長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第37回 『モーニング守誠。 2008~09 雑想編』

2011年07月22日 23時39分07秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 こんばんはぁ~いっと。みなさんお元気ですか? そうだいでございます。
 いやぁ~過ごしやすいね! すずしいすずしい。熱帯性のじめじめした台風の反動なんですかね。なんか、風のにおいが「夏の終わり」なんですよ。夏休みの終わりのころの「24時間日曜日の『サザエさん』以後」状態を思い出しちゃってムダにおセンチになっちまったぜい。このむなしさ。好きなんだけど別に明日から秋になるわけでもないんすよねぇ。8月はこれから。燃えるようなホッサマーがやってくんのよねぇ~!! 今のうちにこの涼しさを楽しんでおきましょう。

 ちょっとおセンチといえば、ついさっきに友人(って呼ばせて!)のブログを拝見したところ、あの、芸能人の似顔絵の表紙で有名な総合情報週刊誌『ぴあ』が今週で最終号なんだという話題が。
 『ぴあ』。お世話になったねぇ……
 私、ちょうど20世紀と21世紀をまたぐ感じで大学生の時期を過ごしたんですけど、当時はケータイもパソコンも持っていないというだいぶ遅れがちな生活をしてたんですよ。そういう私は重宝したねぇ~、『ぴあ』!
 入学してからは毎週かかさず買ってました。毎晩、眠くなるまでニヤニヤしながら『ぴあ』をながめては、

「なんだろ、この美術展? 誰だか知らないけど行ってみよう。きっとこれが芸術ってやつなんだ!」
「すげぇ! 普通の映画よりも安い料金で何本も名作が観られるんだ。東京はおそろしかとこばい。」

 などとまなこをキラッキラさせながら蛍光ペンで情報をチェックしていました。おまえはメルヘン少女か。
 思えば、パソコンを1人1台持っているのが当たり前になりつつあった(ケータイやPHSにいたっては、私以外に持っていない学生さんに会うことはありませんでした。)当時、ここまで熱心に『ぴあ』を買っていた人は少なくとも私の身のまわりにはいなくなっていましたね。所属していたサークルでも、私が買ってきた『ぴあ』をみんなで読んであーだこ-だ他愛のないフリートークを展開するというのがなんとなくの定型になっていました。
 うん。パソコンを去年ぐらいからやっと使いはじめてみてわかったんですけど、『ぴあ』の需要は私が大学生になった1990年代末期にはすでに縮小をはじめていたんですね。
 でも、私はお世話になったよ。パソコンで自分の好きな話題だけを検索していたらとうてい気づけなかったような未知の場所に行けたのも『ぴあ』のおかげ。山形からやってきた「Everyday おのぼりさん」状態だった私が東京を勉強することができたのも『ぴあ』のおかげだったのです。
 確か、三鷹かどっかの、駅からもけっこう歩かなきゃならない場所にあったコミュニティセンター(そこに着いた時、私は「東京の公民館はでげぇなやぁ~。ビルヂングみでぇな。」と喫驚したものです。)でひっそりと上映していた映画『本陣殺人事件』(監督・高林陽一 金田一先生・中尾彬)を観たのも、『ぴあ』を調べたおかげだったなぁ。私が生まれて初めて、かの名画『惑星ソラリス』を観た大森の名画座での特集上映企画を見つけたのも『ぴあ』で。あの時、映画館から帰るときに見た、夕陽に真っ赤に染まる大森の街の異様な美しさは忘れられません。

 こんな感じでえらく恩義のある『ぴあ』だったのですが、私も大学卒業の間際にぱったりと買うのをやめてしまいました。
 確か理由は、「表紙イラストの仲間由紀恵さん(だっかか誰か)が異常に似ていなく感じた」から。
 いや~……なんかショックだったのよね。たぶん、単に私の気分の問題だったのでしょうが、私の中のなにかがはじけた。

 それ以来、現在にいたるまで10年ちかく離れてしまっていたので、ここで急に「残念だなぁ!」と言うつもりはないのですが、まずは「どうもありがとう! あの時はお世話になりました。」と言わせていただきたいと思います。お疲れさぁーっした!


 さぁ、昔話はここまでにしておきまして、さっそく今回の本題である「ざっくりすぎるアイドルグループ史」の続き、2008~09年におけるモーニング娘。とハロー!プロジェクトの趨勢についての雑想をつづっていきたいと思います。って、こっちも昔話じゃねぇかァ!!

 2008年以降、ハロー!プロジェクトは依然としてモーニング娘。、Berryz工房、℃-uteの3本柱にエルダークラブ(現在のM-line club)のモーニング娘。卒業メンバーといった陣容を変えずに押してはいたのですが、モーニング娘。の企業CM出演やNHK『紅白歌合戦』への出演がぱったりなくなったことなどからもわかる通り、かつてのメディア露出の多さからは比べるべくもない「静けさ」を呈するようになっていました。

 かつてハロプロは、アイドルグループの他にも卒業後のごっちんやなっち、「最後のアイドル歌手」あややといったソロアイドルで強力な顔ぶれを擁していたのですが、2008~09年のころにはごっちんはエイベックスに移籍して、なっちやあややはそれぞれの次なるステージを模索して各自が「アイドル歌手」というくくりから去っていくこととなりました。これを無理に止める筋合いは他人の誰にもないでしょう。
 問題はその後継者なのですが、彼女たちの巨大すぎる穴を埋めるには「ハロプロエッグ」のみなさんはあまりにも「エッグ」すぎ、唯一のソロアイドルとも言える真野恵里菜さんは「穴を埋めます!」といった気合いをこめてギラッ、シャキッ、ドジャ~ン!と舞台に立つといった方向の似合う人ではなかったのです。
 これをさして真野さんを「ダメだなぁ!」とか「パッとしねぇなぁ~。」と言うむきがあるのもわかりますが、真野さんのあり方は「前にグイグイ出ない」魅力というか、「前にグイグイ出ざるをえないアイドルという職業に新鮮に真剣に戸惑いながら、それでもアイドルをやっている」という未完成の美、プロフェッショナルというものを常に自問自答し続けている苦悩の美というものを体現しているアイドルのあり方なのです。
 私は真野さんを「アイドル界の徳川秀忠」と言いたい。「悩まなくてなにが後継者だ」って話なんですよ! ともすれば真野さんは現在、実につらい日々を送っておられるかも知れないのですが、ぜひともここは我慢のしどごろと考えて快活にその道を歩んでいってほしいのです。
 「ガチでナンボ」と言われているせちがらい昨今のアイドル乱世事情にヘキエキしている人々にとっては、真野さんの透明でもろい存在感は非常に貴重なアジールになっているはずです。歌の実力も着実についてますし。がんばって、ちょ~だい!

 さて、ハロプロのソロアイドルについてはここまでにしておきまして、ここからはモーニング娘。の話であります。

 2007年にはからずも連続してしまった吉澤リーダーの卒業と藤本リーダーの脱退、そして新たに加入した光井愛佳・ジュンジュン・リンリンの第8期メンバーによって、モーニング娘。は以前にも増して21世紀初頭の「黄金期」のかおりを少なくした独自色を強めるグループに変容していきました。
 その2007年のなかばからほぼ2009年いっぱいまで続いた9名体制が、モーニング娘。史上最長の顔ぶれとなっていたことは前回にも触れたのですが、この「2年半ずっとメンバーがいっしょ」という選択にこめられたものは、まさに「キャンディーズ型からピンク・レディー型」への変身を通じて、彼女たちなりのアイドルグループとしての「誠」を頑として守り抜いていくという鋼のような決意だったのではないでしょうか。
 ここでの「誠」とは、今までも、そしてこれからも自分たちのパフォーマンスを観ようとしてくれる人たちに、その期待以上のものをご覧に入れてやるゼ!と立ち向かっていく「誠意」です。う~ん、ロマンだ!

 それまでのモーニング娘。は、必ず1年に1回は誰かが卒業するか誰かが加入するという、モーニング娘。そのもののアーティストとしてのクオリティとは別のところでの話題性を打ち出すやり方で世間の耳目を集めていました。もちろん、つんく♂さんの作詞家・作曲家としての資質も言わずもがなではあるのですが、むしろ「総合プロデューサーつんく♂」としての真骨頂は、新メンバーを入れて現役メンバーを成長させ、そんな現役メンバーにならって新メンバーも成長していく物語を継ぎ足していくタイミングセンスにあったような気がします。こういった定期的な「若返り」があるということは、言い換えればモーニング娘。の「中身」がいつまでたっても成熟しない「成長のリセット」が繰り返されていた、ということになります。
 この、「アイドルグループの成長をひとつのドラマとして提供する」やり方は、時代や人数こそ違うものの、あのアイドルグループの祖ともいえるキャンディーズの、無名からみるみるうちに成長してビッグアーティストになっていき、そしてグループの成熟をもって解散とするやり方を踏襲したものだったのです。

 しっかし! 2007年のなかばからメンバーを固定させたモーニング娘。は、当然のごとく着実にグループとしての成長を開始してゆくこととなりました。これはつまり、モーニング娘。の中で当たり前となっていた「成長のリセット」がなくなり、そのままズンズンと歌唱力やダンスパフォーマンスといった部分でのレベルが上昇してゆき、ビッグアーティストとしての「本物の」魅力をつけていく形態にかわったことを意味します。そして時は動き出す! ウリイィィィィャアァ!!
 ここで忘れてならないのは、モーニング娘。メンバー中屈指のベテラン(といっても20代前半)、2008年11月の時点でそれまでの在籍最長記録保持者だった2代目リーダー飯田圭織の7年3ヶ月を超えたツートップ、高橋愛と新垣里沙の2人が、2008年8月に放送された日本テレビの大型特別ドラマで、他ならぬ「ピンク・レディー」の役を演じていたということです! これ以上にわかりやすい意思表示はありませんやねぇ。

 ピンク・レディーといえば、「キャンディーズ型」、つまり自身の成長物語から生まれる感動をファンとともに分かちあっていくタイプとはまったく違った、圧倒的に独特な歌詞世界や他に類を見ないダンス、力強いヴォーカルなどでファンをグイグイとみずからの世界に引き込んでゆく「最初から完成された作品のクオリティ先行型」の最たるアイドルグループでした。
 つまりは、結成以来実に10年の長きにわたって「キャンディーズ型」を繰り返していたモーニング娘。が、ここにきてついに「ピンク・レディー型」に移行していく実力を発揮するにいたったことの象徴が、この「モーニング娘。によるピンク・レディーの再演」だったのです。まぁ、黙って再演させるほどピンク・レディーのお2人も老いていなかったわけなのですが。

 成長ドラマの舞台から、実力本位のプロ集団へ。この大きな方針転換がつんく♂さんの判断によるものだったことは言うまでもないのでしょうが、彼にそれを決めさせたことに当時のメンバーの実力が大きく関わっていたことは間違いないでしょう。上が実力本位と決めたとしても、肝心のグループにその力がなければどうしようもないからなのです。
 でも、当時のモーニング娘。はすごかった。なんといっても、リーダーの高橋さんの歌唱力と、汗だくでみせるパフォーマンスの美しさは本物なんですよ。

 2001年の加入当初、まだTV番組での露出も多かった時期での第5期メンバーおひろめがあった時、私はまだおさない高橋さんを観て、
「なんだか、えんどうまめみたいな顔の娘ッコが入ってきたなぁ……大丈夫かな?」
 と感じてしまいました。
 2007年の急な5代目リーダー就任の報を聞いても、
「え、高橋愛ちゃんがリーダーなのか。ミキティの後だからなおさら大変だろうなぁ。」
 といらぬ心配をかけていたものです。

 しかし。高橋さんの実力は本物だ。
 今まではモーニング娘。のメンバー10名ほどが持ち回りで曲を唄っていても、それぞれの声のくせや高低によって誰が唄っているのかをなんとかさぐり当てることはできました。
 ところが、どこを高橋さんが唄っているのかを判断する手がかりは、くせや高低ではありません。

 「声に芯があるかどうか」! 芯があったら、たやすくねじ曲がりそうにない強さがあったら高橋さん。

 はっきり言えばごっちんやミキティのようなわかりやすい華やかさや特徴はないのですが、高橋さんの歌唱の安定力はすでにアイドルの範疇を軽く凌駕しています。
 高橋さんのパフォーマンスは、激しいダンスも一瞬の軽いしぐさも、呼吸の取り方も汗のかき方さえもが彼女の歌声に説得力をあたえる血肉となっています。どれも邪魔にならない。っていうか、それらはすべて「歌手・高橋愛」のコントロール下におかれている武器なのであって、それらのぶれによって本体である歌声がおろそかになることなどありえないような気がしてくるのです。この安定感たるやもう、死線をかいくぐってきた一流のサムライのそれに近いと! いや、サムライに会ったことはないんですけど。
 言ってみれば、高橋愛さんは「アイドル界の近藤勇」なのね。こんなたとえばっかですみません!
 とりあえず最初に目立つのは他のメンバーだったとしても、最終的にいちばんグループにとって必要な頼れるリーダーが高橋さんなんですよ。

 そういえば、振り返ってみるとなっちに始まりごっちん、石川さんと歴代それぞれの時代でモーニング娘。の「エース」ともくされるメンバーはいたわけなのですが、グループの中で正式に決定されている「リーダー」でもありながら「エース」にも数えられていた方は、5代目リーダーのミキティと6代目現リーダーの高橋さんしかいません。そのミキティが突如としてグループを去ってしまった以上、この難局を打開できるお人は高橋さんしかいなかったというわけなのです。

 やたらメンバー全員をベタぼめしてもしょうがないので高橋さんだけにしてしまうのですが、この2008~09年の時期のモーニング娘。は、メディア露出を少なくした分、なおさらコンサートでのクオリティが上がったような気がします。
 黄金期に比べると「なんだかパッとしない。」「落ち着きすぎ。」と言われる当時の楽曲も、それはそれでストイックにハロプロの「アダルト歌謡部門」をになっていったことのあらわれであり、第一それなりの実力がともなっていなければとうていサマにならないレベルの高さの楽曲の連続であったことは確かです。
 つまり、かつての黄金期をふまえて成長を続けるモーニング娘。は、今さら『LOVEマシーン』や『恋愛レボリューション21』と同じ路線の歌に取り組む必要はなくなっていたのです。

 そういった、とびきりブッ飛んだモーニング娘。の新曲が聴けなくてさみしいのならば、コンサート会場に行ってそれらの名曲を唄う彼女たちを観に行けばよいのです。こういった意味でも、モーニング娘。は完全にTVの露出度やCD新曲の売れ行きに一喜一憂する存在ではなくなっていたのだと、あたくしは思うんだにゃー。コンサートに行けば会える。これこそが現役であることの最高のすばらしさです。
 私はこういった点では、音楽の方向性はまったく違いますが、モーニング娘。は現在の安室奈美恵さんに近い選択をしたような気がします。最大公約数の人々に薄く広く人気を得る時期はもう必要ではない、みたいな決然たる表情がかいま見えるんだなぁ。

 とまぁ、鍛えあげる日本刀のようにどんどんレベルを上げていった当時のモーニング娘。だったわけなのですが、2009年の終わりに起きたエース久住小春さんの卒業によって、リーダー高橋というかなめは押さえつつも、再びモーニング娘。は流動を始めていくこととなります。
 こうなるとねぇ。やっぱり現在のモーニング娘。とAKB48とが、同じアイドルグループとは言いつつも、いずれが優れているとか劣っていると議論できる関係では土台ないんだってことがわかりますよねぇ。闘っているフィールドがまるで違うんですな。「ライオンとトラ、強いのはどっち?」みたいな話なんですよ。


 さぁ~そんなわけで、みずからいくさ場を変えるようなかたちを選んだモーニング娘。だったわけなのですが、トップを得る回数こそ少なくなったものの、依然として他のアイドルグループからはひとつ頭の抜きんでた存在ではあり続けていました。しかし、そのバランスももはや累卵の危うきにあり。
 かろうじてPerfume が最初にその牙城を奪う栄誉にあずかったのですが、2008~09年にはついに! さきほども名前の出たAKB48が本格的に全国の注目をあび、モーニング娘。の次の時代をになうアイドルグループと呼ばれていくこととなります。

 っつうことで次回は、AKB48が単なる「アキバのおたくアイドルグループ」というカラを破って、まさに2011年現在につながる知名度を手に入れることとなった「AKB48の2008~09年」にうつりたいと思いま~す。
 いやぁ~、ここまできちゃいましたねぇ! ゴールまであと少し。がんばっちゃうぞ~。7月中には終わらないかもしんないけど。


 ……別に『しょうがない夢追い人』が1位でなくてもいいと思うんですけどね……もっと他にあるでしょ!?
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