人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

(ガラ・コンサートとインタビュー) ホセ・クーラ 2016年ドゥブロヴニク・サマーフェスティバル / Jose Cura / Dubrovnik Summer Festival 2016

2016-11-23 | コンサート



ドゥブロヴニク・サマーフェスティバル2016に出演したホセ・クーラ。これまで、(オープニング編)(写真展編)、さらに来年の演出予定に関する(告知編)を掲載してきました。

たいへんしつこくて恐縮ですが、最後に、2日目、2016年7月11日のガラ・コンサートの様子を伝えつつ、現地クロアチアでクーラが受けたインタビューから、興味深い内容を抜粋して紹介したいと思います。

インタビューは、いつも以上に踏み込んだ内容です。経済的危機と文化の問題、母国アルゼンチンとの関係、自身のアルゼンチンから移住した経験と移民排斥、シリア難民など現代の問題、商業主義と若手アーティストの使い捨てへの批判、クラシック音楽のエリート主義など、さまざまなテーマで率直に述べています。
なお、いつものことですが、原文がクロアチア語のために、翻訳に誤りや直訳による不十分さが多々あることを、あらかじめお詫びします。クーラのユニークで我が道をゆく生き方を伝えたいという思いだけでやっている稚拙な素人翻訳で、すみません(>_<) 





Dubrovnik Summer Festival2016 Gala concert
Croatian Radio and Television Symphony Orchestra
José Cura= tenor
Linda Ballova= soprano
Mladen Tarbuk= conductor

コンサートでは、前半が、ヴェルディのオテロからアリアやデュエット、後半がアルゼンチンなど南米の音楽が中心に演奏されたようです。
まずは、ガラコンサートの全体の様子を伝えるダイジェスト動画を。
クーラの登場の様子やソプラノ歌手とクーラの歌、会場の様子とクーラのインタビューなどが映っています。
クーラは、「サウナのような暑さ」をいいつつ、観客が素晴らしく、良いコンサートだったことなどを語っているようです。

Gala concert
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ピアソラのChiquilin de Bachin= チキリン・デ・バチン(バチンの少年)を歌うクーラ。
画像をクリックすると、クーラのFBの動画にとびます。



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――2016年「NACIONAL」のインタビューより   → 原文のページ

Q、ドゥブロヴニクの印象は?

A、到着したばかりで、まだ多くを言うことができない。リハーサルをして、フェスティバルのオープニングとガラ・コンサートをやった。私は街を歩いていない。唯一、ホテルとメイン広場を見た。しかし、ここがユニークな歴史的、建築空間であることを確信した。私の家族は私より先に到着して、本当に熱心だった。

Q、オープニングコンサートでは、歌と指揮をおこない、観客を喜ばせたが、どのようにしてそれをやるのか?

あなたがプロではないと、外からはすべてが困難に見える。サッカーと同じで、すごいことのように見えるが、しかし、あなたがどうやっているのか不思議に思うことを、サッカー選手は簡単にやる。仕事の一部について、あなたが専門家であり、訓練を受けているならば、痛みを伴う運動を意味することがあっても、何も難しいことはない。
私は15歳でステージに立ち、間もなく40年になる。奇跡や偶然、運によるもの何もなく、ただ非常なハードワークの結果だ。

ドゥブロヴニクでは、塔の上で歌うために、登ったり降りたりしなければならなかった。気温40度と高湿度のなかでは厳しい身体活動だった。
2日前にリュブリャナでオテロを演じたので、私のカレンダー上でコンサートの日程を確保するのはかなり複雑だった。幸いにも頻繁な便があり、どうにか可能だった。

オープニング・プログラムは、伝統的な要素を含み、聴衆とコミュニケーションをとり、華麗な女優OlgaPakalovićがガブリエル・ガルシア・マルケスによって書かれた最後の手紙からスペイン語の詩を話す部分など、本当に感動的な瞬間だった。

ガラ・コンサートでは、今年没後400周年を迎えたシェイクスピアを記念して、私は最初の部分でオテロを歌った。
オープンスペースでのコンサートはとても繊細で、鳥の鳴き声も非常に騒がしい。そのような環境では、必要な親密さを作り出すことは困難だ。
コンサートの第2部では、ラテンアメリカとスペイン音楽との関係を中心にして、美しいオーケストレーションで4つのラテンアメリカのラブソング、バラードを歌った。それらのうち、いくつかは国際的にも知られており、人々の反応は予想以上に素晴らしかったと聞いた。





Q、何年も前、90年代初頭に、あなたはアルゼンチンを後にした。あなたは魅力的な国際的なキャリアを作り、後悔していないと思う。もしあなたがあなたの国に残ったら?

A、そうはならなかっただろう。
まず第一に、アルゼンチンは地球の向こう側にあり、本当に世界の出来事から遠い。
そこで何らかの地元のキャリアを持つことはできる。私には、アルゼンチンに残り、そして依然として生き残るために苦労している多くの友人や同僚がいる。しかし劇場がわずか2つか3つしかないので、まともな人生を送ることができる程度に仕事のスケジュールを満たすことは非常に困難だ。
ブエノスアイレスには大規模な劇場テアトロ・コロンがあるが、ロサリオ、メンドーサなどの都市ではより小規模で、プロフェッショナルが生き残れるような強力な活動はない。したがって、チリ、ウルグアイ、パラグアイ、ブラジル...彼らは多く旅をしなければならない。厳しい戦いだ。ドイツが120以上の劇場を持つような、ヨーロッパとは対照的だ。





Q、アルゼンチンを長らく支配してきた政治的、経済的混乱が文化や芸術にどのような影響を及ぼしている?文化は常に最初の犠牲者?

A、実際には、文化に関する混乱がある。文化を扱うカルチャー・ビジネスと混同しないでほしい。これらは同じではない。

アルゼンチンの経済危機以来、軍政の後の経済混乱がまだ回復していなかった時期ほど深刻ではないが、道徳的危機ははるかに悪化した。経済危機は実際には道徳的危機の結果である。人口の半分がお金を持っていて、それ以外の半分が持たないのならば、それは道徳的危機だ。しかし、経済危機はビジネスや文化に影響を与えている。

文化のためのお金がないと、人々は無知のままになる、とよく言われる。私はそれには同意しない。図書館は無料で、博物館への入場も無料、もしくは非常に安く、学生や年金生活者の場合は無料だ。そしてそれはアルゼンチンについてだけではなく、世界について話していること。すべての政府の同じ決まり文句 「お金がないと、文化が低下する」。私は、人間が文化に関心があるならば、そうはならないといいたい。学生ならば、スカラ座のコンサートにわずかなお金で行くことができる。もちろん、一番良い席ではないが、そこは文化とは関係ない、社会的、政治的な自己顕示欲に関係すること。これはポリティカル・コレクトネスではないかもしれないが、私は偽善の別名であるポリティカル・コレクトネスを嫌う。もし、あなたが読んでみたいと思えば、また世界やヨーロッパのギャラリーや博物館で芸術と出会いたいのであれば、それは無料または非常に安価だ。

Q、文化に飢えているなら!

A、もちろん、あなたが飢えをつのらせているなら。しかし、今最も訴えているのは、文化事業に生きている人々だ。私を含め、私は実際にプロだ。私たちは、好きなのでこの仕事をしているが、アーティストと演出家、舞台裏で、主に、よりお金について考えている人々を意味する。アーティストたちは、この職業について、彼のキャリアの中でさらなる進展がなく、その職業で生きていくためにはますます激しく戦わなければならないほど困難であると感じて、対処し始めている。それでは生活のために職業を維持することは困難だ。それはリスクだ。

プロフェッショナルになるほど、仕事において非情でハードになる危険も大きく、あなたがしていることの本当の価値、芸術の本質についての概念を見失ってしまう。それは、人々とのコミュニケーションと感情の交換であり、人々に良いエネルギーと、可能な場合には笑いを伝達する能力だ。





Q、国際的なスターとして、あなたは母国アルゼンチンでの音楽シーンの発展を助けることができると思う?

A、アーティストとその国との関係は、常に非常に議論の余地があるものだ。「誰も彼の村では預言者ではない!」というイエス・キリストの言葉がある。
私は、アルゼンチンにおいて最終的に認められるのに25年以上かかった。国民はそうではないが、行政からはそうだった。昨年、彼らは、私に、上院による特別表彰を与えたが、それは観客だけでなく、行政機関によって認められたということ。しかし、それ以外には、残念なことに、それを無視しようとする理由のために、国とその機関との流動的な関係はない。

ある者は意見を大声で表明することもできる。おそらく、私とアルゼンチンの機関の間には強い兄弟関係がないので、私は政治について、静かにしていることができる。私が言っているのは機関の考えのことであり、聴衆が私を好きでいてくれることは知っている。
行政機関は誰が権力を持っているかに応じて、常に愛と憎しみの間にある。幸いにも、これは3年から4年ごとに変化しているが、どこにでもあることだ。一番の例は、おそらくこれまでにおいても、現在でも世界最高のサッカー選手であるリオネル・メッシだ。彼は、ヨーロッパに来て英雄になるまで、自分の国でそれを経験しなかった。

Q、あなたは何年も前にヨーロッパに到着したが、北と南、南米とヨーロッパの違いについてどんな経験を?カルチャー・ショックは?

A、イエス、私は財布に2つコインをもって、90年代初めにイタリアに到着した。私は仕事がなく、家族と共に生き残ろうとしていた。最初のショックは、私が絶対的に何もない者になったこと、お金もなく、私はドアをノックして、「私に仕事はないだろうか」と尋ね回らなければならなかった。

それは、私にとって、各地からヨーロッパへ何千もの難民が到着している状況を非常に連想させる。
もちろん、私はミュージシャンであるという利点があった。実際、私は、ミュージシャンであると主張したが、まだ証明していなかった。そう、私はテノールだったが、私はそれを証明しなければならなかった。私はアルゼンチン人で、シリア人ではなく、テロリストの支配する国から来たわけではなかった。これらはまだ酌量できる状況だったはずだが、当時のイタリアでは非常に困難だった。実際、ちょうど分離主義者とファシストの党、北部同盟が出現した時で、私は北部同盟がもっとも強かったヴェローナに住んでいた。そして外国人が排斥されたために、私は離れなければならなくなった。

実際には、私の祖母はイタリア出身であり、何人もの親友がいて、私はイタリアを本当に愛している。しかし彼らは私を失い、そして、私は国際的なスターとして、それらを使用するようになった。
その後、フランスに移った。そこはとても良かったが、主に天候のために、スペインに移り住んだ。パリは雨が多く、ラテン系の私たちには多すぎた。





Q、あなたは商業的なクラシック音楽産業を嫌っており、そのため、仕事を手配するエージェントを持たないと聞いたが?

A、私は業界を嫌っているわけではない。しかしその業界が、品質に十分注意を払うことなく、獲得した結果であるマネーに基づいている時、それを嫌う。

時には、本当に良い者が、国際的に有名になることがある。それは問題ではない。
時には、いくつかの奇妙な理由で、より有名になり燃えあがる。実際には、経験から話すと、それは「とりあげる、使う、却下する」というモットーの下で、放り出されるだろう。これが今日、若いアーティストたちに対してやっていることだ。
いくつかの興味深い可能性を検出すると、実際のメリットと理由もなしに、彼らに一晩で大スターに変身できるという錯覚を与える。ロマンティックな言葉を使うと、それを才能と呼ぶかもしれない。しかし、才能は単なる種であり、それは大樹ではない。まだ家を建てられるだけの多くの木を持たず、種だけがある。彼らが「キャリアを築いている」という時、それが今日、若い人々に起きていることだ。しかし才能以外、何ももたない。そして幻想を与えられた彼らは、若くて理想主義に満ちているので、それを信頼し、使い捨てられる。彼らを保護し、彼らのプロフェッショナルとしての発展を助けるのではなく、わずかな期間にそれらを打ち上げ、悲劇を起こす。

いくつか非常に有名な例がある。 エイミー・ワインハウスのことを考えてみてほしい。プレッシャーによって倒れた。彼女は次のバーブラ・ストライサンドになる可能性があった、素晴らしい声と才能をもつ若い女性であったことは否定できない。しかしバーブラは、長く日陰で歩み、ステップを前に踏み出すに十分強くなるまで、自分の時を待って、そのようになった。

いまは、若い世代にとって非常に危険な時だ。私たちはすでに確立されており、自分を外部から守る方法を知っている。しかし若い人たちはそうではない。
これは業界への憎しみではなく、業界内で、自身の利益のためだけにそこにいる者への憎しみを意味する。





Q、あなたは第4のテノールとしてメディアに扱われたが、それはあなたへの侮辱だった?

A、おそらくいまだに私を第4テノールと表すことはないのでは!?これは前世紀のものだ。

しかしながら、私が第4のテノールだと想像すると、それは私への侮辱ではなく、他の3人に対してだ。彼らは私の父の年代であり、伝説になるための莫大な操作に投資しているという、単純な理由から。
私は自分より若い若者と比較されるべきではない。そう、今、私はこのビジネスで30年間やってきた。私が「第4のテノール」といわれ始めたとき、私は言った―― ちょっと待ってほしい、私はまだ、ただの子どもだ!

Q、3大テノール、世界中での大規模な有名なオペラ・アリアのコンサートなど、このようなコンセプトでのクラシック音楽の普及についてどう思う?

A、私はクラシック音楽の普及を問題だとは思わない。私が問題だと思うのは、クラシック音楽のエリート主義だ。
それが書かれた当時、楽しみのための音楽であり、これは過去におけるポップミュージックだった。一般の人々のための音楽であり、エリートのための音楽ではなかった。

エリートのための音楽は教会音楽だった。それ以外の、300年から400年前の音楽は、すべての人のためのものだった。それは20世紀に始まり、この文化の断絶は、人々の間での分裂など、多くの深い理由からのものだ。政治家がそれらを操作する。

このような音楽の分裂はばかげている。シューベルト(Schubert)と同様に、ジョン・レノン(John Lennon)、マッカートニー(McCartney)の曲は良い。





Q、あなたは、主に指揮者として教育を受け、後に歌うようになり、それから演出、舞台デザインを手掛けるなど、真の意味で舞台をコントロールしている事実によって、世界の音楽シーンにおいて独特な存在だが?

A、私は目障りといわれている!

Q、私はクロアチアで、それを行うことができる人を知らないが?

A、あなたは世界中の人を知っている?私はこの質問を受けるとき、傲慢になりたい。なぜなら、私がすべてのことをやっていることで、非常に批判されるからであり、傲慢でいることは本当に大事なことだ。




Q、他にもあなたは写真家として?

A、私は言葉の真の意味での写真家ではない。写真は私の趣味。
人々は通常、音楽を趣味にするが、しかし私はミュージシャンであり、私たちは音楽を趣味になることができない。私は何か他のものを見つけなければならなかった。
私はいつも、自分の作曲は良いと思っていたけれども、写真は、スイスの出版社が出版することを提案するまで、公開するつもりはなかった。私は、人々が、私をふくむ公的な人物が、何を愛し、何を嫌い、どのように自分の周りの世界を見ているのか、理解したいと思っているという事実に興味をもった。だからこそ彼らは、私の写真や、パヴァロッティの絵や本を買う。ドゥブロヴニクでそれらの一部が公開される。







最後は、アンコールの定番、トゥーランドットの「誰も寝てはならぬ」
Jose Cura



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暑い夏の野外コンサート、スケジュール調整など、いろいろな困難な条件はあったようですが、歴史と伝統のあるサマー・フェスティバルで、指揮と歌、そして写真という、クーラの多面的な能力が発揮される場となり、大喝采をうけて大きく成功したようです。さらに来年2017年のフェスティバルでは、プッチーニのトスカを演出することがアナウンスされています。このフェスティバルとクーラとの関係が、さらに続いていくことを願いたいです。

またいつも率直にものをいうクーラですが、このインタビューでは、「偽善の別名であるポリティカル・コレクトネスを嫌う」といい、かなり逆説的な言い方もしていて、クロアチア語からきちんと真意が伝わるようにできたのか、たいへん心配なところでもあります。疑問に思った方は、ぜひ、原文のページをご覧ください。

シリアをはじめとする難民問題への言及は、とりわけ彼自身の辛い経験と結び付けて語られていて、胸に迫りました。移民排斥の政治勢力が伸びるなかで、祖母の地であったイタリアから追われるように離れたというのは、初めて読んだエピソードです。
若いアーテイストたちに心を寄せた商業主義批判は、彼自身も体験したことでもあり、また自分の決断で断ち切り、自分の足で自分の道を切り開く決意をしてこれまでやってきたクーラならではと思います。

日本ではこういう彼の姿や発言は、まったく紹介、報道されることがありません。そのため語学力のなさをかえりみず、無謀にも訳してみました。内容の誤りはすべて私の責任であり、それについては申しわけありませんが、ぜひ、クーラのユニークで我が道をゆく姿勢の一端を知っていただければと思います。読んでいただき、ありがとうございました。










*写真はフェスティバルのHPなどからお借りしました。
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