
《雨ゆえ、ベッドで丸くなるぴーちゃん》
昨日からかなり激しく降っていた雨。
昨日の夕方になってかなりの豪雨になり竜巻注意報も発令(^_^;)
今朝は小康状態なのですが、夜にはまた豪雨になるそうな。
台風も発生してますのでね~、これから一週間は雨っぽい。
次にお洗濯日和が来るのはいつかしらぁ~。

《ワルたちの肉球(笑)》
他と比べて2倍以上デカいといいましても、
我が家はいまチワワんベイビーズが居りまして
まだおトイレのお稽古が完全では無いので、
あちこちに世界地図が描かれちゃうのですわ(^_^;)
しかも、なぜか私の部屋ではあまり粗相がないんですが、
実家の家族部屋だと、どこでもしなさるのですわ~。
布団なんか敷いてあろうもんなら、超喜んで
その上で暴れまくって、そこでしなさる…(何故。。。)
しかも、おかぁちゃんまでが…(-_-;)
どういうこったい?
一体何がキミたちをそこまで解放させるんだい?
と、聞きたくなりますが、そう言うわけで、
雨でも晴れでも、うちはお洗濯日和なんでございますよ。


《あちらこちらに地図を描く犯人たちでアリマス(笑)》
《全開…、お前さんたち、リラックスしすぎ…(・。・;》
自宅APはガスもなきゃ、洗濯場も洗濯機もありませんので、
(そんなところで、どうやって暮らしてんの?って思うでしょ?
現代は便利ですからね、文明の利器なんて家になくても
工夫すればけっこう快適に暮らせるものなのよお~♪)
父に布団や洗い物を毎日お車にて運んでいただき、
実家の洗濯機を借りて洗わせて頂くのでアリマス。
そんでもって自宅のと、実家のと、毎日毎日、お洗濯~~~♪
出来る事なら、白雪姫じゃございませんが、
歌ったら誰か助けに来てくれませんかね?って量です。
自宅APは6畳一間、庭もなしですので、洗ったところで、
どこにも干すところが見当たらずですが
実家は晴れればお庭に沢山干せるので助かるのでアリマスよ(^^)
雨でも、洗面所がかなり広いので(田舎だからね)
乾燥機で早く乾くから助かるの~。
この梅雨時期にはかなり有難いことです。
なので、あまり困りはしませんが、日光消毒したいわ。。。。
まあ、この時期の雨は恵みの雨なのでね。
有難く享受させていただくので御座います。
そうそう、実家の庭と言えば、トマトが赤くなり始めました!

明日くらいには食べられるかも。強い雨で落ちないといいなぁ。
ところで皆様はお昼はどんなものを召し上がってますか?
うちは毎週水曜日は実家のシェアメイト、カンナちゃんがお休みで
夜に美味しいお食事を作ってくれるのが、このところ定番です。
わたくしもご馳走になってるのですが、今週はパスタだったんです。
そのパスタの量がちょっと多くて、余ってしまいまして…。
そんで、この二日間、お昼は余りのパスタを変身させて食べてましたー。
実は私、麺類がとーっても好きなんですが、伸びた面は全く食べられません。
あと、冷えた肉や魚も食べられないんです。匂いと触感がダメで…。
生まれたときからアタシってば不経済な奴なんですわね、これが…(-_-;)
でも、根っこが超貧乏のもったいない派だから(あんだそりゃ・笑)
無駄は出来なーい、でも食べられなーい!
と、言うわけで、とにかく「ナントか美味しく食べる」
(私的にだけど)方法を考えますのデス。
例えば、今回の様にパスタとか作ったのが余るでしょ?
今回はカルボナーラだったんですけどね。
そうしたら、まずはそれにマッチする味を考えます。
カルボナーラなら、クリーム系にしてもいいし、
トマトやカレーを足しても美味しいですね。
で、次に伸びちゃってる麺を、どう美味しくいただくかを考えるんです。
とにかく美味しく食べるにはですね、のびている触感を、
どうフォローするのかにかかってますのですわ(笑)
例えば、あまりに伸びている時は、麺の状態で食べるのはイタダケマセン。
だから、短く切って、ソースであえて、グラタンにしたりします。
麺がアルデンテの状態に近ければ、スープパスタなどにします。
この時、長く煮込まな図、温める程度にするのがコツ。
スープのお味と熱さが、麺の状態をフォローしてくれます。
という事で、一日目のリメイクはスープと牛乳を足して
クリームスープパスタにしましたの。
二日目は麺をオリーブオイルで軽く炒めて、
ガーリック、塩コショウと醤油で味付けてから、
麺自体がこんがりとするまで炒め焼きします。
こうすると、麺が油で揚げられた風になり、引き締まって美味しいのです。
昨日はこれを焼いた卵で包んでオムパスタにして食べました(^^)
夜は麺ではないけど、残ったおみそ汁をクリームスープに。
味噌と牛乳ってあうんですよ(^^)これもスープの素いれて
(コンソメとか牛肉ダシダとか鶏がらスープとかお好みで)
牛乳を適当に入れれば簡単にできますよ。
卵を落としたり、焼いたお餅とか入れても美味しいし、
おうどんや素麺を入れても美味しいです。

《今日のおかず。ゴーヤの揚げ煮。苦手だがこれは食べられる(ウマい)》
もうねぇ、昨日も書きましたけどね、家族が多かったり、
ビンボで生活水準が低かったりしますとねぇ、
こうやって工夫しないとやってけないんですよ~(;一_一)
日々、一万円節約生活状態だね(笑)
でも、こーれが面白いんだな~!燃えるんだよねぇ!
まあ、私の場合、小学生から家のご飯作っているので、
昔からやってたことですが、昔は300円で7人分
(大人2名、老人一名、児童、幼児、赤子)のご飯を
すべて考えねばならなかったので、頭フル回転でしたよ。
だって、やっぱり作るからには美味しいもの食べてほしいし、
「おいしー!」って喜んで欲しいじゃないですか?
こういう喜びある苦労はものを生み出すのよねー。
(コレ、すごい実感あります)
おかげさまで、今も残り物を観たり、食材を目にすれば
勝手に頭が働いて、いろんなデータから新メニューをはじきだし、
手が勝手に動き、いつしかご飯が出来てる、という技をゲットした(笑)
大体、思い付きですが、経験豊富ゆえ(笑)あまり失敗はないです。
おかげさまでご飯作りでは、何も困ることがありません。
自分で言うのもなんですが、あるもんで何でも作れるって善いよね。
なんも食べるもんなきゃ、今はこんな田舎ですからね、
外に出て、なんか葉っぱでも見っけてくればいいし。
これまで貧しかったり、人とは違う生き方を選んできたから、
理不尽に人に陰で笑われたり、バカにされたりしたこともあったけど
あれやこれやといろんな事を経験してきたおかげで、
お金は沢山なくっても、今あるだけで暮らせるし、
ご飯は工夫すれば、何でも、いくらでも作れるし、
生活用品だって、無けりゃ作っちゃえばいいと思えるし、
草の上でも、板の上でも、ダンボールでも、どこでも寝られるし、
何をしてでもアタシは生きてけるな~と思える。
これはね~、本当に有難いことです(しみじみ)
いや、もちろん、あったらあったで幸せなんだけどー
自分のこの考え方や、生き方の感覚ってのは
実家が金銭的な面で大きな苦労があるからもあるけど、
(現在進行形だし~)その家族を離れてから、
常に誰かとシェアしながら生きてきたからだと思うのですよ。
実は私は、一人暮らし、と言う単位で生きてきた時間が本当に少ないのです。
先年亡くなった相方さんと2人で暮らすまでは、
常に何人もの人とシェアハウスやホームステイしたり、
旅公演で一年中巡業してたり、コミュニティ等で
人様と協力して暮らすことを選んできたからです。
仕事も舞台俳優で、基本的に団体行動でしたし、
自分でお店などをしている時も、常に沢山の人と関わり、
一緒に何かを作り上げていくものでしたし。
だからね、私はけっこう根性あると思うんですよ。
だって家族以外の人と暮らすって全然楽じゃないですもんね。
何事も自分勝手には出来ないし、かといって何も言わないでもやっていけない。
全員が相手を思いやって行かなきゃ、やっていけないのが集団生活だから。
それって、実はものすごく難しいのデスよね。
だけど、その難しさを経験して得た真実は、自分の在り方次第で、
他人同士でも、ちゃんと家族になれるって事でした。
だから、私は友達は少ないけど、幅広い知り合いと、
魂の家族と呼べる付き合いの深い人々はかなり居るのです(^^)
一人一人への思いが私的には他の人より深く居られると思ってるし、
また向こうにいる相手もそうであると確信しています。
私は資産もなければ、貯蓄もなーんにもないけど、
大切な人との信頼がある、
それが何よりも私の大きな財産だと思っています。

《暴れるのがお仕事のチワワコミュニティの方々(笑)》
なんで、今日はこんな話をしてるかと言うと、
あるコミュの方々が避難場所の様なものを作ると聞いたからなんです。
それはそれでステキな事だと思いますし、
必要な人が皆でやればいいなと思います(^^)
今日は、それ自体がどうだとか言うことではなくて、
そういったコミュニティとか、ボランティア的な活動について
自分はどういう風に考えているのかなぁ、と、
ちょっと客観的に考えてみたくなりましたのデス。
それを考えるとき、やっぱり幼き日からの生活や親の在り方は
考え方や人様と暮らすに、よき修行であったと思えるわけです。
大人になり、そこまでに培ったものをベースにして、自分自身が望み、
その様に人の中で生きることを選んできたわけですが、
(と言うよりは、選んだ世界が必然的にそういう場であった)
出会った中には、本当にいろいろな生き方をしている人々が居て、
おかげさまで自分自身もいろんな生き方の形態を経験することが出来ました。
観るとか聞くとかだけではなくて、そこでリアルに生きると言うのは
自分の内側に大きな影響を与えられ、それによって自分がいろいろ考え、
自分自身で何らかの答えを出すことが出来た事がすごい幸せだったと思います。
私自身、過去の人生の中で2度、恋人や家族とかではない、
不特定多数の知らない世間の人々に対して、自分が望んで、
無償で自分のすべての資金や時間をかけて活動した時期があります。
いずれも2、3年ほどずつの結構長い期間です。
20代の前半と30歳前半がそうでした。
前者は他者によってその機会が開かれたもので、
後者はまったく個人的な意志による活動です。
いずれも、多くのご縁に囲まれて、とても良い経験でした。
何より、全く見返りを求めず、ただひたすらに相手の事を想い、
その思いのみを糧として生きられる事は本当にすごいことで
今思い返しても、あんなに魂が清らかだったことはないのでは?
と思うほどですー。(それもどうなんだ?笑)
とにかく、もうねぇ、そういう清らかな魂だとね、
毎日出会う人、出会う人、自然に愛せるんですよね(笑)
自分の私財を投げ打って、とかじゃなくて、
自分の持つものを、全部使って何かできたらいいな、とか、
私のもので良かったら、つかってくれたらいいのにな、って思もえるの。
自分たちはホームレス一歩手前くらいのハードな生活してたんですが、
その困難以上に、毎日がものすごーく幸せだったんですよね(^^)
それ考えると、私が尊敬しているマザー・テレサや
アッシジのフランチェスコなどは幸せだったんやろねぇ~、
なーんて思ってしまいます。
私の場合、そこから物質と人間欲がもの言う世界で戦う仕事を選んだので
そう言った純粋な活動は出来なくなりましたが、
ぶっちゃけ、今はね、人様のお世話になって、やっと生きていけてる状態。
でも、また将来に、誰にも迷惑かけず、自分んで生きていける状況になったら、
結局、私はそういう風に生きていくような予感がしています(笑)
と、いう事で、ボランティアとは何かといいますと、
もともと「志願者」「有志者」という意味を持つ言葉です。
誰もが、自分でできることを自分の意志で
周囲と協力しながら無償で行う活動のことをいいます。
と、いうものですが、私的にも「ボランティア」である以上は、
見返りを求めず(してあげていると思わない事)
無償(自分の資産)で行う事(相手から取らない事)が大切と考えています。
ぶっちゃけ、お金を取った時点でボランティアじゃなくなるし、
相手に対し「してあげてる」「お金を奪われてる」と憤りを覚える様なら、
最初からその方はボランティアをする状態ではないと考えます。
と、言うのが私の認識だと、ここで再確認デシタ。
私は何か特定の宗教を持っているとか、
何かの思想団体に入ってるとかではありませんが、
たまたま、学んだ学問とか、友人やお仕事とかの関係で
そういうコミュニティ的なところに身を置いたりしてきました。
今も、パーマカルチャーをやったり、NPOを作ったり、
そういう形で活動している友達も多いです。
私自身の活動、劇団とか個人のお店もそうだと呼べるでしょうし。
私はこれまで自分でもいろいろと活動してきているのですが、
今後そういった機会が自分にあたえられたとしたら、
自分でもこういう風に人と繋がっていきたいな、
という理想の形や考え方がかなりしっかり目にあるのですが
その考え方に近くて、共感出来るものがあるのが、
この二つのコミュニティの存在と思想による考え方です。
以前、どちらも紹介したことがあるのですけれども、
一つは考え方として、シュタイナーの思想による「社会三層構造」
もう一つは、ブラジル、アリアンサにある日系人のコミュニティ
「弓場農場」の在り方があります。
私はシュタイナーに関して人智学共同体の学校で学び、
それまでの経験からシュタイナー学校の臨時教師をしていました。

《お世話になった人智学共同体・ひびきの村さん。》
《北海道伊達市にあり有珠山が目の前です》

《シュタイナー学園いずみの学校の生徒たちの様子》
《これは私の教えた生徒たち。もう成人式を迎えました》
《教室の中は親や先生、生徒たちの手作りなのです》

《シュタイナー学校には教科書もテストも通知表もありません》
《エポックノートに自分で絵や文字を書き入れていきます》
《すべての授業が終わると、そのノートは学んだものの本となるのです》
そんなシュタイナーに関わってきた私ですが、
その上で、ガチのアンチシュタイナー信者です(笑)
でも、決してアンチシュタイナー思想なのではなく、
それを学んでる一部の(多くの・笑)人の在り方にアンチなのですわ。
それはすごい違うので、ごっちゃにしてほしくないです。
もちろん、すべての方にでもございませんので。
尊敬しておりますアントロの方もおりますしね。
そこに通う子どもたちや、教育の在り方やシステムの在り方、
そう言ったものには共感を持つ部分も多いのです。
その一つが、社会三層構造、というあり方です。
ご存じない方の為にすこし説明しますと、社会三層構造とは
オーストリアの思想家ルドルフ・シュタイナ-(1861~1925)によるものです。
ルドルフ・シュタイナーは、オーストリアに生まれた思想家で
彼の世界観と人間観とは、私たちが生きる物質世界の背後には
精神の世界が存在し、その力が働いているという「世界認識」であり、
また、わたしたち人間は身体と心と精神を兼ね備えた存在であり、
人間は「精神の進化を遂げるために存在する」という「自己認識」です。
彼の認識は「人智学」(精神科学)と呼ばれ、今、世界中で多くの人々が学んでいます。
そして、「人智学」に基づいたさまざまな実践、
すなわち教育(治療教育、シュタイナー教育)、
芸術(オイリュトミー、言語造形、絵画、建築)、
医療、介護、農業、経済など、人間の社会生活と文化生活の多くの領域において、
その改革を目指す人々によって、世界の至る所で実践されているものです。

《人智学共同体ひびきの村の朝》

《シュタイナーの楽器 ライア 千と千尋の神隠しのテーマソングで使われてました》
《これはシュタイナーを学ぶ人たちが自分の手で作ったもの》




《シュタイナー学校の授業の為に教師が描く黒板絵》
《シュタイナー学校も共同体も、その社会三層構造っていうもので運営されています》
で、その社会三層構造ってのは何かって言うと、
人が「愛」と「真」と「調和」の内に共に生きようとするとき、
「精神の自由」、「法の下の平等」、「経済の友愛」が保証され、
互いに拘束することなく自由で自立していなければならない。
(社会三層構造)
と言うもの。
本題からはそれますが、この友愛って言葉を元に
世間に広められたのが鳩山さんの「友愛」ってやつ(笑)
その時に作られた中高一貫校はシュタイナー学校がもとになってるそう。
何故なら、鳩山さんは私の学んだ学校のある、コミュニティのリーダーの同級生。
しかもその息子さんは彼の第一秘書でありました。
だから、そこに明日の政治を作る若者の会の日本支部もありましたよ。
そこにも凝られたりしていましたから、影響は受けているのでしょうね。
そんで、その学校は彼の選挙区である北海道9区に在りまして、
私んちは今でこそ、あれやこれやと大変で上にも下にも行けないけど、
父方の先祖や祖父が地元の有力者や政治家でしたから、
そんな意識もあり、それまでの仕事関係でご縁もありまして、
この方の上におられるO氏の鶯嬢やったりしてたし、
9区でも鳩山さんの奥様のMさんとご一緒に
コール部隊で協力したりしましたのですわ。
これもまた、いい経験だったなぁ。
でも、そのおかげで、内面(裏面か?)も見てきたんで
その元になった考え方にはかなり遠くにいらっしゃると思うので、
現在はあまりそこには関わりたくないと思って過ごしています。
(ここがすごい自分には大事だったり…)
このシュタイナーの社会三層構造を説明したいけど、
これはもうめちゃくちゃ難しいし、出来ない。
という事で子安美智子さんがミヒャエル・エンデさんと
社会三層構造について対話したものから抜粋してみます。

《ミヒャエル・エンデさんはシュタイナー学校の卒業生で社会三層構造の提唱者でした》
娘がシュタイナー学校に行っているあいだの月謝の出し方とか、
校長先生がいないとか、変わっている、変わっている、
とまず十分感じつくして、やっとあとで、
これが「社会有機体の三層構造」だったんだ、とその言葉を知りました。
月謝は、出せる人が、出したいだけ、自分で決めて出しなさい、と、
これはなるほど「友愛」の原理でした。
校長先生がいないのは、先生たち全員が「平等」な立場で話しあうことでした。
そして「自由」は、はじめから学校全体にたしかに流れている空気でした。
私がむしろ驚いたのは、この聞こえのいいモラル、自由と平等と友愛の三つを、
あいまいに、いっしょくたにしてはいけないのだ、というその明快さでした。
ごちゃまぜにするのでなく、分離独立させるべきだ、と。
間の社会生活には、経済と法と文化の三面があることをまず意織する。
私たちが何人か寄り集まって、ある仕事をするときに、お金が必要であり、
運営面での相談がなければならず、仕事の内容にもたずさわる。
仕事の内容は「文化」の領域で、ここに「自由」があるべきなのです。
相談ごとは「法」で、それにはだれもが「平等」の発言権をもってかかわる。
そしてお金、「経済」にかんしては「友愛」がかなめ、と。
三要素を「分離」するということが一般にはピンとこないかもしれない。
人間の生活はぜんぶからまりあっているではないか、と。
それに対してエンデさんが、「分離」というより「自立」と考えよう、と答える。
なぜ、ごちゃまぜがいけないか。
たとえばお金をたくさん出した人が、話しあいのときにも
発言権を大きくもつようなことになるからです。
それを自由とか友愛とかの名目ですりかえることもできるからです。
すごく厳密に考えると、そういう自由や友愛はありえないはずです。
友愛はどこまでも経済の要素のなかにだけ、自由は文化の領域にだけ、あるべきです。
そして法生活には平等しか通用しない。
すこし、感覚的に伝わったでしょうか?
まあ、こういう感じなんです。地域通貨とかはその表れかと思います。
でも、これはすごく難しい。夢と現実があるところには葛藤がある。
言われている通り、完全に自立してなければ、必ずひずみが見えてきて崩壊する。
私はこの目で、それら崩壊してゆく姿をかなり多く見ました。
と、いう事でですね、私の場合は性格上難しいとこもあり、
(分離が苦手だから)考え方としてだけ取り入れてます(^_^;)
もし、ご興味がありましたら、こちらの動画などご覧ください。
いずれもシュタイナー学校の紹介がされています。
これを見ると、人智学共同体の雰囲気は解るかなぁ、とおもいます。
京田辺シュタイナー学校
北海道シュタイナー学園いずみの学校紹介Vol.1
まあ、長く語った割には、そういうの出来たらいいね~って話しで終わりましたね(^_^;)
す、すみませんデス(-_-;)
もっと具体的な私の理想としましては、以下の文章がとても近いです。
生きるために必要な最小限のエネルギ ーを自然界からいただき、
生活に必要な物はできる限り自分たちの手で作る。
お年寄り、子ども、そして力の弱い者を大切にし、皆が支えあって生きる
これ、結構最近紹介しましたが、実際にやっているところがあります。
ここは私の劇団時代の同期の心友が生まれ育った場所なのです。
以前、NHKで特集されたり、ウルルン滞在記で取り上げられた
ブラジルのアリアンサと言う場所にある日系人のコミュニティ。
同じこころざしを抱く仲間達ともに、
「耕し、祈り、芸術する」
共同体として建設された弓場農場です。
Comunidade Yuba
ユバでは
誰も個人のお金を持たない。
稼いだお金はみんなのもの。
心友はそういった。
食膳の祈りは個々の神や魂に向かえばいい。
信仰や思想や生き方は自由。

ご飯はみんなで作り、食堂で食べる。
全ての物事は力を合わせて行い、みんなが働く。
旅人はすべて招き入れ、去る者は追わない。
一度村に入れば、村の人間として扱われる。

お金がほしくなったら、言えばいい。
必要経費はきちんと出してくれる。

消費する60%のものをここで生産し、自給自足の生活。
家もみんなで建てる。およそ作らないものの方が少ない。

弓場農場では、当初から芸術活動にも重点を置いていて、
収入の1/3を活動費に当て、歌舞伎、劇、モダンバレエ、楽器
皆が芸術団の一人として活動します。
農場内には、600人収容可能な劇場も、バレエのレッスン場もあり、
しかもそれは村人の手作り。

誰もが踊るし、歌うし、奏でる。
ピアノ、トランペット、クラリネット、チェロ、フルート、
バイオリン、ビオラ。
絵も学べるし、陶芸でも、彫刻でも、芸術は果てしない。
好きなもの、得意なものを学んでゆく。
決して、強要はしないし、されない。

たった一つの決まりは、皆で決めたことが失敗に終わった時、
言いだした個人を絶対に責めないという、それだけよ。
ここに来たいと思えば、いつでも来ればいいし、
いつまで居たっていいし、帰りたいときに帰ったらいい。
自由。
心友はそういってた。

「農民は真の芸術家の純粋さを持ち合わせていなければ、土を愛すことは出来ない」
「土を耕すのも、心を養うのもまったく同じ」
そう言った創始者は、最初の報酬でピアノを買った。
苦労の末にこんなものを、と言った者は去り、
耕し、祈り、芸術を求める農民たちが残ってここを支えてきた。

弓場バレエ団は、いままでで世界各地を900回以上の公演をしてきたし、
クリスマスには住人総出で芸術祭を行う。

この農場が出来て70年余りが立っているが、
いまだに誰も個人資産を持たないし、
財布は一緒だし、ご飯は一緒に食べるし、すべてが一つ。
私はここを訪ねた事はないけれど、ここで育った心友を見て、
そして、ここの人たちが日本公演に来た際に彼らにじかに触れて
その生き方が、ブラジルと言う土地に間違いなくあることを知っています。
私の「共同体」という理想はここにものすごく近いのです。
なんだろね、死ぬとき、ここで眠れば、地球の為に尽くせそうな気がする。
そんな感じかな?上手く言えないけど。
シュタイナーの共同体も確かに素晴らしかったが、
それ以上のものが、この弓場農場にはある、と感じています。
この日本で、自分が人と関わるとき、何かを成すとき、
こういう風に生き、関わっていけたらと願っています。
ちなみに、日本にも同じように、農業しながらコミュニティ作ってる友人がいます。
奈良の過疎の村でお茶や米作りながら、歌うたいながら頑張ってる。
大和心農縁と申します。
農から始まるご縁を繋ぐコミュニティなんだそうだよ。
「米と茶さえあればOKやから「コメにティー」やねん」
と、大豆つめたり、芋より分けたりしながら笑う若者がおりますよ。
ここも働きさえすれば、いつまでも居ていいところデス。
懐かしい日本の暮らしがそこにあります。

やまと心農縁&健一自然農縁
他にもダンスを通して地球への愛や平和を考えたり、
ミュージシャンだったり、エンターテイメントで世界を巡ったり、
えとせとら、えとせとら、えとせとら、、、、
私のブックマークを見てもらえばわかるけれど、
私の大事な人たちは、もうずーっとむかしっから、
自分自身でしっかり立って、人を受け入れてる、
そんな、素敵な人ばっかりです。
しかも、裏のある人はいない。
お金にしようとしたり、見返りを求めたり
そんな、チッサイ人間はおりませぬ。
ただ純粋に、純粋に、それをやっているのです。
それも私の自慢なのです。
まあ、世の中にはいろんな考え方があって、生き方があります。
私も仲間のごとく、ちゃんと生きてる人の一人でいたいものです。
なんだか雨で超長文になりました。
お付き合いありがとうございました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます