KOFUKUの家から

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11月~天の御国に住む人々の月によせて

2008-11-01 | KOFUKU日記
11月になりました。
昨日から急に寒くなり、木々も色鮮やかになり、秋もぐんと深まった気がします。
今日は晴天。近くの国立競技場からはサポーターの方々の応援する声が風に乗って流れてきます。

さて、私は特定の宗教を持ちませんし、どの宗教も思想もまったく否定もいたしません。
それぞれの方の中にある思いに尊敬の念を抱いています。
そのせいでしょうか、本当にたくさんのスピリチュアリスト、
そして宗教家の方々とたくさんのご縁を頂く人生を送らせて頂いています。

自慢にはなりませんが私の実家はこの経済大国日本においてかなり特殊で(笑)
相当数値の「貧しさ」の中に位置しているといえるでしょう。
貧困というものはなかなかやっかいなもので、抜け出そうとしてもそう簡単にはいかず、
貧困が貧困を生むという連鎖に囚われます。
かといって国や周りが助けてくれるかというと、そういうわけでもありません。
そりゃあ当たりまえですよね。
周りの人は一生懸命働いてその生活を維持しているわけですから。
その次元で暮らす人には貧困の中にある現実は上手く理解できようもありません。
なぜなら、ご自分と同じ時空で生きているように思われるからでしょう。
そこにはどうしても「理解の溝」のようなものが生まれてしまいます。
きっと全世界の貧困への認識もあんまり変わらないでしょうし、
まあこれらは現段階では仕方のないことでもあるので、
そこに関してあまりどうこうと語りたいとも思いませんが、
自分の中に一つ、死者の日に関連する出来事で
そんなことも大きく関わっている思い出があるので書こうと思います。

11月はカトリックでは「死者の月」といわれているそうです。
そして明日の11月2日は「全ての死者の日」なのだそうです。
なくなった全てのたましいに思いをはせ、祈る日です。

私にはスピリチュアりストの祖母とおじがおりました。
祖母は私が生まれる前になくなりましたが、
おじは2003年の9月21日に帰天しました。
おじはその頃、一人暮らしていましたが、急に倒れ、病院に運ばれ、
癌の末期であることが分かりました。
普通は身内が倒れれば、その家族が面倒を見る、というのが当たり前でしょう?
ところが、私の家ではそれが出来ませんでした。
おじも私の家族も国から援助、つまり生保と呼ばれる援助を受けていたからです。
生保対象であるということは、生活がギリギリであって、身内の病院代など出せるはずもありません。
ましてや、わが実家にお国が与えてくださった住処は一番近くのお店まで車で30分と言う山の中。
現在はわずか一軒だけ残っていた農協の売店さえなくなり、街まで降りていかねばおかずも買えません。
けれどバスは微妙な時間帯に日に二本しかなく、そこに住む人はバスでは仕事にも行けません。
しかし、生保の受給者は車は持てません。
さあ、これで一体どーやって働け、暮らせとお国は言うのでしょう、
と言うのが現実だったりします。
もちろんお国は働いてくださいというだけで、仕事は見つけてくれません。
足だって探してもくれなきゃ、用意もしてくれないのです。
でも、生保が受けられるだけまだましです。
それさえ受けられなかった頃の我が家はホームレス中学生なんて
笑い飛ばす位のハードなハードな環境でしたから。
なんせ私は小学生から普通に家計の為に働いておりましたもの。
あ、ホームレス中学生の彼を馬鹿にしてるとかではないので~。

えー、脱線しました(^^;)
で、そういう環境だったので、おじの身内は姉である私の母だけでしたが、
病院から連絡は来たものの引き取ることも会いに行くことも叶いませんでした。
なぜそうだったか?
生保を受けるには一親等の家族関係における権利なるものを手放さなくてはならなくなります。
つまり家族に誰か財を持つ人がいたら、その人が面倒見なくてはならない義務があります。
けどそれが出来ない、つまり家族としての援助が出来ない、
つまり家族関係を全て放棄するなら助けてあげるよ~、というのが生保です。
自分が家族を助けてあげられないとしたら、それを飲むしか助けてあげる方法がありません。
だから基本的に簡単にその義務を放棄した人間は家族とは会わせて貰えないのです。
短い期間帰るにしても申告などが必要になります。
だから私には実家はないも同じでした。帰るところはすでにありません。
母も、そしておじも同じ関係でした。だから会うことが出来ませんでした。
お互いの生活を守るためには仕方なかったのです。
病院のベッドの上で、母を、姉を呼んで、呼んで、呼び続けて、
待って、待って、待ち続けて一週間、おじは一人で天国に行きました。
母は亡くなったと聞き、耐え切れず病院に向かい、
たった3分だけ会わせてもらえたそうです。
そして引き取り手のない、おじの遺体は国によって検体に取られました。
その検体に運ばれるまでの3分が母に許された時間でした。
今もおじの身体はどこでどう使われ、どうお骨になったのか分かりません。
この国の医療は多分にそういう人々のお体を持って研究がなされているのでしょう。
裕福な国「日本」の、生保受給者やそして身寄りがない、貧困という最中にある人々の現実の一部です。
多分私も誰かがお葬式出してくれなかったら同じ運命です。

さて、そうして弟を失った母は、自分を責めました。
言わないけど、それが私には分かりました。
南と北で遠く離れていたけれど、それが分かりました。
「せめてお葬式を出してやりたかった」
そう母が言ったそうです。

私はその春にたった一人の家族であったソウルメイトを亡くし
その頃私は北海道にすんでいましたが、その報告を受けて、
何とかお葬式が出せないものか、せめて戒名なりとももらえないものか、
あちこちに電話したり、お願いに行きました。
色んなお寺に聞いてみました。でも答は一緒でした。

「遺体もお骨もなければお葬式は出来ない。
宗派が違うからそういうことは出来ない。
戒名もつけられない」

諦めていた頃、同じ北海道で同じ学校に学ぶ、
カトリックのおばあちゃんシスターが声をかけてくれたのです。
お葬式のおミサをたてられるように教会に相談しましょう、と。
そうしてそのシスターのご助力で、遠く秋田の修道院で
おじの月命日の10月21日にミサをあげて下さったのです。
ありがたいことでした。

位牌もないおじでしたが、実家ではとっても現代っ子だけど、
ダレよりも優しい一番下の妹が紙に名前を書き、
お花を飾って供養してくれていました。
そのことを妹がおじに告げて季節柄、野に咲く紫の野菊の花を供えると
ミサの次の日、紫の花から真っ白なつぼみが開きました。
そういう不思議が当たり前に起きる我が家でしたので、妹からはそれを受けて
「しんちゃんからありがとうね、って返事が来たよ」と連絡があったのでした。
スピリチュアリストのしんちゃんらしい返事だな~と
懐かしいような、不思議な気持ちになったのを覚えています。

それから一週間後にそのミサをあげてくださった秋田の聖体奉仕会の修道院に行く機会に恵まれました。
仲良しのシスターは学校では見たことのない、シスターのお姿で待ってくださっていて、私に言いました。
「明日の11月2日は死者の日ですから、その日に死者の方へミサがたてられます。
そのリストにソウルメイトの方とおじ様のお名前を入れていただきましょうか?」
そうして名前が入れられて、共に教会堂で直接祈りを捧げることが出来たのでした。

最近、天にいるおじの魂と触れ合う機会がありました。
「姉ちゃんが来てくれたあの短い時間はとっても大事な時間だったよ」
とおじが伝えてくれました。
今は寝たきりになって眠りの中に居る母が聞いたらどんなにか喜ぶでしょう。

人には必ず生まれた日の様に、最後の日がやってきます。
けれど、おじの様に一人逝かねばならぬ人もいます。
同じようにそんな環境にある人がたくさんおられるでしょう。
この世にあって、出来るならハチドリのひとしずくでもいい、
少しでもそんな人をなくしたい。
家族でなくてもいいと思う。
私は生きる限り、愛あるぬくもりの傍で、この世に愛を持って別れを告げられる環境を創る一人でありたいと願います。
天に帰った後でもかまわないと思うのです。
「すべての亡くなったたましい」の為に愛を捧げたいと思います。

明日は「すべての亡くなった人のたましいに思いをはせる日」です。


<カトリックの祈りから~死者のための祈り>

「あなたのもとに召された私達の家族、友人をあなたの国に迎え、栄光に与る喜びを御与え下さい。主よ、私達の祈りを聴き容れて下さい。

不慮の死を迎えた人々を顧みて下さい。その罪を赦し、家族の悲しみをやわらげ、へりくだる者に約束された慰めを御与え下さい。主よ、私達の祈りを聴き容れて下さい。

あなたのもとに召された全ての人が、キリストの贖いに与り、永遠の喜びに入る事が出来ますように。主よ、私達の祈りを聴き容れて下さい。」


私の家族は現在は倒れた母の命を守るため、
弟の保管していた車にて父が病院に搬送しした事が発端となり、
お国から受給をとめられました。
母の病院に通うためには車の所持が必要でしたが認められず、
現状の確認も全くなされないまま、受給がとめられています。
現在は実家の家族全員の出来る限りの努力と
普通に生活することが難しい生活環境を理解してくださる
皆様のご協力によって現在の生活を維持しています。
この場をお借りして、私の家族の為に協力してくださっている
多くの方に心より御礼申し上げます。
そして人命よりも法律、と言うような行政の体制が緩み、
私の母の様に、そのために病状が進行してしまい、
取り返しがつかないような悲しみを抱える事のない様、
本当に助けるべき人々が国によって助けられるように願っています。