人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

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1998年 ホセ・クーラ、パヴァロッティの代役でパレルモ・マッシモ劇場のアイーダ出演 / Jose Cura in Aida at Teatro Massimo

2017-06-23 | オペラの舞台―ヴェルディ



現在、各地で来日公演を行っているイタリア・シチリア島のパレルモ・マッシモ劇場。アンジェラ・ゲオルギューのトスカ、レオ・ヌッチがパパ・ジェルモン役の椿姫など、豪華な配役で話題です。

ところで、公演のHPを見ると、マッシモ劇場の紹介として、「1974年から24年間修復のため閉鎖。1998年再開、こけら落とし公演はヴェルディ『アイーダ』だった。ホセ・クーラがパヴァロッティの代役として登場、オペラ界の話題をさらった」と書いてあります。
今回は、この公演について紹介したいと思います。








Aida (Giuseppe Verdi)
Teatro Massimo di Palermo 1998 , re-opening of the theater
Norma Fantini (Aida)
Jose Cura (Radames)
Barbara Dever (Amneris)
Giorgio Zancanaro (Amonasro)
Andrea Papi (Ramphis)
Conductor= Angelo Campori


確かにこの時、クーラがパヴァロッティの代役としてラダメスを歌っています。初来日して新国立劇場開場記念アイーダのラダメスにロールデビューしたのがこの年、1998年の1月。そして、このマッシモ劇場のリニューアルオープン記念公演は、その少し後の1998年4月22日と5月22日の2公演でした。
くしくも、日本とイタリアの両国で、重要な劇場のオープン記念・再オープン記念という祝祭にクーラが連続して出演したことになります。それから来年でちょうど20年になります。

すでに新国立劇場のアイーダについてはブログで紹介していますので、今回はパレルモ・マッシモ劇場のリニューアルオープン公演について、クーラのインタビューや、公演の録画などをいくつか紹介します。


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――1998年のパレルモ・マッシモ劇場のリニューアルオープン公演、事前のインタビューより

●世代交代の瞬間


私は、パレルモ市民の期待に応えられることを願っている。長く待たれていたことをわかっているし、またパヴァロッティが出ないことで失望している人がいることも知っている。しかし、おそらくこれらの人々も、私がパレルモに来たことを喜んでくれると思う。

世代交代は、遅かれ早かれ、我々が取り組まなければならないものだ。
私はこのような偉大なアーティストの代わりに出演することを誇りに思っている。マッシモ劇場のリニューアル・オープンは、今世紀の終わりのイタリア、そしておそらく世界においても、最も重要な文化的イベントの1つだ。
オペラハウスをリニューアル・オープンに出演する栄誉は、イタリアのテナーに属するべきであるというのは当然のことだ。しかし、パヴァロッティには、彼の声が素晴らしいコンディションにあるとしても、65歳近い男性としての身体的な問題がある。ラダメスは大きな物理的な力を必要であり、そしてこれは世代交代の瞬間だ。
パレルモに来るためには、自分のカレンダーを完全に変更しなければならなかった。それができたのは奇跡のようだ。





Q、あなたは、しばしば優れた「代役」にたっているが?

A(クーラ)、そう、パヴァロッティは私が代役をした3番目だ。今年はすでに、オテロのプラシド・ドミンゴとカルメンのホセ・カレーラスに代わった。そして今はパヴァロッティの代わりをしている。それについての判定は、他の人に委ねる。


Q、ラダメスは、すでに東京でゼフェレッリ演出で歌っている。この役割の声の難しさとは?

A、私がオテロにデビューしたとき、誰もが私に言った――「注意するように。それは虐殺だ」。
私はそれに対して、「彼らはラダメスがどれほど難しいか分かっていない。声楽的にはるかに難しいものだ」と答えた。

この4幕のオペラで、このキャラクターを「維持」することは、ヴェルディのレパートリーの中でも最も難しいものの1つ。
カーテンが上がると、すぐに、テノールは「清きアイーダ」 "Celeste Aida"を歌わなければならない。それは大きなテストだ。
私はこのアリアを歌ううえでの、私自身のやり方を見つけたと思う。パレルモでそれをうまくやれることを願っている。


マッシモ劇場リニューアル開場公演アイーダでの、第1幕、冒頭のクーラの「清きアイーダ」
Jose Cura amazing! "Celeste Aida" Palermo 1998



Q、アイーダで何が一番好き?

A、アイーダの偉大な音楽は、第3幕から始まる。
最初の2つの幕は型どおりだが、第3幕以降は、より現代的で、より演劇的だ。
アイーダは、巨大なスペクタクルを見たい聴衆を満足させるオペラになってしまっているが、 第3、第4幕では、革命的なヴェルディを聞きたい人にもアピールする。


第3幕、アイーダと会い、エジプトを離れ、エチオピアで暮らそうと誘われたラダメス。悩みつつ決意したが、アイーダに巧妙に聞かれて、軍の行軍経路の機密を口にしてしまう。そこに現れるアイーダの父であり敵国の王アモナズロ。愕然とするラダメス、さらにそこにアムネリスとラムフィスらが現れる。喜怒哀楽、感情、局面が二転三転するドラマティックな場面。
Jose Cura 1998 "Pur ti riveggo" Aida



Q、アバド指揮によるオテロの経験は重要だった?

A、私のキャリアの転換点になっている。私はオテロが別のやり方でやれることを実証した。
多くの人が私の現代的な解釈を高く評価したが、他の人は私を批判した。しかしそれは普通のこと。
それはアーティストとして成長するために取らなければならないリスクだ。

Q、4月14日にパレルモに到着する。劇場デビューの1週間と少し前。リハーサルの時間が短すぎるのでは?

A、カレンダーのうえでは、私が来ることができたのはまったく奇跡的だ。

Q、「アイーダ」はパフォーマーにとって何を意味する?

A、大きなテスト。
長年にわたって、私はラダメスのキャラクターを避けようとしてきた。彼への対処は私を圧倒することだった。
私を納得させたのはゼフィレッリ。彼は、「アイーダ」の演出を受け入れるのは、私が出演する場合だけだと私に言った。
今、私は結果に満足している。

Q、ゼフィレッリがいないと、マッシモのラダメスは日本でのものと違う?

A、計画では、キャラクターの設定はその時とは変わらずにとどまり、おそらく時間とともに進化し、声の観点からは改善されている。
パレルモでは、私は別のグループのなかに収まって歌う必要がある。私は、到着した時に誰かが言ったような愚かな人間ではない。
「どれも私が言うようにならなければ、私は抜ける」――この種の行動は、私の一部でもなく、そしてそれは助けにはならない。またどんなアーティストのものでもない。



第4幕、ラダメスを救いたい、愛を訴えるアムネリス、それに対し毅然と拒絶し、アイーダへの真心と自らの誇りを歌い、審判の場に向かう。丁々発止の二重唱。
Jose Cura 1998 "Già i sacerdoti adunansi .." Aida



Q、あなたのデビューは?

私のキャリアはちょっと説明しにくいが、試してみよう。私は1993年にトリエステで初めて、現代オペラを歌って主役を務めた。翌年、「運命の力」のノーカット版に出演し、実際上、国際的キャリアを開始した。

初めから、私の音楽との関係は愛憎ともにあった。
12歳でギターを弾いて歌い始めた。15歳で合唱団を指揮し、17歳で、作曲と指揮を学び始めた。
19歳くらいで、歌を始めたが、残念なことに、間違った教師によって、声を傷つけ、不適切な、間違ったテクニックのために、22歳くらいであきらめた。良いこと以上に苦しんでいた。私は自分自身に言った――歌がこのようなものなら、やめるほうがよい、と。
それが私が26歳になるまでにやったことだ。その後、私は研究を再開した。そして今度は、私は正しいテクニックによってうまくいった。それを楽しむことができるかどうか ―― それは別の問題だ。

Q、歌うことはどういう意味?すべてを忘れさせる?

A、全く逆で、私はすべてを覚えている。
私がステージにいるとき、まさにそれは過去と現在が一緒に来ているかのようだ。
私のパフォーマンスのどれもがアクシデントの結果ではなく、むしろ一緒に束ねられた多くの経験の結果だ。
ステージに立つことは、私の人生の中で最も幸せな時間。家族の中で家にいるときのように。私は安全で、私を害する可能性のある、あるいは害したい人から遠く離れていると感じる。

Q、オペラが終わった時、どのように感じる?

A、レース後のマラソンランナーのように身体的に疲れているが、エネルギーにあふれている。それは愛する女性を愛している時と同じ。あなたはあなたの最高のものを与え、終わったら、疲れてはいるが喜びに満ちている。


石牢に閉じ込められたラダメス、そこに現れたアイーダ。ともに死を覚悟した哀切な2重唱。
Jose Cura 1998 Aida last "La fatal pietra sovra me si chiuse"




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