KOFUKUの家から

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芸術的田舎暮らし真っ最中

3月7日*鎧くんのメモリアルディ

2014-03-06 | KOFUKU日記



《生前の祐木鎧くん 仲間たちとやっていたエンターテイメントカフェ“MUSA”での一枚》



早いもので、あれからもう11年が過ぎたのですねぇ。
あの日は東京でこの冬一番と言われるくらい寒い、小雨の降る一日でした。

あした、3月7日は祐木鎧くんのメモリアルディです。
今頃は空の上、穏やかな場所で、相方さんと二人、
時には下を眺めながら話をしていることだろうなぁと思います。

不思議なもので、この現世で同じ場所で、同じ生き方を選び、
そして、とても仲の良かった二人と私は深いご縁をもちました。

それは一体何故だったのだろうか?と考えると、
一つは、二人が他とは比べることのできない素晴らしい才能を持っていたこと。

私は人としてではなく、まず表現者、役者、芸術家として彼らに出会ったのです。
彼らの才能に出会った時、まさにこの世界の遺産とも言うべきもの、と私の魂はただ反応した。
それを何とかして、この世に大きく広げ、守らなくてはならない、と直感した。

正直、色恋とか一番最初はまったく関係なかったんですよ。
何よりも同じ世界を生きる愛する仲間でしたね。
ただひとつ、彼らが他の仲間たちと違ったのは、同じ世界を生きてる人の中でも
特に「同じ星から来た、同じを血を持っている、魂を持ってる人」という確信があったこと。
それって私にとってものすごく大切なことなのです。
そう彼らは私がもっとも「尊敬」する二人。

あたしは才能って「魂そのもの」だと思ってるんですよ。
自分の持つ、最大のチカラで、そして自分が選びこの世に持ってきたもの。
神様に許されて、ここに持ってきたもの。
それを持って、生きるようにと、自分の中に存在するもの。
人の本質そのもの。

当然、傍にいれば、その才能と共にその魂のあり方や人間としての姿がみえてきます。
彼らは素晴らしい人でした。
同じ世界を生きる人間としても、ただのヒューマンとしても。
それを愛さずになんていられなかったですねぇ。

ただ二人との関係は、同じようでいて、全然違いました。
人間が違うから、当たり前なんですけどね(笑)

ガイちゃんの場合は自分の後輩として入ってきた、というのもあったし、
最初にとても気安くしゃべれるところから始まったので、
一貫して、そういうスタンスでいられました。
ひょうきんで何よりも私には兄貴というか、父というか、男気あふれる人だったので
正面から甘えて行ける人だったし、それでいて母性のあふれる人でもあり本物の家族でしたね。
共に作品を作り上げる関係の中で、お互いの足りないところを担ってたわけですが、
そういう意味ではフィフティなところがあったのもよかったのかもしれません。
気楽といえば、気楽な関係でした。


ところが相方さんはデスねー。打って変わって、もうスタンスが全然違って。
もうねー、彼はあたしにとっては「神様」みたいな人だったんです。
いや、ぶっちゃけ、「あたしの神様」だったんですよね。
彼の持っている才能は、私の中にないもので、
どれだけ望んでも手に入ってこないあこがれと尊さがあって。
近しい人は笑うけど、尊敬しすぎてて、普通に家にいても話せないくらいでした(笑)
逆にその状態で、よくここまで夫婦的関係を培えたね!と(笑)
でもだからこそ、そうなれたと言うこともありますね。
その私の持つ緊張感や高揚感や尊敬の念といったものをですね、
彼は一番理解して、そして自分のリラックスのための大事なものとしてくれたんですね。
つまり、そういうものを「喜び」としてくれていたんですよね。
お互いの持つ才能を、魂を愛していたって事なんでしょうね。


私は彼らを愛して
敬愛して、そして惚れました。
自分の命よりも大切でした。
そんなものはいつでも投げ出せるほどに。
ただそれだけの日々でした。

相方さんが生前、私に言いました。

「本当の愛というものはいつか溶けてひとつになってゆく
気づかないほどに緩やかに。
愛する人が頑張って生きていれば、自分もまた生きられる。
一人だけれども、二人。二人で作るものだからこそ、ヒトツになっていくんだよ。
多分、どちらかが死んでも、愛していればそれは続く。
愛って、多分、そういうもの」

二人共、全然違うけれど、そんな確かな愛を持てる人たちで。
本質を愛するということは、すべてを受け入れ、愛するということです。
だって、そのすべてが彼らの創り上げるものを生み出しているのですから。
人から見て危ういものまでもが愛おしかった。嫌いなところなんて何もなかったですね。
彼らは私の理想そのものだったのです。

そういう愛し方は、あゆみとしては、確かに恋愛の燃え上がる様なものとは違います。
人から見るとまた不思議なものかもしれませんが…。
ただお互いに深い愛情を確かなものとして構築していくことができます。
相手の大切なものを、その人と同じ様に愛しリスペクトしていく。
たとえ、自分がそれをできずとも、認め、それを為すその人を愛することはできる。
そうでなければ、一つの世界は構築できないから。
それには表面だけではない、深い、深い、魂の繋がりが必要なのです。
そして、共に積み上げたそれは、決して消えない。死なない。

彼らを知る人の中には、私の人生を知らない方も多いし、
また私を知っていても、その真実を知らない人は多いでしょう。
そんな方にとっては、こうして二人を想い続ける私を
面白くないと思っている方もいるかもしれないですね。
本気ならば、どちらかに想いを定めるべきという様に。

でも私はそんな風には一向に思いません。
二人は明らかに違う魂であって、どちらも私の人生の上にいる大事な人なのです。
どちらがいなくても、今の私はいない。
そして彼らは心許しあう友でした。
どちらが居なくなれば、彼らもまた存在しません。
私たちは同じ世界に居たのです。
それは私たち3人の誇りなのです。
私は本当に素晴らしい人たちと人生を過ごし、
そして今も共にいると思っています。

そんなひとり。
明日は祐木鎧くんの命日です。


《在りし日のガイ君 JAC出身の彼が得意としたアクションショーの合間の一枚》


彼は歌をこよなく愛していました。
薔薇の花が好きでした。
仲間たちがすきでした。
人の笑顔がすきでした。

どうか、あした、ホンの少しの時間があったなら
みんなを本当に愛していたガイちゃんを思い起こしてもらえたら、と思います。


彼のお墓はJR南武線・武蔵新城駅下車、徒歩5分の安養寺の中にございます。
(このブログのブックマークにもございますのでお確かめください)
安養寺はガイちゃんのご実家です。敷地内境内横のおウチを尋ねれば
ガイちゃんのお母さん、みなさんもよくご存知のガイママが居られます。
もしお時間のある方はぜひお尋ねくださいませ。
敷地内の墓地にご案内くださるかと思います。
愛されたがりの寂しがりのガイちゃんだから喜びます。
ママもとても喜ぶことでしょう(*´∀`*)

私も、明日は一日、天国にいる人たちのことを考えて過ごします。
いや、いつもそうなんだけど。

明日は想いの中で、彼を愛した、彼に愛されたみんなで繋がれたらいいなぁ。





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