KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

3.11

2014-03-11 | KOFUKU日記





私の魂の愛が、あなたへと向かいますように。
私の愛の想いが、あなたへと流れていきますように。
私の魂の愛と、私の愛の想いが、希望の高み、
愛の領域で、あなたを支え、あなたを助けますように。
愛に担われ、光を受けて、高みへと向かわれますように。

R・シュタイナー 死者のための祈り







14:46
先ほどサイレントともに黙祷を捧げました。

3年前のあの日、この世での生を終えざるを得なかった皆様のたましいと、
ご家族や平安の日々を奪われ、今も悲しみの中にいらっしゃる方々、
原発被害でふるさとを奪われて今も苦しんでいる方々、
私達のかわりに原発でお仕事に従事して命を落とされた方々、
その他全ての関係する方々にお祈りいたします。

それぞれのお心に、環境に、人生に、
一日も早く平安と安らぎが訪れますように。


The prayer 「祈り」 入絵加奈子 小西のりゆき 




《Prayer~祈り》

瞳閉じて 思い出して
愛したこと 愛されたこと
いつの日か巡り会える
その日まで その時まで 祈り捧げよう

人は誰もひとりじゃない
手を伸ばせば 誰かがほら
いつの日か夜明けは来る
その日まで その時まで 祈り捧げよう

苦しみに打ちのめされて
悲しみに嘆こうとも
その涙 その勇気に変える
力信じ歩きだろう

人は誰もひとりじゃない
手を伸ばせば誰かがほら
いつの日か夜明けは来る
その日まで その時まで 祈り捧げよう

生きてゆこう 生きてゆこう 祈り続けよう

(詞 小西のりゆき)








【ビートたけし著 ヒンシュクの達人より抜粋】

なによりまず、今回の震災で被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。
こんな大惨事になるとは思ってもみなかった。

ちょうど地震の時は調布のスタジオで『アウトレイジ』続編の打ち合わせをしててさ。
オイラ、普段は大きな地震でも平気な顔して座ってるタイプなんだよ。

だけど今回は、スタジオの窓から見えるゴミ焼却炉のデカい煙突がグラグラしててさ。
今にもこっちに倒れてきそうなんで、たまらず逃げたね。こんなこと初めてだよ。
そんなの、震源地に近い東北の方々の被害に比べりゃ何でもない話だけどさ。

どのチャンネルつけても、報道番組一色で、オイラはすっかりテレビから遠ざかっちまった。
こうなってくると、ホントにお笑い芸人とかバラエティ番組にできることは少ないよ。

地震発生から間もない14日の月曜日に、
『世界まる見え! テレビ特捜部』(日本テレビ系)の収録があって、
スタジオに客まで入れてたんだけど、直前に取り止めたんだ。

所(ジョージ)と相談してさ。こんな時に着ぐるみ着てバカやれないよって。
とてもじゃないけど笑えないよってさ。

よく「被災地にも笑いを」なんて言うヤツがいるけれど、
今まさに苦しみの渦中にある人を笑いで励まそうなんてのは、戯れ言でしかない。
しっかりメシが食えて、安らかに眠れる場所があって、人間は初めて心から笑えるんだ。
悲しいけど、目の前に死がチラついてる時には、芸術や演芸なんてのはどうだっていいんだよ。

オイラたち芸人にできることがあるとすれば、震災が落ち着いてからだね。
悲しみを乗り越えてこれから立ち上がろうって時に、「笑い」が役に立つかもしれない。
早く、そんな日がくればいいね。

常々オイラは考えてるんだけど、こういう大変な時に一番大事なのは「想像力」じゃないかって思う。
今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。
テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。
だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。

じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、
そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒涜だよ。

人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。
そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。

本来「悲しみ」っていうのはすごく個人的なものだからね。
被災地のインタビューを見たって、みんな最初に口をついて出てくるのは「妻が」「子供が」だろ。

一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、
自分の子供や身内が一人死ぬことのほうがずっと辛いし、深い傷になる。

残酷な言い方をすれば、自分の大事な人が生きていれば、
10万人死んでも100万人死んでもいいと思ってしまうのが人間なんだよ。

そう考えれば、震災被害の本当の「重み」がわかると思う。
2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、
その悲しみに今も耐えてるんだから。

だから、日本中が重苦しい雰囲気になってしまうのも仕方がないよな。
その地震の揺れの大きさと被害も相まって、
日本の多くの人たちが現在進行形で身の危険を感じているわけでね。
その悲しみと恐怖の「実感」が全国を覆っているんだからさ。

逆に言えば、それは普段日本人がいかに「死」を見て見ぬふりしてきたかという証拠だよ。
海の向こうで内戦やテロが起こってどんなに人が死んだって、
国内で毎年3万人の自殺者が出ていたって、ほとんどの人は深く考えもしないし、悲しまなかった。
「当事者」になって死と恐怖を実感して初めて、心からその重さがわかるんだよ。

それにしても、今回の地震はショックだったね。
こんな不安感の中で、普段通り生きるってのは大変なことだよ。
原発もどうなるかわからないし、政府も何考えてるんだかって体たらくだしさ。
政治家や官僚に言いたいことは山ほどあるけど、それは次回に置いとくよ。
まァとにかく、こんな状況の中で、平常心でいるのは難しい。
これを読んでる人たちの中にも、なかなか日頃の仕事が手につかないって人は多いと思うぜ。

それでも、オイラたちは毎日やるべきことを淡々とこなすしかないんだよ。
もう、それしかない。

人はいずれ死ぬんだ。それが長いか、短いかでしかない。
どんなに長く生きたいと思ったって、そうは生きられやしないんだ。
「あきらめ」とか「覚悟」とまでは言わないけど、
それを受け入れると、何かが変わっていく気がするんだよ。

オイラはバイク事故(1994年)で死を覚悟してから、
その前とその後の人生が丸っきり変わっちまった。

今でもたまに、「オイラはあの事故で昏睡状態になっちまって、
それから後の人生は、夢を見ているだけなんじゃないか」と思うことがある。
ハッと気がつくと、病院のベッドの上で寝ているんじゃないか
って思ってゾッとすることがよくあるんだ。

そんな儲けもんの人生だから、あとはやりたいことをやってゲラゲラ笑って暮らそうと思うんだ。
それはこんな時でも変わらないよ。
やりたいことは何だって? バカヤロー、決まってるだろ。
最後にもう一本、最高の映画を作ってやろうかってね。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
東日本大震災 (夕焼け)
2016-04-30 14:58:57
故郷釜石が、津波にあいました、あれから五年。故郷に暮らせない方々や、自然を思うと、まだまだ心痛みます。ビートたけしさんの、あいじょう深さに、涙しました。つい嬉しくコメントを入れさせて頂き失礼致します。
江ノ島より、
返信する
コメントありがとうございますm(_ _)m (raye-angel)
2016-05-01 19:04:42
大切な故郷が津波に遭われたとのこと。
本当に大変な五年間でいらしたことでしょう。
私はあの日、マンションの立地が悪く、横浜でありながら震度7近い揺れを経験しました。その直後、オンタイム、生放送で津波被害を見て、地震恐怖症になりました。
現地の方のことを思うと私も今も胸が痛みます。
私もビートたけしさんの言葉に感動しました。
亡き方の尊い魂に、いまも頑張っておられる皆様に少しでも穏やかな時が訪れますよう
に心よりお祈りしたいとおもいます。
返信する

コメントを投稿