performer’s video, while every major composer has a great range of expressive purposes, often one major over-arching idea or thread running through all their music (in Beethoven’s case, ‘struggle - personal and cosmic, and the relation between the two - leading to redemption’), and for Chopin, it’s a kind of unique synthesis of joy and sadness running through all his music, a wistful nostalgia and quest of salvation in a Poland of his dreams, that of his childhood, and the hope of a homeland restored, all of this, but emotionally this fusion or synthesis of sadness and joy permeating everything.
 
 While probably many or most of the musicians in this competition are onto all of this (this understanding of Chopin is mostly kind of obvious, verging on cliche), it’s what one does with all of this and how it’s processed that makes a Chopin interpretation, the pianist’s specific connection with such a journey and ability to convey it to the audience. To me, Aimi simply rises above all the rest in these respects. She’s the one I want guiding me through Chopin’s journey through joy and sorrow and hope. And it’s her playing that I can rely in when I need to hear Chopin’s message. There are many wonderful, stellar, performers in this competition, but ultimately I will choose, from among these, the musician that I feel speaking to me beyond the music, way beyond it. Aimi Kobayashi!!

Anon Ymousのコメント

 
 そしてショパンの天才はこの小さな作品の中にも、幸福から絶望、そしてふたたび光へと再帰していく物語を内包させていて、彼女はそれをしっかりと読み取り演奏として再現している。
 
 最後に圧巻なのはこの動画の最後に演奏した曲、53分ぐらいからながれるPrelude in D minor Op28 No.24である。
僕は今回初めてこの曲を聴いたのだが、素晴らしい傑作だと思った。このはげしさ、情念、そこに込められた劇的なドラマ...ある種の高貴な気品、気高さ、悲劇性...あたかも一人の人間の変転流生の一生をこの数分に閉じ込めたような作品。
 これを聴いてショパンに対するぼくの想いが大きく変わった。

 いまさらかよと思われるかもしれないが、この作曲家は決して軽く見られてはいけない。それどころかこれほどの優れたストーリテラーをほかに見つけるのは難しい。人類が存続する限り記憶され続けるだろう作曲家、芸術家だろうと感じる。


 この稀代の劇作家の作品を見事に上演して見せたこの稀代の女優、小林愛美さんの演奏は鬼気迫るほど迫真的で、僕はこの人ほど魂レベルでショパンを理解し感受している人はいないのではないかとさえ思った。感動などという月並みな言葉ではとても表現できないほど心が動かされた、今これを書いている間にも鳥肌が立ち、僕の中で何かがぐらぐらと揺れ動いている、正直、クラシック音楽を聴き始めてもう長いが、クラシックの演奏でこれほどの感銘を受けたのはこれが初めてである


 これも誰かがコメントの中に書いていたが、彼女こそ本物の正真正銘のショパン弾きである、そう感じた。
ショパンインスティテュートが出す一連の動画で、第三次予選までの動画に限って言えば、彼女の演奏がずば抜けて再生回数が多い。

これは協奏曲での演奏以外の独奏では、彼女の評価が最も高いことの表れであろうと僕は思っている。おもえば、ショパンコンクールともなれば、世界中の巨匠、歴史に残るような名演奏家、音楽教育家たちほぼすべて見ているといっていいだろう。
 
 とんでもない晴れ舞台である。そこで真価をいかんなく発揮しきった参加者たちすべてに拍手を送りたい!! 

 

コメント
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