2019年のブログです
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成田善弘さんの『治療関係と面接-他者と出会うということ』(2005・金剛出版)を再読しました。
こちらも久しぶりで、なぜか付箋もアンダーラインもなくて、前回、どんなふうに読んだのか、やや不明です。
白いページにアンダーラインを引いたり、付箋を貼ったりすると、いかにも、読んだ、という感じで、何か達成感がありますが、これは幻想ですね。
感じたことを二つ、三つ。
まずは、最近の(といっても2005年当時ですが)青年の病像が、「恥ずかしい」から「怖い」に変わってきている、という指摘。
内面が脆弱で、傷つきやすく、内省型より行動型で、むかつく、きれる、という形になりやすい、と述べられます。頷けます。
二つめは、心的外傷の問題。
大切な視点だが、一方で、その過剰な流行は他罰傾向を強める危険性があるかもしれないと危惧されます。
特に、心理療法においては、自分の内なる悪に気づいて、それを引き受け、それらの上で不幸を克服することが大切になる、と述べられ、精神分析の事後性という概念を説明されて、心理療法で物語を書き換えられる可能性を示唆されています。大事な点だと思われます。
三つめは、面接において、簡単に納得をせずに、よりきくことの大切さ。
丁寧にきくことで、わからないことがわかり、理解と共感が進む、と述べられます。
ここはすぐ早わかりをしてしまうじーじの欠点を指摘されているかのようで、反省させられます。
最後に、山中康裕さんの著作集にふれ、山中さんの心理療法のいろいろな技法がクライエントを理解するための「たましいの窓」になっている、と述べられています。
「窓」論はいろいろ聞いてきましたが、「たましい」の窓というのはなかなかの表現で、でもよく考えると、すごいな、と思いました。
いい本を読めて、明日からさらに丁寧な面接を実践しようと思いました。 (2019.1 記)
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2022年秋の追記です
「たましいの窓」という表現は、やはりすごいですね。
それも、山中さんがおっしゃるのは当然(!)という気がしますが(山中さん、ごめんなさい)、精神分析の成田さんがおしゃっているところがとても面白いと思います。 (2022.9 記)