
【こもれびきらきら】
久しぶりに病院に行ってきました。
なぜ久しぶりになったかというと、ぴーちゃんの手術や体調不良があって、
その上に担当医の先生が突然にご退職されてしまったから…( ̄▽ ̄;)!!
2年半…2年半です。
ここまでかかって、やっと仲良くなって、
もう少し話できる気持ちになってきた矢先…。
ショックすぎる…(´д⊂)
そんなこんなで行ってきました。
新しい担当医は、前担当医の実のお姉さんです。
よくお顔が似ています。
でも、やっぱりですねー
振り出しは一から戻るんだなと実感しました…
今は2年半後に同じ気持ちになれるかわかんないデス。
はー、私にはそんな簡単じゃないんだよなぁ。
そんなに簡単に行かないんだよ。
(´Д`)ハァ…

【のんびりいきますか?】
まあ、ぴーちゃんの病気にしても、先生のことにしても、
こういうことが突然に起きるっていうのは、
生とか死とか過去の出来事とか未来に関わることで
直接的に精神を揺さぶられることなわけだから、
自分のココロってのを新たな局面から見つめる時期なんだろうと感じます。
そういうことに、特に昨年末くらいから敏感になっています。
そのせいか、最近、面白い様にいろんなコトが連動してます。
先日、相方さんの幼馴染のKくんからメールをもらいました。
それは相方さんに関わることで、私が以前から考えているある事に関する内容。
私の中で考えている大事にしてることなので、ここでは言えないけど、
まあ、それがきっかけで、結構長い時間、彼のことや自分の事をお話する機会がありました。
役者と木工作家という在り方は違いますが、ココロで感覚を捉えて、
それをイノチとしてものづくりをするという点では共通のものがあります。
なので、なんと言うか、自分の感覚を伝えやすいし、相手の感覚も捉えやすい。
他の人に理解してもらえない言葉がわかる感じなんですよね。
久しぶりに「言葉が通じた」感覚。嬉しくて、とても有難かったです。
そう言うコトがある度に、私というものを再確認していきます。
私は何が好きなのか?私は何をしたいのか?私はどんな人間か?
そういうものと向き合い、考えるのデス。
私にとって「仕事(役者やウタイビトや造り手であること)」は
純粋に「生きることそのもの」なんデス。
だから、いつ、どんな生き方をしていても、それはガッツリ「仕事」に繋がってる。
多分、これを、なんの説明も必要とせずに「この人はそう言う人」
と理解して認めてくれたのは、ソウルメイトと相方さんだけでしょう。
Kくんも言ってたけど、コレがなかなか理解されません。
まあ、それを感じたことがなければ、わからないかもなぁ。
いや、中には同じ役者であっても解らん人はいますよ?
以前、一緒に仕事としてた役者さんが、裏方やってる私に言いました。
「今やってない人には役者の気持ちはわからない」
正直、自分の世界を作ってくれているスタッフに対して、
「コイツ、よお言うなぁ」とその時は呆れただけでしたが(笑)
あとから相方さんとその事を話したことがあります。
その時、自分に確信したことはですね、
その言葉を言った方の役者生命には終わりがつきまとっていて
私と相方さんの中の役者生命は永遠なんだなって事でした。
その方は、演じてる時だけが、役者でいられるんでしょうね。
相方さんや私は生きていること全てが役者でいることなんです。
その事を、その言葉のおかげでリアルに知ることができました。
まあ、同じ様な感じで、周りの方からも色々言われます。
こういう生き方してると、ドブにイノチを捨てて生きてるように思えるんでしょうね。
もっと才能を活かして何かやるべきだと言われます(^_^;)
それが元気になる道だし、社会貢献するべきだ、と。
そのお気持ちはありがたく感謝し享受しながら私は思います。
気持ちのないものなんか、やっても意味がない、と。
それは、全然、ココロが生きていないからデス。
ココロが生きているという意味ではダメでいる瞬間の方が大事です。
ココロが動いているからです。
まあ、そうは言っても、伝わらないかもなんですが(^◇^;)
とにかく私は自分の選んだ仕事(生き方)に対して、きっとものすごく貪欲です。
多分、きっとそれは、それしか出来ないからだなと感じてます。

【いつでも気持ちはこの時のままだから】
ソウルメイトや相方さんが私や自分を表現するコトバの中に
「俺たちは人である前に芝居(芸術)結婚しちゃってる」
と言うのがあるんですが、「まさに」な表現です。
普通は多分、やりたい事をやるコトが生きがいで生きてる人が多いと思うケド、うちらは違うんですよね。
ただ、ただ、単純に、それをやる為に生きてる。
それをやらなきゃいけないから、働いて、食べる。その為に生きてるんです。
それがあるから、人と関かかわれて、例えば恋愛とかもできるんです。
生きてるど真ん中に「仕事(生きること)」がある。
だから恋愛とかが仕事よりも先行することなんてナイ、と言っていいかもしれない。
すべてが、やりたいことをして生きる、
つまりは自分の魂を形成する世界を作りながら生きてることにイノチをかけてる。
食べていかなきゃいけないから、仕事をするとかじゃなくて。
芝居しなきゃいけない、歌わなきゃいけない、それには生きなきゃいけない。
そのために食べなきゃいけないから、生きる為に働く。
それができなかったら、死んでも仕方ない。究極、そこ。
死んだら歌えない、芝居できないから、必死に生きてる。
ある時、相方が飲み屋でおじさん客に「芝居なんか趣味だろ」としつこく絡まれました。
彼は笑っていたけど、最後に真っ直ぐ相手の目を見つめてこう言った。
「そう、趣味ですよ。俺はその趣味に命かけてるんです。
貴方はなにか命をかけてやってることってあります?」
これは自分らのマジな気持ち。命かけてやってんのだ。
普通、人はこれって出来ない。社会に出て、そう知った。
そんな生死をかけた生き方は怖くてできない。
自分たちだって恐れがないわけじゃないけど、恐れ持ってては出来ない。
それをやるって結構根性も覚悟もいるんだよ。
そういう大きいものを飛び越えて、相方さんや私は生きてたわけだし
今も私はその延長線にいるのだから、そりゃ、普通の生きてるところからは
私の生きている道は見えまいよ。そりゃー理解はされないかもなぁ、とは思う。
とにかく、生きてるってこと自体が、あたしには俳優修行にほかならない。
だから、生きてると、いい時もダメな時もあるけど、
感じてたことを、とにかく全部忘れたくない、って思う。
これは紛れもなく自分が生きる為の糧だと感じてるから。
感じたモノから共感を得て、演じるものにたどり着いていくしか
私が演じる確かな方法はないから、与えられる環境や経験にそれはかかっているし、
何気ない日々で作り上げているものは、もう小さいことのどんなものでも
自分の一番芯になるモノに確実につながってて、そのひとかけらでもあるんです。
だから、何もしてないように見えても、実際、何もできてなくても、全然死んでないデス。
「出来無い」ことを真剣にやってます。これ、私にとって、すごい大事です。
コレが作業。役者としての訓練です。全部、自分の「仕事」に繋がってるんです。
相方さんは生前、毎日「訓練」してました。
自分は心の動きが私のように過敏じゃないからといって、
一人っきりで、いろんなシチュエーションを考えては
リアルにその気持ちになるところまで、それを考えて感じていくんです。
時には大事なモノを失ったり、死んじゃったりってコトも考えるから
元々、感情を引きずりやすい相方さんは結構ダメージを受けてたなぁ。
彼が病気になって、それをご家族に話したら、
「なんでそんなことまでして…」
それが病気の原因になったんじゃないか?位に言われたけど
でも、その訓練が彼にとって、一番大切な稽古だったとわかってたから
わたしは止めることなんかできなかったし、ものすごく大事なことだと思ってた。
今も後悔してない。逆にもっともっとやらせてあげたかった。
私が彼と違うのは、稽古時間を作って敢えてやるのではなく、
日々の全てを通して、それをやってるタイプってだけのコト。
今も変わらず、そうであるということ。
実際、そういう世界が今は近くにあるわけじゃないし
未来にそういう世界に触れる機会があるかもわからない。
でも、私はずっと自分だし、それ以外になれない、と思ってる。

【まっすぐに生きてるよ】
私は今、リハーサルやバックステージのメイキングを見るのが好きです。
もちろん俳優や歌手はその人が存在しさえすれば成り立つモノ。
けど舞台や映像や番組を作るとなると一人じゃ絶対できない。総合芸術の極み。
私はそういう世界を作り上げていくって作業が死ぬほど好きなんだと自覚してる。
演じる側の本人と、それを作りあげる誰かが、見てくださる方々のために
命を込めて作り上げた世界や人物を生かすために
それぞれのコダワリのみで生きてる様な大人たちが四苦八苦しながら、
泣き笑いながら、形にしていく、創る方も創られる方も必死。
わずか数分のシーンのために、ものすごい人の力と、
それを受け止める人の努力がなくては、見てる人に届かないモノ。

【最近のココロ動かす研究対象 関ジャニさん(笑)】
私は昨年秋の終わりくらいから家族の影響で関ジャニ∞さんに出会わせてもらい、
最近特に良く見せてもらってる。
昨日「カンナちゃんに関ジャニにそんなにハマるなんて思わなかった」と言われて
それはなぜかって、2時間ぐらい自分の気持ちを熱く語ったのだが
多分、理解してもらえてないかも(笑)
単純に「私はミーハーじゃないってそう言いたいんでしょ」って取られてるかな(笑)
周りの人は大概そう言う風に感じるのかもね。
この私の持つ感覚を言葉で言わなくても感じられたら、多分、同志だ(笑)
多分、私とモノづくりしてきた人にはそれが理解できると思う。共通する感性があるから。
でも、ファンとはすっごく違うの。ハマってるのとも違うんだな。
全然違うんだよね。うまく表現できないけど。
うん、大好きだよー。非常に高感度持ってるよー。
(≧∇≦*)きゃーってなったり、誰々くん、かっこいい!とか思わない(笑)
グッズが欲しいとか、コンサート行きたい、とか思わない。
だから、残念ながら、ファンの人のそういう感覚に素直に頷けない(^◇^;)
今朝もエイター仕様にカスタムしたお靴を嬉しそうに履いていた
カンナ嬢を「すげえなー ファンってすごいなー」と見ていた私がいる。
(いや、ファンの人のそういう行動は微笑ましくて可愛いと思うんですけど、
自分はどうしても、そういう気持ちはならないのだ…絶対的に…)
私は女性として性的な感覚を含めアイドルや俳優を見ても全く触発されない。
そういうのには、まったくもって興味がない。そう言うドキドキは一切ナイ。
つか、そう言うかっこよさを持った男や女は周りにいくらでもいるので、
特別カッコイイとも思えないという不幸もあると思うが…(^◇^;)
それじゃあ、何?彼らのなにがすきなの?って思うでしょー?
何に惹かれてるの?と言われたら、これしかない。
「才能」
私にとって「才能」とは「魂」そのものを指す。
私はその才能を感じることに、ものすごく興奮する!
そして、そういうものを見たり感じたりすることで、自分をも高めていく。
相方さんもソウルメイトも、そう言う「才能」を持ってた。
一緒にいた一番の理由はその「才能」を創る「魂」を愛したからだ。
まず、それがあって、人との関わりにつながった。
私には、それが大事。その魂が、その人を造っているのだから。
相方さんたちは、当然別格なわけだけど、
時々、この人の才能に触れたい!この人の持ってるものが欲しい!
と思わせてくれる才能の持ち主がいる。
自分の仲間たちはそれを持ってる人が多い。
その才能をめっちゃ尊敬してる。


【同じ感覚を感じられる別格な人たち 相方&仲間(笑)】
そして、そう言う人に同じ匂いを感じる。同じ星から来てる感覚。
それが自分に語りかけてくる。
そういうものを感じると集中してその人を観るようになる。
その人持ってるものを知りたい。あの才能の理由を知りたい、と思う。
その人の中にある魅力的な才能を全てを味わいたい。吸収したい。
そして自分の中にそれを取り込んでいきたい、私もアレが欲しいと切望する。
それを自分の取り入れてく作業がものすごく好きなのだ。
誰かとモノを創る。役者業、これはまさにそれにあたる。
誰かを育てる。演出やプロデュースがそれだ。
モノを書く、モノを創る、すべてそれにあたる。
才能と交わり合う。そこに深いエクスタシーすら感じる。
そこで得たものが自分の才能の中に蓄積されてく、
その満たされてく感覚がすごく好きなのだ。
相方さんの死後、人との交わりが無くなったこともあるけれど
あまり突出した才能に出会わなかった。
ところが、偶然に関ジャニさんに出会ったのだ。まずは歌から。
そこに、自分や仲間や相方さんたちと同じ感覚を深く感じた。
次にこの人が歌っている様を見てみたいと思いDVDでライブを見た。
当然だが、エンターテイメントとしてプロの目線で見てしまう。
でも、そこで、このグループに同じ才能を感じた。
始めて、こういうアイドルとかグループに、才能を感じて、
その出来事自体が「面白い」と認識した。
その才能のおもしろさにドキドキワクワクした。
彼らはセルフプロデュースしてる部分があるのがものすごく解る。
自分がプロデューサーとして、人を創ってきたからわかるけど、
もちろん、その個体そのものの魅力がなくてはならないが、
大体は周りの大人によって、その個体のいろんなものが作られていく。
それが芸能界だったりする。
以前、相方さんやソウルメイトが周りの親しくなった女性に
見ていたイメージと違うと言われることが多々あった。
それはプロデュースしてるコッチにしてみたら最大の褒め言葉だったりする。
こっちとしてはお客がイメージするであろうモノを見越して、
そのキャラクターをお客が萌えてくださるように作りあげるのだから。
だけど、本当に才能のある人は、人に作られているに終わらない。
自分で自分の才能を最大限に生かして、自分を作り上げていく。
自分の世界を自由に生きるために。
関ジャニさんというグループは、私の個人的な感覚によるものなんだけど
そのセルフプロデュースの部分が大きく見える稀有なグループに感じてる。
もちろん、数多くの規制はあるだろうけど、エンターテイメントを創ってる
同じカテゴリーの人間として、感じる波動のようなものがある。
そこが自分と感覚的にとても近いから見てて共感を持てる。
私は演出やプロデューサーでもあるからだと思うけど、
彼らが自分たちをどう演出してくるか、料理してくるかがものすごく面白い。
それを余すところなく受け止めたい。彼らの才能を見つめたい。
それをどう活かして来るかを見たいから、
それには彼ら個人のデータを知らないと理解できない。
そうすると、当然ながら、彼らの個性を共に作り上げている才能たちにも出会う。
いわゆるスタッフと呼ばれる人たちの才能。
彼らは、そのグループの個性を生かすために日夜励んでいる。
その周りにいるスタッフたちが衣装や振り付けや
ライティングとかステージングでどう構成してくるかも見逃せない。
だから、何度も繰り返しみては、なるほど、この振付はこう見せたいのか、とか
この演出はこの人のこういう部分をこうしたいんだな、とか、
この曲はこういう事か、この詞や曲はこういう感じなんだなぁとか
私だったらこうするなぁとか考えてみたりする。すっかりスタッフ目線(笑)
とにかく、その才能たちを感じたい。そして自分の中に取り込みたい。
私は脚本も書くけれど、ある時、トークと歌のショーを作った。
私は元々、人の個性に合わせて脚本を書くタイプだから、
全く知らない人のコトは書けなかったりする。
多分、こういう、集中する嗜好性はそういうところから来てるんだろうな。
その個性を知るために、とにかくその人を観る。観る、見る、みる。
そして、感じる。ひたすら感じる。
もうその人になっちゃうんじゃないかと思うくらい、感じる。
そうやって台本を書く。
そのショーの時、話のプロットだけ覚えてアドリブで進めてくれていいよ、
って言って台本を渡して、みんな話の流れと曲順だけ覚えてやらせたら、
本番では台本とほぼ一言一句たがわずにセリフが流れて、
演じた人間たちが、どんだけ自分らのこと知ってるの?
( ゜Д゜) ス、スゲー!と驚かれたことがある。
そのくらい私は才能を見つめて、その才能を生かすコトが好きなのだ。
もう自分とどうか出来ちゃう域なんだな。うん。
私自身が、病気で大きな舞台に立てなくなり、出来ないことが苦しくて、
自分ができない事実を諦めるのに何年もかかった。
そこから抜け出れた時の理由が、自分ではない人の才能と一緒に交わり、
作品を作ることで、その人の才能と同化出来たコトだったから、
というのもとっても大きいと思う。
相方さんやソウルメイトは私にとって、最大のそういう対象だったわけだけど、
彼らが亡くなってから「この才能は面白い」と始めて思ったのが「関ジャニ」さんだったのだね。
なんせ、引きこもりの見えの上だから、TVと言うのが唯一のエンタメとの窓口だし、
そういうところで、まさか自分と同じ感覚を感じる人を発見できるとは思わず
非常に嬉しかったし、多々目にできるので、本当にありがたいのよね。
東京でこうなってたら、もう使えるコネ全部使って、
何らかの形で彼らの活動に関わる仕事を狙っていってやってると思う(笑)
そのくらい、私には面白い対象。
だからね、好きは大好きなんだけど、ちっとも良いファンでは無いのよね(^_^;)
ある意味で研究対象だったり、学びの対象だったりなだけだから。
でも、芸能人作ってきたから、フリークなファンが大事なのは重々わかる。
こんな在り方申し訳なくなるくらいだ。今度はCDでも買って彼らに貢献せねば(笑)
でも、おかげで、自分が「芝居と結婚してた人間やったわ」
という事をリアルに思い出させてくれて、そのイノチをつないでくれてる、
ものすごくありがたい存在で感謝してるのですっ。
ありがとう、関ジャニ∞さん!感謝、感謝(笑)

【だらりん…そんな日も…ね(^◇^;)】
だから、ここんところ、もう生活はすごく底辺に来てるんですよ。
いろんなことが限界に近かったり、いろいろしてて。
でも、そのできなくなったことから、自分がはっきり見えてきてて…。
なんで自分はこの家に生まれたんだろうとか、
どうして相方さんだったんだろうとか、
どうしてその仕事だったんだろうとか、
そういう理由がね、本当にストン、ストンと降ってくるんです。
今まで歩いてきた人生とか、なぜそうでなくてはならなかったのか解る。
誰より役者でいることが好きなのに、工房仕事も大好きで
プロとして衣装や小道具なんかもやらせてもらえたり、
音響や照明もやらせてもらったり、アナウンスやったり、
演出もやらせてもらって、プロデューサーからマネージャーまでやって
脚本家としてもやらせてもらって、ショーも舞台も作ってきて
果てにはショーカフェも劇場も作ったわけだから、
そりゃさぁ、この生き方しか出来んよ(笑)
だから、私はなぜここに生まれてきたのか、今すごくわかるんですよ。
私は生まれるべきところに、生まれて、やるべきことを選んだのがわかるんです。
それはね、やっぱり、自分がこういう、なんていうか人から見たら死んでるみたいだけど(笑)
その実「永遠なる生き方」をしてっからだろうなぁ、ってコトも今分かるんです。
多分、私は「他の物にはなれない」ンでしょうなぁ。
そういう自覚が出来つつあります。
私の周りにいる人もそうなんだと思うケド。
「この生き方しかできない」
多分、一生、こんな調子でしょうね。
未来はどうなるか全くもってわかんないけど、
何をしてても、多分、役者でウタウタイなんでしょうね、私。
だって、何してても、引きこもりですら、そこにしか繋がらないんだもん。
それだけの為に生きることしかできないんだと思います。
相方さんもソウルメイトも最後までそうだったから
きっと自分も最後までそうです。
なので、私、ちゃんと生きてますよ(笑)
しかも 永遠に ですから。
しかも、自分の中に二人人がいますから。
簡単に腐ったり死んだりできません。
だからこそ、嘘なく生きたい。
ダメな時はダメなようにでいい。
そして、頑張ってるみんなに負けないように生きていきたいです(´∀`)