これまで何回か紹介してきましたが、カヴァレリア・ルスティカーナの主人公トゥリッドゥは、ホセ・クーラが長年歌い続け、愛してやまない役柄です。
すでにクーラは、50歳代になってこのトゥリッドゥの役は「卒業」したそうですが、つい先日、クーラのインスタグラム上で、フォロワーからトゥリッドゥのアリア「母さん、あの酒は強いね (Mamma, quel vino è generoso)」の歌い方について質問が寄せられ、クーラが回答していました。
その中身が、クーラのオペラの歌唱と演技に対する姿勢をよく示していて興味深かったので、紹介したいと思います。
クーラは、インスタやフェイスブックの投稿は自分で管理しているので、時折、フォロワーのコメントに返信してくれたり、時間があれば、このような質問に対して、丁寧に答えてくれることがあります。私も何度か返信をもらって、とてもうれしかったことがあります。
以前は、質問コーナーを開設して、さまざまな質問にまとめて回答したこともありました。 → 「ファンの質問に答えて」
今回は、特にそういう質問受付中ではなく、クーラはベルギーのワロン王立歌劇場でオテロのリハーサル中だと思われます。
いつものように不十分ですがざっくり訳してみました。誤訳、直訳、お許しください。
(フォロワーの質問)
●なぜ他のテノールのようにハイノートを伸ばさない?
質問してもいいですか?
1996年のラヴェンナでのカヴァレリア・ルスティカーナ、またそれから数年後のあなたのパフォーマンスについて。
トゥリッドゥの最後、「母さん、あの酒は強いね (Mamma, quel vino è generoso)」の終わりの「さようなら(addio)」で、あなたはどちらの公演においても、多くのテノールがやっているように(私のすべての時代におけるオペラのヒーロー、コレッリは特にそうだ)、ハイCを思い切り伸ばすことをしていない。
その理由は、単に作曲家マスカーニがその部分をハイCで書いておらず、それは、悲惨なトゥリッドゥを、大声をたててではなく、すすり泣く声とともに去らせるため――彼が最後に自分の愚かさを理解していたということからなのだろうか?
私はもちろん、あなたがそれ以上のことができることを知っている。
私は、本当にその理由を知りたいと思う。
(追伸)お世辞ではなく、両方のパフォーマンスは並外れていた。あなたは、歌だけでなく、演技も素晴らしい。
(クーラの回答)
●オペラは勇気ある解釈を必要としている
まずはじめに、それはハイDo(C=ド)ではなく、La b(A=ラ)であり、テノールにとっては容易な音だ。
だからそれを長く伸ばすことは、技術的な問題ではなく、(悪)趣味の問題であり、さらにはドラマに関する問題だ。
トゥリッドゥは母親の腕を振りほどいて去って行き、死ぬ。彼は走り去りながら、声を乱しているので(breaks the note)、テノールが何かを証明するために、それを伸ばすことはできない。それ(スコア)は、まさにそのように書かれている。
「ある晴れた日に」( "Un beldìvedremo")の終わりと同じだ。そこでは、蝶々夫人は、感情の高まりによって、彼女のハイSib(B=シ)を壊すべき( should break )である。それを永遠に伸ばしてはならない。
しかし、誰もそうしない。それは、声を乱すと良い歌手ではないと言われることを恐れているから...(ため息)。
現代的なオペラになるためには、勇気ある解釈を必要としている。きまぐれな演出などではなく...。
*********************************************************************************************************************
この動画が、質問者が例にあげた1996年のカヴァレリア・ルスティカーナ、ムーティ指揮の舞台のトゥリッドゥのアリアです。
Jose Cura 1996 "Mamma quel vino è generoso"
ファンとの対話を大切にすることや、オペラの解釈、芸術的な問題について、率直に、フランクに語る、クーラらしい回答です。
また、オペラにおいて、クーラは、テノールのテクニックやハイノートを見せ場にするのではなくて、スコアと脚本に誠実に、ドラマと登場人物のキャラクター、心理に立脚して、一つ一つの音、歌を組み立てているのがわかると思います。オテロでも、ドラマのためには声を歪ませることを避けてはならないと繰り返し発言しています。
これまでもクーラに対しては、かつての伝説的な歌手のように歌わない、ここぞという「聞かせどころ」で期待どおりに歌わない、という批判が少なくありませんでした。しかしそれは、きまぐれや自己流、ましてや歌えないのではなく、オペラのドラマを描き出すアーティストの信念にもとづいたものということができると思います。この点でも、頑固です(笑)。そこがまた魅力でもあります。