2021年6月20日(日)
ニホンヒキガエル 10cmほど
20210612
昨日の記事ウンモンスズメのぶら下がりと同じ日、私の町はずれの山道散歩中に、たまたま足元で跳ねた。
本来、夜行性。
なのに小雨でうす暗かったせいか、夕方前に現れた。
東日本や西日本の本州日本海側に生息してるアズマヒキガエルとは亜種レベルの違いがあるとされている。
そのことは、後回しにしとくことにして・・・
カエルの仲間に出会うとK先輩が頭に浮かぶ。
ニホンヒキガエルの画像とともに、K先輩との思い出を語りたい。
K先輩は、水生動物の研究者であり自然保護活動家でもある。
すぐれた報告書や論文をいくつも書かれておられる。
自然保護の集まりで何度もお会いし会話は交わしつつ、ともに活動したことは数回程度の関係。
もう何年も前のことだ。
ある秋の朝のこと、すでにリタイアされた作業服姿のK先輩が田畑近くの道路にポツンと立ち続けていた。
「何をされてるんですか?」 思わず声をかけた。
「いや、この辺の田んぼのカエルを調べんといかんと思ってな」
「はい?」
「いや、勝手にひと様の田んぼや畔に入る訳にはいかんやろ?」
「だからな、こうして農作業に出てくるのを待って了解をもらおうとしとるんや」
「いつもそうやって調べてるんですか!」
「ほうよな。当たり前じゃろ?」
腰には、自宅から持ってきてた水筒とタオル。
手にはバケツとメモ帳を持ち、黙ってずっと立ち続けてる。
差し入れの飲み物を買いに行くことにした。
戻ってみても同じとこで立ち続けてる。
「私も手伝っていいですか?」 差し入れを渡し恐る恐る訊ねてみた。
「ええよ! ええけど大変よ? 丸々1日かけても終わらんよ?」
「この辺は兼業農家が多いから、農作業が集中する土日にずっときとるんよな」
「まだまだ何週間も続くけどな」
「来たっ!」 K先輩が小走りで農家の方に駆け寄っていく。
どうやら向こう隣の田んぼの方で、了解が得られたみたいだ。
私もバケツを手に後をついていく。
畔から始め田んぼを何往復もしながらしらみつぶしにカエルを種類や体色変異型に分け、つかまえていく。
(別個体)
「後ろじゃ戦力にならんわ。もう慣れたじゃろ? あっちからやってってな」
「はい!」
許可の下りた田んぼが終わったら、記録をして、カエルたちを元の田んぼに戻して回って・・・
「さ、次を待つか! さっきの農家さんから少し状況聞いたから、あっこら辺の農家さんが来るみたい」
そう言って、またじっとポツンと立ち続けてる。
手には、この周辺の田んぼや休耕田が載ってる地図。
調査が終わった田んぼはマーカーでぬられてる。
「え? ひょっとして全域を1人で・・・?」
「ほうよ! わしゃいつも1人でやっとる。肩書でやっとるわけじゃないしな」
「え~っ! あの報告書や論文もそうやって・・・?」
「ほうよ! 放置された田んぼなんかは自治会長をつかまえて連絡とってもらって、許可もらうんよな」
「全部やらんと意味ないやろ? 希少種がおるからとそこばかりやっても意味ないやろ?」
「おらんとこもおるとこも調べて、できるだけ正確に把握してな」
「それを急いでまとめてから、行政やあんたらのような協力してくれる保護グループと連携する」
「もちろんまとまったら地元の方々への説明会もするで!」
「だからな、地元の人たちを不愉快にさせる『勝手な判断で立ち入る!』ようなことは絶対したらあかんのんよな」
「そういう連中もおるからなあ、地元の農家さんとこじれる一番の原因や、ホンマ困る」
「その連中にも希少種を調べて保護しとる気になっとる場合もあるから、悪気はないんじゃろうけど」
筋が通ってるし、節度も守るし、地元の方々ともしっかり交流してるから
いざ『住民説明会』となったとき、なごやかに保護と作物生産が相反することもなくまとまることが多いそうだ。
もちろん、私らも私有地への立ち入りや水路の利水関連への許可や承諾はもらって調べてる。
でもなあ、たった1人で何十年も地域ごとに毎回毎回立ち続けてやってるのかと思うと気が遠くなる。
あのすぐれた報告書や論文はこうしてできてるんだ!
希少種の生息を知り、その生態や環境を伝えるのも、自然保護上の啓蒙活動なんだろうね。
もちろん、とっても良いことだ。
ただし、それは何らかの連携やまとめがない限り、保護の発展はほとんど進まないんじゃないかな?
まして、地元民への許可もなしに行ったとしたら、それはもう保護に逆行するかもしれない。
若い頃、私もたまたま私有地と気付かずに立ち入って叱られたこともある。
迷惑かけるかもしれない自己充足のための単なる趣味と言われてもしかたないんじゃないかな?
私の虫探し散歩は、行政所有の山道や公園か、所有者に許可をもらった場所。
特定外来種に出会い処置をしたとしてもそれはあくまで信念に基づく趣味。
K先輩のように、保護の連携をするための緻密な営みを重ねてるわけじゃない。
長年、各方面と連携とりつつ進めてる地域の希少種の保護活動ともちがうしね。
ちなみに、K先輩は沢山の道具と資料を積んで、日々車で調査地をめぐる。
新型コロナ感染状況下で、コロナ感染確率と交通事故確率を比べて論議してる方々もおられるようだが
等比数列と等差数列を比べること自体、もはや論理が破たんしてると思うよ、話にならないんじゃないかなあ?
ま、少なくとも交通事故を例に出すのであれば、少なくとも過去5年程度の資料をもとに有意差くらい調べておいてほしい。
まったく専門外だけど、ネズミ算的に事故確率が増えているとはとても思えない。
せめて、特定外来魚との接触確率と人為的分布拡散と比べられたらいいと思った。
さておき、カエルを見るたびにK先輩がポツンと立ち続ける姿が浮かぶんだよねえ。
あれほど多くの自然愛好家に慕われ、敬語を使うのも口が震えてしまうようなお方なのにね。
長いなあ、ごめんなさい。
カエルを見ると、ついK先輩が浮かんできて、背筋がしゃんと伸びてしまうから。
最後にニホンヒキガエルとアズマヒキガエルのシロウト判別法のご紹介。
鼓膜の横径をA
鼓膜と眼までの距離をBとしたとき
A ≦ B ならば、ニホンヒキガエル
A >B ならば、アズマヒキガエル と、これはネットから得た知識なので正しいかどうかはわからない。
要は、比べたら、ニホンヒキガエルの鼓膜は小さくて、眼から離れがちということかな?
ただ、アズマヒキガエルにあって写真を撮ったこともないし
今は、趣味のために自分の街から出てアズマヒキガエルを探すぞ!なんてする気もないからね。
ニホンヒキガエル 10cmほど
20210612
昨日の記事ウンモンスズメのぶら下がりと同じ日、私の町はずれの山道散歩中に、たまたま足元で跳ねた。
本来、夜行性。
なのに小雨でうす暗かったせいか、夕方前に現れた。
東日本や西日本の本州日本海側に生息してるアズマヒキガエルとは亜種レベルの違いがあるとされている。
そのことは、後回しにしとくことにして・・・
カエルの仲間に出会うとK先輩が頭に浮かぶ。
ニホンヒキガエルの画像とともに、K先輩との思い出を語りたい。
K先輩は、水生動物の研究者であり自然保護活動家でもある。
すぐれた報告書や論文をいくつも書かれておられる。
自然保護の集まりで何度もお会いし会話は交わしつつ、ともに活動したことは数回程度の関係。
もう何年も前のことだ。
ある秋の朝のこと、すでにリタイアされた作業服姿のK先輩が田畑近くの道路にポツンと立ち続けていた。
「何をされてるんですか?」 思わず声をかけた。
「いや、この辺の田んぼのカエルを調べんといかんと思ってな」
「はい?」
「いや、勝手にひと様の田んぼや畔に入る訳にはいかんやろ?」
「だからな、こうして農作業に出てくるのを待って了解をもらおうとしとるんや」
「いつもそうやって調べてるんですか!」
「ほうよな。当たり前じゃろ?」
腰には、自宅から持ってきてた水筒とタオル。
手にはバケツとメモ帳を持ち、黙ってずっと立ち続けてる。
差し入れの飲み物を買いに行くことにした。
戻ってみても同じとこで立ち続けてる。
「私も手伝っていいですか?」 差し入れを渡し恐る恐る訊ねてみた。
「ええよ! ええけど大変よ? 丸々1日かけても終わらんよ?」
「この辺は兼業農家が多いから、農作業が集中する土日にずっときとるんよな」
「まだまだ何週間も続くけどな」
「来たっ!」 K先輩が小走りで農家の方に駆け寄っていく。
どうやら向こう隣の田んぼの方で、了解が得られたみたいだ。
私もバケツを手に後をついていく。
畔から始め田んぼを何往復もしながらしらみつぶしにカエルを種類や体色変異型に分け、つかまえていく。
(別個体)
「後ろじゃ戦力にならんわ。もう慣れたじゃろ? あっちからやってってな」
「はい!」
許可の下りた田んぼが終わったら、記録をして、カエルたちを元の田んぼに戻して回って・・・
「さ、次を待つか! さっきの農家さんから少し状況聞いたから、あっこら辺の農家さんが来るみたい」
そう言って、またじっとポツンと立ち続けてる。
手には、この周辺の田んぼや休耕田が載ってる地図。
調査が終わった田んぼはマーカーでぬられてる。
「え? ひょっとして全域を1人で・・・?」
「ほうよ! わしゃいつも1人でやっとる。肩書でやっとるわけじゃないしな」
「え~っ! あの報告書や論文もそうやって・・・?」
「ほうよ! 放置された田んぼなんかは自治会長をつかまえて連絡とってもらって、許可もらうんよな」
「全部やらんと意味ないやろ? 希少種がおるからとそこばかりやっても意味ないやろ?」
「おらんとこもおるとこも調べて、できるだけ正確に把握してな」
「それを急いでまとめてから、行政やあんたらのような協力してくれる保護グループと連携する」
「もちろんまとまったら地元の方々への説明会もするで!」
「だからな、地元の人たちを不愉快にさせる『勝手な判断で立ち入る!』ようなことは絶対したらあかんのんよな」
「そういう連中もおるからなあ、地元の農家さんとこじれる一番の原因や、ホンマ困る」
「その連中にも希少種を調べて保護しとる気になっとる場合もあるから、悪気はないんじゃろうけど」
筋が通ってるし、節度も守るし、地元の方々ともしっかり交流してるから
いざ『住民説明会』となったとき、なごやかに保護と作物生産が相反することもなくまとまることが多いそうだ。
もちろん、私らも私有地への立ち入りや水路の利水関連への許可や承諾はもらって調べてる。
でもなあ、たった1人で何十年も地域ごとに毎回毎回立ち続けてやってるのかと思うと気が遠くなる。
あのすぐれた報告書や論文はこうしてできてるんだ!
希少種の生息を知り、その生態や環境を伝えるのも、自然保護上の啓蒙活動なんだろうね。
もちろん、とっても良いことだ。
ただし、それは何らかの連携やまとめがない限り、保護の発展はほとんど進まないんじゃないかな?
まして、地元民への許可もなしに行ったとしたら、それはもう保護に逆行するかもしれない。
若い頃、私もたまたま私有地と気付かずに立ち入って叱られたこともある。
迷惑かけるかもしれない自己充足のための単なる趣味と言われてもしかたないんじゃないかな?
私の虫探し散歩は、行政所有の山道や公園か、所有者に許可をもらった場所。
特定外来種に出会い処置をしたとしてもそれはあくまで信念に基づく趣味。
K先輩のように、保護の連携をするための緻密な営みを重ねてるわけじゃない。
長年、各方面と連携とりつつ進めてる地域の希少種の保護活動ともちがうしね。
ちなみに、K先輩は沢山の道具と資料を積んで、日々車で調査地をめぐる。
新型コロナ感染状況下で、コロナ感染確率と交通事故確率を比べて論議してる方々もおられるようだが
等比数列と等差数列を比べること自体、もはや論理が破たんしてると思うよ、話にならないんじゃないかなあ?
ま、少なくとも交通事故を例に出すのであれば、少なくとも過去5年程度の資料をもとに有意差くらい調べておいてほしい。
まったく専門外だけど、ネズミ算的に事故確率が増えているとはとても思えない。
せめて、特定外来魚との接触確率と人為的分布拡散と比べられたらいいと思った。
さておき、カエルを見るたびにK先輩がポツンと立ち続ける姿が浮かぶんだよねえ。
あれほど多くの自然愛好家に慕われ、敬語を使うのも口が震えてしまうようなお方なのにね。
長いなあ、ごめんなさい。
カエルを見ると、ついK先輩が浮かんできて、背筋がしゃんと伸びてしまうから。
最後にニホンヒキガエルとアズマヒキガエルのシロウト判別法のご紹介。
鼓膜の横径をA
鼓膜と眼までの距離をBとしたとき
A ≦ B ならば、ニホンヒキガエル
A >B ならば、アズマヒキガエル と、これはネットから得た知識なので正しいかどうかはわからない。
要は、比べたら、ニホンヒキガエルの鼓膜は小さくて、眼から離れがちということかな?
ただ、アズマヒキガエルにあって写真を撮ったこともないし
今は、趣味のために自分の街から出てアズマヒキガエルを探すぞ!なんてする気もないからね。
私もコロナと交通事故を並べて述べていますが、数の比較を目的としているのではありません。
『人命より経済を優先するのか!』
と言う人がいるので、毎年数千人も死者を出すことがわかっていながら、世の中から『車を失くせ!』と言う人はいません。
少なからず私たちはすでに、ある程度の犠牲を容認しながら経済を優先する世界に住んでいる、と言う意味でお話ししております。
私がコロナ騒ぎで最も頭にきている事、それは、若い頃、散々自由に生きてきて、その後現役を引退、年金や貯蓄でさほどあくせくしなくても生きて行けるような人たちが、コロナによる被害のほとんどない子供、若者(10代以下の死者はゼロ)、に不自由を強い、感染拡自粛警察と化しながら、そのことに自分が気づいていない。
大が、さも若者に原因があるかのようなことを言って非難し、長崎大の森内教授は、コロナでの子供の重症者がほとんどいないこと、死者はゼロであることを念頭に
『学校に行かない、学校の行事をやめることによる子供への副作用はものすごく大きい、そしてそれは決して取り返しがつかない』
とおっしゃっています。
『議論を尽くし、妥協の末に今がある』
とんでもない!
私は少なくとも東京の対策会議の議事録に目を通していますが、全て一方的で、上記森内教授のような論が取り上げられ真剣に議論されているのを見たことがありません。
国の分科会なども同様です。
ここまで子供や若者の夢を奪いながら、好きなことやって生きてきた人たちが、自分たちの命を守るために『取り返しのつかない』副作用を子どもたちに埋め込んでいる
このことです。
ちなみに私は今回の新型コロナウイルスについて、自粛は不要どころか感染を拡大させかねない、と考えている人間ですが、一国民、都民として行政の指示には従っています。
その上で厚労省はじめ、行政主体に質問、意見、対策の転換を求めいています。都議会議員に抗議のメールを送った際には、自身のブログで実名を晒しています。
お金を払って学者先生方の論も聞いています。
その上でブログ記事を書いております。
『正しく恐れる』
これがまるでできていない、そう私には見えています。
長々失礼いたしました。
ありがとうございました。
※>>まったく専門外だけど、ネズミ算的に事故確率が増えているとはとても思えない…
そんなこと当たり前じゃないですか
まず、交通事故確率の話は小平治さんのことじゃないですよ。
ネットで拾った何人かの人たちのネット論議に
「交通事故にあう確率よりもコロナに感染する確率の方が低いのに・・・」とあがっていたことへの感想ですから。
小平治さんが「当たり前」と書いてくださったように、交通事故はネズミ算ではなく、コロナなどの感染症はネズミ算なのだとわからない人たち、つまり自分のことしか考えない人たちへ向けてのことですから。
当たり前も時代や個々の背景によって変わるみたいですね。
誤解のなきよう。
ま、ついでですから、一応交通事故は事例として相応しくないと思ってます。
交通事故は長年実にさまざまな対策がうたれてきてること、その効果も課題も含め、常に社会問題として取り上げられ、未だ改善していく余地のある事象だと思いますから。
そして、自死も含め死亡件数なども過去データの推移に基づいて取り上げないと科学的ではないとも思ってます。
また、都会の交通の利便性はさておき、経済面からも現代は車社会を容認してるのでは?
メリットが大きいからですよね?
電車にせよ、車にせよ、文明の中で利便性を追求してきたのが「人間社会」です。
そこを否定はできないと私は思ってます。
それは、車に限らないのではないでしょうか?
それこそ、電気も水道も・・・今の生活すべてに課題があり、それまで否定しなくちゃいけなくなるのではと思います。
むしろ原発問題の方が、コロナと比較する際の提案としてはより相応しいような気もします。
それとも、経済優先とおっしゃられてるのは、
要は交通死亡事故を容認する程度にコロナ感染死亡の増加に目をつぶりつつ経済活動は持続すべきという意味なのでしょうか?
コロナを容認するという意味なのでしょうか?
それは極めて現実的ではないお話だと思います。
そうだとするとまったく同意できません。
マスクは不要から始まったトランプの発言が、アメリカを混乱させる事態にまで発展したように
命に寄り添う姿勢とはまるで相反すると思いますよ。
もちろん、経済やさまざまな貧困へ政策などに対してはもっと速やかに確実な補償をうつべきとは思いますが。
「正しく恐れる」
とても良いことですね。
私も心からそう思いますよ。
だから、まだ特効薬もワクチンもない未知のウィルスは、交通事故をはじめとする既存の現代文化と比べるのは飛躍しすぎだと思ってます。
そして、思うのですが
長崎大の森内教授をいつもいつも引きあいに出されますが、なぜ彼しかあげないのでしょうか?
一人しかおられないのでしょうか?
なぜ、国や行政は「彼の見識」に従わないのでしょうか?
森内教授だけが真実を述べてると確証をもたれておられる根拠はどこにあるのでしょうか?
小平次さんが、そこを見極められる優れた眼力と知識量をもっておられるのであれば、ぜひ、まとめられて見解を広く発表された方がよろしいのでは?
こんなちゃちなブログに関わってないで、一刻も早くなさった方がいいです。
みんな早い収束を望んでるわけですし。
他の研究者さんたちの見解や論文も、もちろん小平次さんも読み込まれてますよね?
必ず科学は反論も含め実証していきますし、正しさを複数の科学者が追認する上で成り立ってます。
ぜひ、反論の検証もされた方がより科学的になると思います。
まあ、要らぬお世話かもしれませんね。
私は、この日本の科学者・基礎医学研究者たちの多くは不遇に甘んじつつも事実を追求していると思いますよ。
スエーデンも一時脚光を浴びました。
その後の経緯も現在の状況ももちろんご存知ですよね?
私は、申し訳ないのですが、各国の諸事情や背景ははさておき、結果世界有数の死者数を出し、成功したといえるのかどうかわからないです。
高齢者があぐらをかいて・・・確かに超高齢化社会ですよね。
そりゃあ、小平治さん、申し訳ない。
他の所で論議してください。
理由Ⅰ:私もブログに書いてきたとおり、学校・学生・生徒行事最優先派ですから。
オリンピックの賛否の前に最優先で論議すべき事柄です。
理由Ⅱ:若い頃から私財を投じつつ、そして今も細々としか暮らせない年金も投じつつ、未だに保護活動は手弁当で仲間たちと黙々と進めてます。
胸を張れるほどのことでもなく、まして「あぐらをかける」ほどの余裕もないもので・・・
なお、最後になりますが
小平治さんのこれまでおっしゃられてきたことは、たぶん私には理解不能です。
・コロナは軽い風邪
(確か初期の頃はマスクも不要と書かれてたような?)
・自分は持病もあるから感染すると死ぬ
・ワクチンはうたない
・マスコミは虚偽ばかり伝える
・スエーデンは成功例
・子どもたちにワクチンをうつなと行政に抗議
・親戚の方に理解させ、説得するのにも時間がかかるので断念した
ま、それらはごく一部の抜粋で、私の誤解を含むかもしれませんが
矛盾だらけに感じてしまいます。
そして、眼の前におられた親戚の方に説明するより、こうして文章で見知らぬ他人へ説得や反論されることの方が大変でしょう。
本当にお疲れ様です。
たぶん、私は親戚の方よりも偏屈で頑固だし、周りに生物学・医学に携わる博識の仲間も多いですからそれなりの情報も逐次更新してますし。
だから、小平次さんについては、議論の余地なしとみて、私は一切合切コメントを控えてますし、反論を読む参考の機会にだけさせてもらってます。
『どこまでいっても論議は平行線だと思います。
咬みあわない論議は不毛ですね』
今回は、誤解から始まってるので、できるだけ誠意をもって応じましたが、次回からは、上の2文のみの対応にさせていただきますね。
ここらあたりで失礼します。
丁寧なご返信、誠にありがとうございます。
>>必ず科学は反論も含め実証していきますし、正しさを複数の科学者が追認する上で成り立ってます。
それがコロナ対策においては成り立っているようにどうしても見えませんので…
おっしゃる通り、これ以上は平行線となると思いますのでここまでにさせて頂きます。
生き物のブログに余計なコメント、大変失礼いたしました。
ありがとうございました
蛇足ですが、長崎大の森内教授はワクチン接種について表明しておられ、ワクチンによる集団免疫の重要性も他の科学者と等しく見解を述べられていると読んでいて思います。
子どもへの感染対策についても、文部科学省内で彼の提言はきちんと直接述べられており、それは国側のネット上にも掲載されてますよ。
もちろん彼の見解にすぎませんが、それは決して周りの多くの研究者たちとかけ離れた異質なものではないと伝えそこねてました。
ひょっとしたら、失礼ながら、小平治さんが書かれていることは、昨春の初期の頃の「学校閉鎖・全校休校」に対する彼の見解の話ではないでしょうか?
彼の名誉と読者への誤解払拭のために要らぬことをあえてつけ加えさせてもらいました。
なお、見解に対して実証は普通つきません。
見解というのは、それぞれ好き勝手言ってる段階ですので・・・まだ、科学の初歩の一手にすぎません。
極端な話、オオクチバスを放して何が悪い!という見解だってありますからね。
ま、お体を大切にいたわってやってください。
責任感や正義感の強いお方でしょうから、個人で無理をなされないように。