《亡くなる前年のお誕生日 ファンクラブの皆さんとポケちゃんがお祝いしてくれた時の一枚》
今年もあと2日で、我らが祐木鎧ちゃんの命日がやって来ます。
あの日、2003年の3月7日は、とても寒い小雨の1日でした。
忘れもしない、今、青木結矢さんと小西のりゆきさんが鎧ちゃんのタマシイを引き継いで演じてくれている朗読ミュージカルの、完全ミュージカルバージョンのリハーサルの日でした。
私たちのミュージカルカフェの中で鎧ちゃんを私とピーちゃんが最初に見つけて、救急車を呼んで、隊員の方がバタバタと駆けつけて彼を見ている間、そこに居ることが恐ろしくて、小雨の中、道路に出て、仲間たちがくるのをただただ待っていました。
一番最初に鎧ちゃんと朗読ミュージカルを演じていた雄ちゃんが来てくれて、『鎧ちゃんが死んじゃったの』と言うと、黙って肩を抱き、一緒に中に入ってくれました。
あの時、雄ちゃんが直ぐに来てくれていなかったら、もしかしたら私はあそこで、自分の中の何かが切れてしまって、この世に戻れなくなっていたかも知れない、と思い返す度に思うのです。
それから、ポケちゃんにまーちゃん、まりちゃん、万尾さん、みんなみんならまさか彼が亡くなったとは思わないムーサの仲間たちが、その日のショーの為に次々とやって来て、それはそれは泣いて悲しんで…。
お母さんやおばあちゃんもやって来て…。
まるで昨日のことの様です。
五日間、鎧ちゃんのお父さんのお家で過ごしました。
たましいの家族だった心友とも言うべき仲間たちも全員お父さんのお家で、鎧ちゃんの側で過ごしました。
お葬式まで、そこから仕事に出かけました。
夜は交代で一晩中ロウソクを灯し、お坊さんの代わりに、それぞれが信心してる宗派のお祈りや、それぞれの気持ちを歌にしたりして捧げました。
たくさんの仲間たちが遠いところ鎧ちゃんに会いに来てくれました。
なかでも、本当の兄と慕っていた劇団四季の三宅克典さん、大好きで家族の様に思っていたミュージカル俳優の石川禅さんには、お葬式が終わるまで、たくさんたくさんお世話になりました。
家族以上にお世話してくださいました。
その後もこれまた俺の心の恋人なんだよ、なんて言って慕っていた先輩の岡幸二郎さんをはじめ、鎧ちゃんが愛し慕って止まなかった先輩方やお仲間やお客様が14年経った今でも、お参りに来てくださったりして、これまでお母様を慰めてくださいました。
今日の日まで本当に支えて頂きました。
おかげでわたしたちは生きています。
心から感謝しております。
あの日から正確には14回目の命日。
仏事的には15回忌。再来年はもう17回忌です。
鎧ちゃんは私の中で、ぜんぜん変わらないんです。
今でも行きて居る気がして、ぜんぜんお墓に行く気にならないんです。
死んじゃったと思いたくないんでしょうね。
トニー賞とか見てると、どこかに居るんじゃないかと思ってしまうんです。
ものすごーく不思議な体験もたくさんあって、見えない鎧ちゃんが居るのも実感してたりするのにね。
そうかと思えば、死んだという事実はちゃんと分かって居るのか、わからせようと上の方々がしているのか、夢の様な不思議な空間で、天使さんにつれられて、天国の劇場で子供たちと演じてる鎧ちゃんも見さてもらいました。
本人もなんども現れて、いろんな事を話して教えてくれました。
それでも、未だに受け止められない私がいます。
鎧ちゃんも相方さんの米澤さんも、わたしのなかで大きすぎて。
二人とも、あんまりにも突然に逝ってしまったから、わたしのココロはまだ訳がわかんないよ。
自分の半身と言うか、タマシイそのものだったから、それはきっと、まだ暫くはどうしようも無いんだろうな。
それでも、この日、そして毎朝、写真の前に明かりを灯し、温かい飲み物をいれて捧げ、彼らの平安を祈ります。
安らかである様に、幸せであるように、と。
お仲間の皆さん、たくさんの方のご連絡先が変わってしまい、連絡がつかなくなっております。
これをご覧の皆様、お近くに鎧ちゃんの事をご存知の皆様がいらっしゃいましたら、『3月7日は鎧ちゃんの命日らしいよ』とお伝え願えますでしょうか?
そして、一瞬でも、鎧ちゃんに語りかけてくださったら嬉しいです。
仲間が大好きで、命より大切で、愛されたがりのさみしがりだった鎧ちゃんだから、きっと喜ぶと思います。
御墓参り等、おいでくださいます方、墓所はこちらになります。
ぜひ本堂隣の母屋に御立ち寄り頂き、鎧ちゃんのお母様、横田清香さんに御声がけください。
きっと何よりの供養になることと思います。
安養寺(鎧ちゃんのご実家です)
神奈川県川崎市中原区上新城1-9-5
JR南武線武蔵新城駅北600メートル
TEL:044-777-0706
鎧ちゃん、今でもガラッと戸を開けて、飛び込み前転して入って来そうだよ。
いいよ、いいんだよ、いつでも待ってるよ。
ついでに、米さんもわたしの母さまもつれて来ておくれ。
そしてまたいつか、みんなで車に乗って、照明や道具や衣装を積んで、チャリティの旅をしたいねぇ。
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