2020年11月5日(木)
先週のこと、年に数回確かめに行くポイントでのこと。
パンとくたれゴカイをエサにして、タナゴ釣り。
ほれ、こんなので十分。
このポイント、やっと魚たちが少し回復しつつあるんだな。
釣れたのは、アブラボテ
ヤリタナゴ
もともとタナゴ釣りなんて、タイリクバラタナゴを除けば、楽ちんな釣りだ。
エサなんて、グルテンだの、黄身ねりだの、イラガの幼虫だの、赤虫だのと、こだわることはない。
ご飯つぶでも、パンでも、魚肉ソーセージでも、生イカ切り身でも、カラフトシシャモの卵でも、何でも釣れる。
ゴカイなんてのはちぎりやすく、赤虫やミミズよりいいかもしれない。
若い頃は、道具やエサにこだわって、特別な釣りだと思ってたりもした。
けど、タナゴ類なんて、生息さえしてればいくらでも釣れる。
問題なのは、タナゴ類の生息地が減ってしまってることにある。
やたらと釣らない、度々釣らない、という節度・たしなみで接することだと思ってる。
でもって、タナゴ類以外に釣れたのは
コウライニゴイ
コウライモロコ
タモロコ
モツゴ
オイカワ
そして、バットに入りきらないフナ類(ギンブナかな?)
これまで、ゴカイで釣った魚種に新たに加わる魚はなかったけど
タナゴ釣りのエサにこだわるなんてな固定観念は不要じゃないかな?
こだわって釣りをされるのも良いのだケド
発想を広げてみるのも良しなんじゃないかな?
固定観念は、自分の世界をせばめてしまう。
「ゴカイで釣れるんなんて、カルチャーショックや~っ!」なんて言ってるようじゃ頭がかたくなってるのかも?
無法者や節度のない行動に対しては、石頭でのぞめばいいけどね。
さてさて、俳句では「鱮(たなご)」は季語の一つ。
タナゴ釣りに夢中なそこらの方々へ、いったいどの季節の季語なんでしょう?
答えと解説は、コメント欄に後ほど書いておくね。
先週のこと、年に数回確かめに行くポイントでのこと。
パンとくたれゴカイをエサにして、タナゴ釣り。
ほれ、こんなので十分。
このポイント、やっと魚たちが少し回復しつつあるんだな。
釣れたのは、アブラボテ
ヤリタナゴ
もともとタナゴ釣りなんて、タイリクバラタナゴを除けば、楽ちんな釣りだ。
エサなんて、グルテンだの、黄身ねりだの、イラガの幼虫だの、赤虫だのと、こだわることはない。
ご飯つぶでも、パンでも、魚肉ソーセージでも、生イカ切り身でも、カラフトシシャモの卵でも、何でも釣れる。
ゴカイなんてのはちぎりやすく、赤虫やミミズよりいいかもしれない。
若い頃は、道具やエサにこだわって、特別な釣りだと思ってたりもした。
けど、タナゴ類なんて、生息さえしてればいくらでも釣れる。
問題なのは、タナゴ類の生息地が減ってしまってることにある。
やたらと釣らない、度々釣らない、という節度・たしなみで接することだと思ってる。
でもって、タナゴ類以外に釣れたのは
コウライニゴイ
コウライモロコ
タモロコ
モツゴ
オイカワ
そして、バットに入りきらないフナ類(ギンブナかな?)
これまで、ゴカイで釣った魚種に新たに加わる魚はなかったけど
タナゴ釣りのエサにこだわるなんてな固定観念は不要じゃないかな?
こだわって釣りをされるのも良いのだケド
発想を広げてみるのも良しなんじゃないかな?
固定観念は、自分の世界をせばめてしまう。
「ゴカイで釣れるんなんて、カルチャーショックや~っ!」なんて言ってるようじゃ頭がかたくなってるのかも?
無法者や節度のない行動に対しては、石頭でのぞめばいいけどね。
さてさて、俳句では「鱮(たなご)」は季語の一つ。
タナゴ釣りに夢中なそこらの方々へ、いったいどの季節の季語なんでしょう?
答えと解説は、コメント欄に後ほど書いておくね。
また、タイリクバラタナゴを現在ではオカメと呼び、関東地方中心に古くから定着してます。
バラタナゴ類も春にきれいな婚姻色を示すタナゴです。
したがって、タナゴの季語は「春」!
と思った方は、とんてもない勘違いを重ねてます。
まず、太平の世の江戸時代、秋も終わりが近づく頃
時間に余裕ができた関東地方の人たちの間で「タナゴ釣り文化」が生まれます。
このとき釣っていたタナゴを「オカメタナゴ」と呼んでいました。
ただし、タイリクバラタナゴは外来種、江戸時代に日本には生息してません。
また、ニッポンバラタナゴも関東には生息してません。
実は、この「オカメタナゴ」は「ゼニタナゴ」だったのではないか?と推測されています。
ゼニタナゴは関東地方以北に分布し、秋に繁殖行動をするため、オスが赤く色づいていきます。
「紅葉鱮(もみじたなご)」という美しい季語さえ生まれてるんですよね。
したがって、鱮の季語は「秋」「晩秋」です!
今の「オカメ釣り」と江戸時代の「オカメ釣り」はまったく違うタナゴを釣ってる訳ですね。
ご存知でしたか?
私利私欲を優先する方々の格好の隠れ蓑というか言い訳になりますから。
そのことは、ブログとは別個に、団体として活動するしかないので。
かの吉田松陰も
「体は私なり。心は公なり」と言ってます。
人の役に立つことなのか否かを行動の判断基準にしてれば「心は公」ですよね?
タナゴの話も他の魚たちの話も葉虫たちのことも
俳句も、私は同じ立場で書きたいと思ってます。
俳句だって、自分の入選は二の次です。
俳人になる気もさらさらない。
そんなことはさておいて、ええことを孤軍奮闘してる夏井いつきさんへのエールなんです。
無料にかこつけて、何十句も投句するなんてのは
「からだは私なり。心も私なり」の典型のような気がします。
採り子も数釣り自慢のタナゴ釣り師と同じような輩に感じてしまいます。
せめて、そうした身勝手に思える行動についてはSNS上に書かないようにしてくれないものかとつくづく思います。