
今夜はりんごジャムパンを食したあんじゅです。
私の中で「味音痴?」と思ってしまう人というのは
お醤油やお味噌や素材の味を単純に「甘い」とか
「辛い」とかだけで表現する人を指すかもしれない。
いや、だからってですね
「味の洪水や~!

とか言わんでよろし、と思うほうでもある(笑)
私は生粋の九州人。そして食べるの大好き。
仕事柄、日本全国の全都道府県に行っているので、
結構地方の味も知っている方だと思う。
日本はなんて美食の国なんだ~と心底思う。
でも、
「九州のご飯以上に美味しいものあんの~?」
と、言い放てるほど「九州の味」LOVE

先日、我が家の家族が始めて上京してきました。
その際、今はなんせ「ど貧乏」ゆえに
たいしたお世話はしてやれなかったのだが、
それでも喜んでくれて、お礼に何か送ってくれると言う。
そこでリクエストしたのが「地元のお醤油」だった。
唐突だが私は卵が好きである。
卵かけご飯や玉子焼きがとても好きだ。
それだけでご馳走なので、他には何もいらない。
調味料はお醤油のみ。
好みの問題なのでお好きな方の批判なんてする気も何もないが
でも砂糖入れた玉子焼きなんてあたしの食生活には邪道なのよ(笑)
お醤油のみの玉子焼き万歳!である。
ところが上京してから、いや、日本全国各地に移り住んでから、
その食事の味を左右する「お醤油」や「塩」「味噌」の味が
各地で違いすぎることに結構ショックだった

特に岐阜県に住んでいた時は味の違いにあり得ない位驚いた。
そしてせめて玉子焼きくらいはと思って一生懸命作ったが
決してあたしの好きな味にならなかった。
そして長い年月、私は自分の中の大好きな玉子焼きと出会えていなかった。
そんな時、妹と弟が「これは旨い!」と言う一押しのお醤油を送ってくれると言う。
ものすごく嬉しかった

うちは現在は故あって本当に貧しいが、ずっとそうだったわけでない。
あたしが8歳くらいまでは人もうらやむお金持ちであった(笑)
マジで水曜日はシェルと言う地元に当時は一軒しかなかった
本格的なフランス料理レストランでの食事と決まっていた。
4歳にして「スープはコンソメ・ジュリアンにしてね

とかのたまっちゃうお譲ちゃんだったりした。
当時日本で一番のマンモス小学校にいたが、
節分の折には父が3300人分の節分用の豆を寄付していた。
そのくらいは裕福だったので、多分、
食べ物も美味しいものを食べさせてもらったと思う。
さらにその頃はもう居なかったおばーちゃんが
鹿児島でも群を抜いた大店の高級乾物屋の超お嬢様であったため、
代々、出汁と調味料にはうるさかった。
だって出しの味のしない味噌汁なんて、味噌汁じゃないべさ?って感じ?
昔、かつおぶしを枕崎から背負子背負って売りに来る
行商の可愛いおばーちゃんたちから買っていた頃は
母が毎日しゃかしゃかとかつおぶしをかいて、
煮干の頭とはらわたを取り、どっちもわさっと片手に握り
そのままなべに放り込んで出汁をとった。
そうでなくてはうちのお味噌汁は成り立たなかったのだ。
一緒に暮らしてた母方のじーちゃんは、関西が長かったので
関西風の出汁のとり方がとても上手かった。
お正月にニシンや青い魚を巻き込んだ昆布巻きを煮てくれるんだが
昆布の出しだけでとろけるまでに煮込んだ昆布巻きは絶品だった。
このおじいちゃんは食べるのが好きで作るのも好きだった。
ぼんたん漬け(ボンタンと言うみかんの砂糖漬け)や金柑煮、
果てには原っぱに行って葉っぱを取ってきて薬草茶なども作っていた。
一緒にバラの花びらのお砂糖漬けとか、リキュールボンボンとかも作った。
この人もまた変わった美味しいものを教えてくれたと思う。
このおじいちゃんもまた人生がとっても面白くて
戦時中は日本で2番目に大きな竹製品を扱う会社の社長で、
当時は全日本軍の半分の竹製品を納めていたそうだ。
店は神戸に本社があり、中国北京にもお店があった。
だから母は幼少期を北京で過ごしている。
ついでにおじいちゃんは中国語、ロシア語、ドイツ語がしゃべれた。
中国語にいたっては、中国人並みで、実はシベリア抑留者だが
ロシア語が話せたので看守と仲良くなり、自分の隊全員を逃がしてもらった。
だが他の人は次々と日本人とわかり捕まってしまった。
しかし、じいちゃんはまんまと中国人になりすまし
3年を中国人として暮らして、お金をためて日本に帰ってきた。
私は中国語が好きで、昔よくテレビの語学講座を見ていたら、
ある日、じいちゃんが来て、途中に流れる中国語の歌を一緒に歌った。
マジで中国人だった。その後、テレビの質問に中国語で答えていた。
今もよく民芸店などで扱っている、孟宗竹の節を使った
お漬物などの入れ物はわたしのおじいちゃんの特許である。
昔はお漬物など樽で売られていて重くて持ち運びに不便だったのだそうだが、
ある日、蛇の目傘に竹の節が使われていることを見て、
竹の節を入れ物にすることを思いついたのだそうだ。
写真となぜかこけしつくりが趣味のかなり面白い人だった。
話がそれてしまったが、その様な味にこだわってくれるお家だったので
父(九州濃い味)、母(関西風出汁味)と味の大きな違いはあったが
おかげさまで「ものを美味しく食べる」事にたけているんじゃないかと思う。
ちなみに醤油を送ってくれる妹も弟も料理上手である。
弟はある有名焼肉店の店長代理もしてたくらいで手先も器用。
母がとても高齢で産んだ為、働く姉と老齢の母に代わって
もうずいぶん昔から厨房にたっている。
当時はもう貧乏だったから食材の無駄ない工夫や調理も上手い。
妹は私たち上の姉が家を出た16才のときからずっと
料理や家事をして親の面倒を見ながら弟を学校にやった。
私も出来るだけの援助はしてきたが、
一緒に暮らしていた彼女は本当に大変だったと思う。
私が今あるのはこの人たちの頑張りのおかげなのだ。
ありがたや、ありがたや。
さて7年前、急に一人になって実家に帰ったときも
この弟がいろいろとご飯を作ってくれた。
当時はまだ甥っ子が2歳半でちいさかったので
大人の食事を作りながら「あいつが好きだからねぇ」と言いつつ、
甥っ子用のおかずを同時に作る弟に「出来る主婦」をみた(笑)
先日きた時も弟が食事を作ってくれて、カンナちゃんはかなり感動していた。
何もしてくれなくても料理してくれたら幸せかも~と思わせる

弟の作るものはかなり美味しい。そして見た目がきれいなのだ。
多分、これは母方のおじに似てるんだな。
しんちゃんという母の亡くなった弟は、
霊能者でお料理が趣味で上手だった(笑)
いろいろと美味しいものを作っては食べさせてくれたが、
何より思い出に残ってるのは盛り付けが美しかったこと。
これは母も上手なんだが、私は残念ながら似なかった。。。。
でも弟はそのテクをDNAで継いでいると見た。
先日、その二人お墨付きのお醤油が届いた。
じゃじゃーん


丁子屋さん(マルチョウ)のお醤油さんたちである。
わーい!わーい!
早速、洗足のお店に空き瓶と友に持っていくことに。
お世話になった長谷川先生とカンナちゃんには分けてあげなきゃ~。
しかし、ここでしばし悩む。。。。
ううう、いったいどれを上げればよいのかしらん???
そこで丁子屋さんのHPに飛んでみた。
それぞれのお醤油の特徴を読む。
フムフム、なるほど。
そして、一番甘みの少ないお醤油「むらさき」を持って行くことに。
東京のお醤油に慣れている人には、一番食べやすいかもと思ったのだ。
そしてお店にて初開封~~~~~^^
あああ、お醤油の美味しいにほひ~。
そして、カンナちゃんに味見をしてもらう。
カンナちゃん、ひとなめして叫ぶ。
「味がある!

カンナさん、さすがです。いいこと、おっしゃる!
食べるの大好きと言う人にありがちな質より量のお方ではありませんでした。
そうなんです。鹿児島のお醤油は「甘い」のではなく
「味」つまり「旨み」があるのです。
カンナちゃんはお醤油に味があると思ったのは初めてだそうです。
むらさきは一番鹿児島特有の旨みが少ないタイプですから
今度は昔ながらのお醤油「つる」をお分けしたいと思っております。
どんな反応があるか今から楽しみであります。
あ、その後に早速お醤油で玉子焼きと焼きそばを作って食べました(^^)
非常に美味しかったです。懐かしい味でした。
早く「つる」で作りたいですね~。
故郷があるっていいですね。
懐かしい味とともに、いつもそこに誰かが居るんですよね。
懐かしい風景があります。いいものです。
今日はお醤油の美味しい話から、懐かしい人にも会えました。
おいしいお醤油をありがとう。
ああ、明日は卵かけご飯しよ。