長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第30回 『モーニング模索。 2003~04 雑想編』

2011年07月08日 23時45分39秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 どうも~こんばんはーい。そうだいです。いやぁもう、今日はふだん飲まない本物のコーヒーやビールを飲んだりしてもう大変よ。ウイ~古典的技法でヒック。

 今日は東京は練馬・小竹向原で上演している、元祖演劇乃素いき座のお芝居『阿房列車(あほうれっしゃ)』(演出・土井通肇 作・平田オリザ)を観てきました。いき座さんのお芝居は去年にも同じ小竹向原の劇場・アトリエ春風舎で拝見しております。
 それで劇場の場所はおぼえていたんですけど、予定よりも1時間も早く到着してしまったので、近所の落ち着いた雰囲気の喫茶店でなれない本格コーヒーをいただくことにしたんですね。
 で、誰が見てるわけでもないのに無理してミルクも砂糖も入れずにブラックのグァテマラを「うぅ……にがい。」と思いながら平然としているつもりの顔で堪能していたのですが、そうしているうちに、先客だった70歳ほどの上品な老夫婦と同年輩のカウンターのマスターがおたがいにケータイ電話を持ち寄って向かい合いながら、
「あれ? 認識できませんだって。おかしいなぁ。」
「そっち、ちゃんと受信してますよね? もうちょっと待ったほうがいいのかなぁ。」
 と四苦八苦しているご様子になったので、赤外線送受信のことならまかせろ!と障子紙級のあつさのケータイ操作知識をひけらかして私は3人の輪に飛び込んでしまいました。
「あの、それはもうちょっと近づけないといけないんですよ。ちょっと失敬。」
 老夫婦の奥様からケータイを拝借した私がマスターのケータイとつき合わせて再チャレンジしたところ、みごとアドレスの交換は大成功。
「イヤ~、私も原理はよくわからないんですけどね、ハハハのハ~。」
 といい気分になって、その後は初対面の人生の大先輩お3方と楽しいひとときを過ごし、予定の時間になってからは「にがかったよ~、おいしかったけど……」とつぶやきながら劇場に向かいました。
 そしたらさぁ! 観たお芝居も、初対面の老夫婦と若い人(役者さんは私の親友です)が列車の中で会話をするっていうシチュエーションでやんの。なんなの、コレ!? 誰が喜ぶ「奇遇」なんだこれは。私がちょっとびっくりしてるだけじゃないの。神様もヒマねぇ~!

 お芝居が終わったあとは、いき座さんからお客さんにふるまわれたビールなどをいただいて千葉に帰りました。独特の時間が流れるいき座さんならではのお芝居もよかったですけど、またいい遠出になりました。へんな日だったなぁ。


 で、家に帰ったらこんなニュースが。

《佐藤健と共演のチャンス! 実写版『るろうに剣心』がエキストラ出演者を募集中》(Yahoo!JAPANニュース 7月6日の記事より)

 俳優・佐藤健(22歳)主演で漫画家・和月伸宏(41歳)の人気作品『るろうに剣心 ―明治剣客浪漫譚―』(1994~99年連載)が実写映画化されるにあたり、ボランティアエキストラを一般公募している。今年7月下旬から10月末まで関西・中国・四国地方で撮影が行われる予定で、年齢・性別不問で映画作りに参加したい人を募集中だ。
 主人公・緋村剣心を演じる佐藤健は「原作のファンの方の思いを胸に、心して挑みます。」と作品に対する意欲をみせ、精いっぱい作品と向き合う姿勢だ。監督はNHK大河ドラマ『龍馬伝』『ハゲタカ』を手掛けた大友啓史(45歳)。ワーナー・ブラザース映画の製作で公開は2012年を予定している。
 ボランティアエキストラとして参加したい人は、月刊デ☆ビューのWEBサイト「WEBデ☆ビュー」、公式携帯サイト「デビューしようよ」に掲載されている応募要項をチェックしよう。


 今かよ!! いや、絶対に観に行きますけど。
 エキストラ募集のところに興味をもったわけじゃなくて(西日本を旅できるのはひかれるけど)、私、『るろうに剣心』が大好きなんですね。実は今やってる『ざっくりすぎるアイドルグループ史』が終わって一息ついたら、そのへんもからめたアレをやろうかな、とか思ってたりしちゃったりなんかしちゃってたりしてチョンチョン! そしたらこの話題ですよ。
 気になるなぁ。大友監督がやるってことは、やっぱり原色あざやかな『ジャンプ』の大ヒットマンガらしからぬホコリっぽい画面になるのかしら。
 しかし、「岡田以蔵」の役をやった佐藤さんが剣心役とは。だったら佐藤さんは鵜堂刃衛の役をやるのがスジ……じゃないっすね。
 そういえば、岡田以蔵のほうは『龍馬伝』の佐藤さんだの『龍馬におまかせ!』の反町隆史アニキだったりと話題が定期的にありますが、緋村剣心のモデルになったという伝説の志士・河上彦斎(げんさい)のほうはあんまり役者さんにめぐまれていないような……
 最近でいうと、『龍馬伝』と同じNHK大河ドラマでありながらホコリが全然舞っていなかった『新選組!』に、「佐久間象山を斬る」というだけのワンポイントリリーフで高杉亘さんが演じている彦斎さんが出てきたのですが、キャスティングのスタッフさんの肥後モッコスに対する敬意がなかったのか、本来150cmほどの小柄な色白の男だったという彦斎を、身の丈185cmで低音ヴォイスのきいたダンディな殺し屋ふうの高杉さんが演じるというむちゃくちゃな人選になっていました。いや、そりゃ人斬りだけどさぁ! 象山暗殺のもようもぜんっぜん史実と違っていたし。

 もうちょっと「幕末人斬り四天王」のひとりと畏れられる河上彦斎をフィーチャーしてよ! と感じていたので、彦斎本人ではないにしろ、今回の『るろうに剣心』には奮起していただきたいと。
 
 河上彦斎と言えば、『銀魂』にも彦斎をモデルにしたキャラクターが登場しますよねぇ。こっちもいい味出してるんですけど。
 名前は「河上万斉(ばんさい)」っていってね、江戸時代からチョクで21世紀になったような架空の日本で展開される『銀魂』ワールドでは、裏の顔は江戸幕府転覆をねらうテロリストでありながら、おもて向きは大江戸アイドル界の売れっ子プロデューサー「つんぽ」として活躍してるっていう設定なんですって。おもちろいね~。


 ……え? 「つんぽ」? 「つんく♂」?

 おおぉオウうぅいイィ~っっっっっと!!

 やばいやばい、危うくこのまま幕末の話題で今回の『長岡京エイリアン』を進めていってしまうところでした。今は幕末の話をしてる場合じゃないんだ、アイドルだよアイドル! アイドルの歴史!!


 え~、とまぁ長すぎる前フリはここまでにしておきまして、ここからは前回にビロ~ンとならべた「モーニング娘。2003~04年のあゆみ」についていろいろ感じたことをつづっていきたいと思います。たいへんおまんたせいたしました。

 2003~04年のモーニング娘。の流れを一言で言い表すのならば、「モーニング娘。以後を見据えたハロー!プロジェクトの試行錯誤」ということになるかと思います。
 ここで私が言った「モーニング娘。以後」の「モーニング娘。」とは、今現在も現役バリバリ第一線で活躍している高橋愛リーダーのモーニング娘。のことではありません。

 こんなわけのわからん言い方をすると、「何いってんだ? ついにそうだいも夏本番前に暑さが脳髄にキたか。」とお思いになるかもしれませんが、私がいいたいのは、1997年に結成された、もともと「安倍なつみのソロ活動をサポートするために用意されたアイドルグループ」としてのモーニング娘。が、ついに2003~04年にいたって終焉をむかえる時がやってきたんじゃないかということなんですね。
 つんく♂プロデュース楽曲のレベルの高さや時代のニーズにフィットした存在感、そして希代のスターごっちんの加入というさまざまなプラス要素によってヒットチャートトップの常連、平成アイドル界復活の功労者にして第一人者という地位にいつづけることのできたモーニング娘。だったのですが、そうして「トップアイドルであることが当たり前の状態になったモーニング娘。」をめざして、大変な倍率のオーディションに合格して加入を果たした新メンバーが増えていき、もともといた「トップアイドルにのぼりつめる苦労を味わった」初期メンバーがそれぞれのこれからを模索してグループを去っていくことによって、モーニング娘。という変わらない看板のある遊園地の「中身」はまったく違うものになっていっていたのです。

 モーニング娘。ほどの歴史のあるグループだと、よく「『LOVEマシーン』のころが一番よかった。」とか、「歌やダンスのレベルがむちゃくちゃ高い今のモー娘。が最高に決まってるだろ!」というああだこうだの議論がなされることがありますが、これはもう人それぞれの好みの問題になってまして、結論の出ないものであることは当然なんですね。そりゃもう、「人生経験の豊富さからくる声の味わい」という部分では、ある程度ふつうの世間で生きてから芸能界に飛びこみ、無名の衣装1着ずつ支給で仕事は現地集合現地解散の待遇からあれよあれよとスターダムにまでのしあがっていった初期メンバーに利があるかもしれないし、「ダンスや歌のうまさ、容姿のかわいさ」という点では、倍率1万人やら2万人というとてつもない関門を超えてきた、そしてそこから「日本一のアイドルグループ」という現在のモーニング娘。の超過密スケジュールが待っている世界に入って10代の貴重な時間のほとんど全部をエンタテインメントのためにささげた第4期以降のメンバーに利があるとも言えるわけなのです。要するに「観覧車」と「フジヤマ」のどっちがいい?って話なんですよ。私はどっちも好き!

 そんな意味で、今までのアイドルグループならばヒットチャートも安定してきて円満なまま解散、という流れになるべき時期が来たのが2003~04年のモーニング娘。だったのではないかと思うんですね。モーニング娘。の初代エースと言われたなっちが卒業したのが2004年の1月ですから、だいたい結成から正味6年のあゆみをもって、前期のモーニング娘。はひとつのピリオドを迎えたといってよいでしょう。しかし、実際にはドバドバと新しい血が入ってきた2003年くらいの時点で、グループはじゅうぶんに変わっていました。もちろん、まだ結成メンバーの飯田圭織さんはリーダーとして残っているわけなのですが、全体的な雰囲気では第4期のチャーミー石川さん、第5期の高橋愛さん、第6期のミキティと田中れいなさんがグループの新しい顔となっていたのです。
 余談ですが、私はモーニング娘。のメンバーの中では、この第6期に加入したある人のことがいちばん好きです。この「ざっくりすぎるアイドルグループ史」に私情ははさみたくないので(この企画自体が私情そのものじゃねぇか!というツッコミはあまんじて受けることにいたしまして)あまり強調して取り上げたくはないのですが、

 かわいい~っっっっ!! 八重歯! その笑ったときにゆがむ口と八重歯がサイコー!
 えっ、血液型、私とおんなじなの? じゃ、じゃじゃじゃじゃあ、わた、わた、私とその、「ゆ・け・つ」ができるってわけなのね!? イ~ッヒッヒッヒッヒ。血が足りなくなったらいつでも呼んでください~。

 ……大変失礼いたしました。こういうことばっかり言ってるから「変人の血液型だ。」って言われるのよね。
 残念ながらその彼女、去年の12月にもうモーニング娘。を卒業して芸能活動もいったん休止してらっしゃるらしいんですね。時すでに遅し。実に無念です。


 話を元に戻しまして、本来いままでのアイドル界の趨勢の法則ならば、そんな大ブレイクしたモーニング娘。なきあとのハロー!プロジェクトは、全体的に人気も落ち着いていって他のアイドルグループにトップの地位を明け渡して消えていく、というのが常でした。
 しかし。ハロプロはここで「モーニング娘。」という看板をおろすことをせずに、それでいながらまったく違った新しい人材をどんどん取り入れていくことでトップであり続ける努力にいどむという史上初のこころみを始めたのです。

 ここで私が注目したいのが、なっち卒業の後にリリースされたモーニング娘。23枚目のシングル『女子かしまし物語』(2004年7月)です。
 この曲は辻ちゃん加護ちゃん在籍最後のシングルでもあるのですが、結成から7年の歳月がたとうかとしているこの時期になって、突然降って湧いたように制作されたモーニング娘。の「自己紹介ソング」だったのです。

 「自己紹介ソング」とは、歌詞の中でグループに在籍しているメンバーの名前や特徴などを紹介している歌で、まさにメンバーが複数いるアイドルグループならではの伝統ともいえる楽曲です。
 自己紹介ソングの歴史は、すでに女性アイドルグループの世界ではそのパイオニアとも言えるキャンディーズの時代から始まっており、有名なところをずらずら~っとならべますと、

1973年12月
 キャンディーズ  『キャンディーズ』(1stアルバム『あなたに夢中 内気なキャンディーズ』の収録曲)
1979年5月
 ピンク・レディー 『ピンク・タイフーン』(12thシングル・Village Peopleの『IN THE NAVY』のカヴァー)
1986年3月
 おニャン子クラブ 『会員番号の唄』(メンバー吉沢秋絵のソロシングルのカップリング曲)
 ※それ以降、メンバーの異動にしたがって2回歌詞がリニューアルされている
1999年7月
 チェキッ娘    『チェキッ娘音頭』(1stアルバム『CXCO』の収録曲)

 っていう感じになっております。
 これまでの自己紹介ソングはおおむねアルバムの収録曲やB面あつかいになっており、唯一のA面曲である『ピンク・タイフーン』も洋楽のカヴァーだったりして、世間に出す場合はあまり目立たないかたちになっていることが多かったのですが(逆に、ファンが集結しているコンサート会場では超鉄板の盛り上げ曲となる)、モーニング娘。の自己紹介ソングである『女子かしまし物語』は堂々たるオリジナルのA面曲として世に出ることとなりました。

 しかし、これまでのグループの「顔」だったなっちが去ったあとに、なぜ?
 当時は「今ごろ自己紹介? 遅いんじゃない?」という空気もあったのですが、このタイミングでの自己紹介ソングの発表は、まさにこれから歩いていく「新たなるモーニング娘。の自己紹介ソング」なのだと解釈すれば、これまでのモーニング娘。を象徴する存在だったなっちがいなくなり、アイドルグループとしてのモーニング娘。を最初に、そしてもっともわかりやすい形で体現した辻ちゃん加護ちゃんがまだいる時期ということで、これ以上ないグッドタイミングでのものだったのです。
 アイドルグループの伝統だった「自己紹介ソング」を満を持して世に問うたことによって、1990年代の後半のにおいも色濃く受け継いでいる存在だった「ヴォーカルダンスグループ」のモーニング娘。は、「生まれながらのアイドルグループ」に転生することとなったのです。これはとりもなおさず、20世紀末から21世紀のはじめに大ブレイクしたモーニング娘。にも別れを告げるものだったわけなのですなぁ。
 そういえば、その時点でのハロー!プロジェクトの総決算ともいえる「H.P.オールスターズ」の『ALL FOR ONE & ONE FOR ALL』も、2004年に制作されたことは重大な意義があったように思えます。直後に起きたなっちの盗作騒動によって、2004年は思いがけず後味の悪い締めくくりとなってしまったのですが、まぁギリギリ間に合ったのだからよしとしましょう!

 こういった動きによって「モーニング娘。の栄光」の解体を果敢にこころみていったハロー!プロジェクトだったのですが、その一方で新しい面々を登場させていく動きも必要ではあったものの、さすがにそちらは四苦八苦というのが2003~04年の現状だったような印象が残ります。
 2002年7月の「第1次ハローマゲドン」以来、そのちょっと前に開設した小中学生のアイドル養成チーム「ハロー!プロジェクト・キッズ」のアピールを精力的におこなっていくハロプロですが、さっそく翌2003年に結成されたZYXもあぁ!も、2004年についに発足したモーニング娘。の最初の後継者ともいえるグループBerryz工房も、パーフェクト状態の前期モーニング娘。が去った巨大な穴をうめる存在にはまだ成長しきれていない状態でした。唄がうまくてもダンスが踊れても、「子どもでしょ……」という第一印象はぬぐいきれないものがあったのです。
 世に出るのが早すぎたのかなぁ。アイドルの方々をさして使う例えにしてはあまりにもグロいのですが、このころのモーニング娘。の後継者たちは、まだまだ映画版の『風の谷のナウシカ』の巨神兵のような状態だったのではないかと……われながらひでぇ言い方!

 でも、実際にBerryz工房がノッてきたのもほんとにここ数年ですよね? やっぱり時間ってものはある程度は必要なのではないかと。

 こんな感じで、ハロプロが新たな世代への転換をはかりはじめたのが2003~04年だったわけなのですが、まだまだこの苦闘はそれ以降にも続いていくこととなります。
 ただ! 最後に私が言っておきたいのは、5~6年もブレイクしたらおしまいになるのが当たり前だったアイドルグループの世界において、こここそが勝負時とふんばったハロプロの努力が現在のアイドルグループ全盛の時代につながっているというところなんですね。この時期のハロプロやモーニング娘。をさして「落ち目」と表現するのはあまりにもせつない物の見方ですよ。


 ハイッ、ということで今回も終わりまして、次回は2005~07年あたりのハロプロ以外のアイドルグループの紹介にいきたいのですが。

 ……あれ? 2005年? ということはさぁ、いよいよ今をときめくあの方々のお出ましとなるのじゃありませんこと!?
 みなさま、たびたびながらくおまんたせいたしました。苦節2ヶ月、ついに次回、秋葉原のあの方々のご登場となる……予定。
 おったのしみに~!!

 ながかぁった~、とおかぁった~でもォ~。
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