写真は長寿寺境内
鎌倉に長寿寺という寺がある。
前からそこにあることは知っていたのだが、普段は公開していないので門のところから中をのぞくだけだった。
一般公開しないと云う事で、もしかしたらそうとう高飛なプライドの高いお寺なのかな、などと考えていた。
今回、偶然公開している日に鎌倉に行ったので初めて入ってみた。
そこでご住職と少しお話をしたのだが、高飛なんてとんでもなく、なんともやわらかい、柔和なご住職だった。実際、そのお人柄に静かな感動さえ覚えた。
普段公開していないせいか、他の寺にありがちな俗っぽさがなく、また、たまたまその時が閉門間際だったので人も少なく、鎌倉の寺というよりもどこか田舎の無名の寺に来ているかのような粛寂としたたたずまいだった。
この寺は、足利尊氏本人か、または、彼の子供が創建したといわれている。
尊氏の墓は現在ここと京都にしかない。
本堂の中を拝見した後、裏山のほうへ行くと尊氏の墓があった。
そこで僕は自分でも予想外のことをした。
下が石畳だったにもかかわらず、僕はそこに思わずひざまずいて正座し、深々と頭を地につかんばかりに下げて墓参したのだ。
どうしてもそうしなければいけないような気がして思わず体が動いた。
たまたま周りに人がいなかったのでよかったがいたら気でも狂ったのかと思われたかもしれない。
普段こういう芝居がかったことはしない人間なので、いったいどうしたことか自分でもすぐにはわかりかねた。
実は今でもわかってない。ただ、もしかしたら、僕は前世で尊氏につかえていた武士だったのかもしれない。
あるいは、朝廷、もしくは、鎌倉幕府に迫害されていた弱小武士だったのかもしれない。
そういう状態でいるときに、尊氏に救われた過去世があるのかもしれない。
いずれにしても、何かがあるのではないかと思う。
そう、僕が鎌倉にこれほどまでひかれる原因のなにかも、この時代にあるのかもしれない。それなら腑に落ちるような気がするのだ。
実は尊氏のことは昔から好きであることも確かだ。
何が好きかというと、何か破天荒で、権威を権威とも思わない反逆児的なところが好きなのかもしれない。
彼は信長などと違って、確たる信念に従って生きている、というタイプではない。
常に迷い、考え、そうやって沈思黙考したわりには、結果として破天荒なことをしている(笑)…そんなところが好きである。
しかも今も述べたように、権威を権威と思わない、どこか、秘めたる「狂気」のようなものも持っているような気がする。
そうでありながら、信長のような怜悧なところがなく、非常に人間的である。
中国史で言えば、やはり劉邦に似ているような気がする。
ただ、劉邦のように権力を取ったら急に人が変わったようになり、それまで共に戦ってきた同士たちを粛正するようなこともしていない。
弟の直義を殺したではないか、という人もいるかもしれない。
確かにそうだが、あれも、迷いに迷って最後まで避けようとしたのだがやむを得ず、という感じがする。
劉邦のように冷血に粛々と、という感じを僕は受けない。
NHK大河ドラマ「太平記」の直義を毒菓子で殺したシーンは圧巻である。
「よくぞご決断なされました、これでいいんじゃ、兄上は大将軍じゃ」
という直義の言葉は、権力というものの中枢でその渦に巻き込まれていった人間の性を見事に浮き上がらせてはいないだろうか…
それにしても尊氏という人は因果な宿命を背負った人である。
共に戦い、鎌倉幕府を打倒し、後醍醐天皇とも戦った兄弟二人でありながら、最後は「権力」というものが持つ魔の力に取り込まれ戦うことになった。
さらには、子供の直冬にまで背かれ、その反乱に生涯悩まされた…
北条高時、後醍醐天皇、楠正成、新田義貞、高師直、足利直義、直冬…そして尊氏、あの長い戦乱を通じて誰一人勝者はいない……
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