気の向くまま足の向くまま

できうるかぎり人のためになることを発信していきたいと思っています。

あるこころづくし

2024-07-01 04:43:58 | 日記

 

 

 

 

 まず、大好きなコーヒーをほぼやめ玄米黒焼き茶を中心に飲み始めてから1~2か月たった。
理由は胃の痛みである。犬が僕が寝ているときにお腹に足をのせても痛いと感じるほどの痛みだったので、これはやばいかもしれないと思い酒もたばこもやらない僕の原因はコーヒーが一番有力だったのでとりあえずそれをやめることにした。

 そして胃にいいということをある本で読んだアロエのしぼり汁を飲み始めると、ほんとうにびっくりするくらいはっきりと胃の痛みは治まった。
やっぱりコーヒーだったのか…僕の予想が当たったことは原因が分かったことでうれしくもあったのだが、酒もたばこもやらない僕の唯一の嗜好品がコーヒーだったので、本当にこれをやめるのはつらかった。特に朝の寝起きの一杯は至福の世界に僕を連れて行ってくれていたといってもいいほどの楽しみだったので本当につらかった。

 

 でも、コーヒーと少し似た味の玄米黒焼き茶に変えたことで、そのまま放置していたらおそらく深刻な病になっていたことは間違いない症状をほぼ消すことができたのでとりあえず一安心というところだ。この玄米黒焼き茶も体にはすごくよくて、玄米を焙煎したものをお茶として飲むものであり、これ単独ではないがほかの健康食と組み合わせて飲み続けていればがんも治癒させることができるほどの逸品である。

 ただ、一袋240g約3800円と高価なのが困るのだが、いいものはそれなりの値段がするというのはこの世のあるべき姿なので、それを出し惜しみして肝心の命を失ってはまさに本末転倒、ぼくは普段は倹約家だがこういう命がかかわる大事なことには出し惜しみはしない。

 とかきながら今はコーヒーを飲んでいる(笑)ただしその前にヨーグルトをたっぷり食べて胃にバリアを作ったうえでだが。

 

 

 さて、次に変わったことといえば、パソコンを新しくしたこと。
動画づくりを新しい趣味として始めたところ、今までのパソコンの性能では動画の編集ができないということが分かり、やむを得ずあたらしいパソコンを買った。
 使ってみて思うのはとにかく早い!サクサク動く、ストレスフリーである。

 肝心の動画のほうだが映像を撮ってはいるのだが、編集はまだ初めてない(笑)編集ソフトすら買ってない。
これが僕の本当に悪いところでなんでも始めるのが遅い。これでどれだけ損をしているかわからない。わかっていても生まれ持っての性質なのでどうすることもできない。
 明日当たり買おうと思ってはいる。

 動画を撮影していて思うのは、これは前にも書いたかもしれないが一生の趣味になりそうだということ。写真を始めた時も同じ感覚を覚えた、あの時と全く同じである。
ただ、やはり写真と違って習得しなければならない技術の幅、奥行きというのかな、それが格段に高度なものが求められる。写真も奥を追求すればそれなりに深いのだが、動画はやはり作る工程表現の幅というものが写真よりも複雑なので、それだけ高度な技術、感性が要求される。

 ほかの人が作った動画をよく見て研究しているのだが、見れば見るほど自信がなくなっていく。
そこでいまはうまい人(特にうますぎる人)の動画はあえて見ないようにして、自分と感性の似ている人たちの動画を中心にみるようにしている。
最初はそれらの人の動画の真似から始めてみようと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新しく買ったOsmo Pocket3は順調である。撮っていて本当に楽しい。これは新しい世界を僕に与えてくれた。
前は一眼カメラで動画をとっていたのだが、こちらはジンバル(揺れを軽減してくれる道具)に据えると本当に重く、長時間の撮影には向かない。そこで救世主のように登場したのがこのOsmo Pocketだ。

 これを作ったDJIという会社は「そこ」に気づいてくれたわけで、僕的に言えばかなり鋭いとおもう。
たしかにセンサーサイズが小さいし(といっても1インチはある)望遠レンズもつけられないので、背景をぼかす能力は弱い。でも、今書いたように撮影時の腕の疲労をかなり、かなり、劇的なほど改善してくれるのは僕にとっては大きすぎるほど大きい。

 もしぼかしたかったら一眼カメラを一緒にもっていってそこだけ一眼カメラで撮ればいいのだ。これで何十分もずっとあの重いジンバルを付けた一眼カメラを持ち続けなくて済むというのはありがたい。それだけではない一眼カメラをジンバルにつけるととても目立つ。顔を写されることに抵抗の強い日本人だと、どうしても自分が撮られていることに気づくのでこっちも撮っていて非常に気を遣う。下手をすると露骨に顔を背けられたり、文句を言われる可能性も排除できないので、やはりOsmoのような小さな撮影用カメラの登場は僕にとっては大きな福音である。

 

 繰り返すが、そこに気づいて小さな撮影用カメラを作ったDJIという会社のすごさというものに改めて敬服する。製品を開発するときに開発者目線ではなく、ユーザー目線に立っている。この会社は中国の会社でここ数年で急成長している会社なのだが、やはりそういう急成長している会社には目の付け所が普通の会社にはないものを持っている人がいるのだろう。
 これは僕の想像だが、このOsmo Pocketはさらに進化していき、やがては背景を一眼カメラに勝るとも劣らないほどぼかす技術が開発されるだろうと思う。そうなったとき、日本メーカーはどうするのか、今から興味深い。

 

 

 それ以外にも書きたいことは2~3ある。
 昨年からはじめた午前中だけの仕事があるのだが、そこの会社(全国的な規模の会社)の会長さんから僕の誕生日になんとプレゼントが届いた。聞くと社員(パートも含めて)全員に贈っているという。ぼくは正直、驚いた。少数経営の会社でこういうことをやるのならわからないでもない、いや、それでも驚くのに、全国展開している社員がたぶん数千人はいるであろう会社がそういうことをやるとは驚き以外の何物でもない。

 それは夫婦湯呑(こういう言い方があるのかはわからないが)である。
先輩社員に聞くと社内では不評なんだということだった。もちろんその「不評」である理由はわからないでもない、けど、ぼくはそんなことよりもその会長さんの「こころ」に動かされた。

 

 別の先輩社員が示唆したようにその湯呑を作っているひとびとへなんらかの恩義があり、そういう形でもじどおり恩返しをしている可能性はある。
しかし、ぼくはそれだけではないような気がする。それだけではこれほどの経費のかかることをしないだろうと思うのだ。
 太宰治の小説に作家の「こころづくし」という言葉があったが、会長のこの行いの背後には絶対何らかの僕らに対する「こころづくし」があるはずだ。

 これだけ経費の掛かることだから当然社内にも異論はあるだろう。自身ももしかしたら悩まれたかもしれない。でもそれをあえてやっている背景にはなにかがあるはずである。
 僕はあれから時々その湯飲みが入った木の箱を見る。それをみるたびに自分の内部がじわーっと暖かくなっていくのを感じる。そしてその会長さんのどこか古代中国の哲人にも似た容貌が浮かんでくる。

 

 この会社の社内報というのかな、小さな冊子を来るたびに読んでいるのだが、やはり会長さんの書いた文章からはどこか人格の高さをにおわせる香りのようなものが漂ってくる。僕が思うのは、生きているとどうしても理不尽なこと、不条理なことに直面せざるを得ない。そんなときにこの会長さんは自分が贈った湯呑を見てほしい、それを見て忍んでほしい、耐えてほしい、大げさかもしれないが生き抜いてほしい、そう思って僕ら一人一人に贈っているのではないか…ということである。

 これはやはりひとつの愛だろうと思う。
これは勿論僕の希望的な解釈であるかもしれない、しかし、そうではないかもしれない。大規模な会社が会社の資金を使ってこのようなことをするからには、そこにはなんらかの強い、存在感のある「こころ・意志」がなければできないと思うからだ。

 

 あの湯飲みは今も机の上にある。みるたびにこころに白湯がしみ込んでくるような気持ちになり、大きな励ましに似たものを感じる。

 

 

 

 


 

 

 

 

コメント
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