人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

ホセ・クーラ フェイスブックで語る 過去の歌手と現代の歌手について / Jose Cura on Facebook

2016-11-17 | 人となり、家族・妻について



ホセ・クーラも、フェイスブック上で公式のページをもっていて、情報を発信しています。でも、ちょっと、一風、変わっています。

というのは、クーラが、投稿も、コメントも、自分で書いているうえに、他のオペラ歌手などのページからイメージするような、舞台裏や日常のスナップショット、同僚と一緒の自撮、バケーションやパーティなどの華やかな投稿がほとんどないからです。

その代わりに、フォロワーに問題提起して、考えさせるような、ちょっと理屈っぽい(笑)、ユニークな投稿が少なくありません。フォロワーからの質問に、クーラ自身が何でも答えるというコーナーを設けたこともありました。私の質問に答えてくれたこともあり、いずれまた紹介したいと思います。

もちろん、次の公演の告知やインタビューとか動画の紹介など、普通の投稿もありますし、演出家としても活動するクーラは、プロダクションの演出ノート、作品解釈などについても、投稿して紹介してくれるので、それもフォロワーにとっての楽しみでもあります。
タイムラインの記事の他にも、動画コーナーやクーラが撮影した写真コーナーなども常設されています。





そんなクーラのフェイスブックで、不定期に登場するシリーズが、“COGITO ERGO SUM”(コーギトー・エルゴー・スム)――ラテン語で、「我思う、ゆえに我あり」。
デカルトの有名な言葉をかかげた、一連の投稿です。これをみても、ちょっと理屈っぽそうな感じがわかるでしょう(笑)。
でもその内容は、いつも、社会のこと、オペラ界のこと、クーラの芸術的信条についてなど、とても率直で、知的に刺激的で、考えされられるものばかりです。

今回は、少し前(10月28日)の、“COGITO ERGO SUM”の投稿を紹介したいと思います。例によって、翻訳が不十分なので、ぜひ、直接、クーラのフェイスブックの投稿(英文)をご覧いただければと思います。

話題は、つぎの写真を、クーラがフェイスブックにアップしたのが始まりでした。これは1997年ウィーンでの、フランコ・コレッリを囲む5人のテノールによるコンサートで、クーラの他に、ニコライ・ゲッダ、ガルージン、ザイフェルトらが出演した時のものです。左がクーラ、真ん中はコレッリ、右がゲッダです。
この写真をめぐって、フォロワーの間でちょっとしたやり取りがあり、それをとりあげて、クーラが意見を表明したものです。





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COGITO ERGO SUM

私は長い間、使っていなかったこのセクションに戻る。
マギーとハンスとの間の非常に興味深い意見交換が、2014年の投稿に関してあった。
そこでは、若いクーラが、偉大なマエストロ、コレッリとゲッダ――これまでで最も素晴らしい歌手の2人――と一緒のところを見ることができる。

マギーは述べている。
「私は、ウィーン国立歌劇場のトスカでコレッリを見たが、私はホセの方がもっと良いカヴァラドッシだと確信している!」
そして、ハンスの返信。
「こんにちはマギー。あなたは、少年時代(若い頃の意味か?)のフランコと比較しなければならない。そうすれば、フランコに対して、君のホセに勝ち目はない!」

それらはオペラの伝説の一部であり、私はこの交流を愛するので、この「広い」問題について、私は自分の考えを指摘しておきたい。

まず第一に、「フランコに対して」という言葉は、この文脈では何の関係もない。
マエストロ・コレッリ、またはフランコは、どの偉大な芸術家もそうであるように、代わりのいない素晴らしい歌手だった。
(実際の)アーティストの間では、誰も、誰かに対抗などしていない。このファンタジーをふりまいているのは聴衆だ。 

ハンスとマギーの許可を得て、私は、彼らのコメントを使って状況を分析したい。
(ハンス、このことは、あなたに反対するのではなく、あなたの言葉を使ってこの話題について語るということだ)





すでに亡くなった者だけが良いと言う(またはほのめかす)ことは、現代の観客を喜ばせるために最善を尽くしている新しい世代から、あらゆる改善の願いを奪ってしまう。

私たちが完璧でないから? 本当だ。
私たちが過去の人々ほど偉大でないから? これもまた本当だ(「多分」と言う人もいるだろう…)。

我々は、可能性をもっている。さもなければ、あなたは、録音で満足しなければならない。
若い世代の成長を助けてほしい(私のことではない。私は、間もなく54歳になる、すでに大きな男の子だ)。
彼らを、芝居がかった死体愛好者の疑わしい海に葬るのではなくて。

あらゆる分野において新しい人を必要としているように、私たちには新しい歌手が必要だ。
私たち、私の世代、さらには私たちに先行する世代は、今日、私たちが残す世界に大きな責任を負っている...

私たちが、世界をどのようなものにしているか、私は話すべきだろうか?
私は、あなたたちが新聞を読むように願う... そして、不毛な論争を止めて、新しい地球をつくり始めよう!

過去において、歌手だけが良かったのではなく、私たちが呼吸する空気もより良く、水はより澄んでいて、極地は溶けだしておらず、アマゾンは消えていなかった。
私たちはまた、友人や地域の活動にもっと時間を割いていた(今日、私たちはインターネットでそういうことをやっている)・・等々。

50年前のような歌手を得ることができるだけでなく、50年前にあったような地球を私たちが持てることを願う。
もちろん50年前も、世界には非常にひどい多くの問題があった...だからこそ。

CARPE DIEM!!! (ラテン語で、「今を全力で生きよ!」) 
José




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オペラ劇場での会話から、オペラアリアの投稿動画のコメント欄にいたるまで、必ずといっていいほど、かつての名歌手と比べて云々・・という話がよくあります。クーラ自身も、欧州デビュー以来、いわゆる3大テノールや伝説的歌手たちと常に比較され、第4のテノールなどのレッテルがついてまわって時期もありました。
そういうことをやめて、新しい若い歌手を育てる立場でみてほしい、というのは、かつての経験からも、またいま、マスタークラスなどで才能ある若いアーティストと接するなかで、切実な思いなのだと思います。

またそれから一歩ふみこんで、狭いオペラ界の過去にひきずられた議論から、視野を広げて、もっと社会全体のこと、地球の未来も考えていこう、私たちにはそういう責任がある――この展開は、常に、芸術と現代社会、今日に生きる人間との関係を考え続けている、クーラらしい問いかけだと思いました。

最後に、前にも紹介しましたが、コレッリを囲むコンサートで歌うクーラの動画を。
当時76歳ころだと思われる偉大な先輩を前に、34歳のクーラ、のびやかで瑞々しい歌唱です。

JOSE CURA "Cielo e mare" La Gioconda (Ponchielli)


Jose Cura "Du bist meine Sonne" (Franz Lehár)


Jose Cura "Come un bel dì di maggio" Andrea Chénier

コメント
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