つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

タイムマシンにお願い。

2023年03月04日 22時00分00秒 | 大西山の丘辺に立てば。
                              
未来にも過去にも行ける装置---「タイムマシン」。
その“夢の乗り物”は、度々、SFエンターテイメントに登場してきた。
日本に於ける有名なモノは「ドラえもん」で描かれたそれだろうか?
初お目見えは、産業革命が興り、科学が発達した19世紀後半頃とされるが、
長い時が経ち21世紀になった現在も、未だ実現していない。

しかし、僕たちは、脳内でよくタイムマシンに乗車する。
世界史・日本史上の出来事。
個人史の出来事。
故人の思い出。
幼少時の記憶。
個人、社会などの未来予想図。
ふとした時「時間旅行」を楽しむのは珍しくない。
僕は、最近、過去へ出かけることが増えたように思う。

--- このカテゴリーで触れてきたとおり、およそ2カ月後の5月1日、
わが母校「津幡小学校」が「創立150年」を迎える。
その節目を盛り上げようと結成された「応援団」の末席に名を連ねたお陰で、
往時の写真を拝見したり、諸先輩方の話を拝聴したりする機会に恵まれた為だ。







記録・記憶を通じて見聞するそれらが営まれていた場所は、
確かに今僕が暮らす「同じ町」だが、時代が違えば、全くの「別世界」。
当たり前と言えば当たり前だが、考えようによっては不思議にも思える。
叶うなら、明治~大正~昭和の町をこの目で直に見て、五感で触れてみたい。
そんな事を考えてしまう今日この頃なのである。
                       
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初春まづ 酒に歴史の 匂ひかな

2023年01月21日 23時23分23秒 | 大西山の丘辺に立てば。
                      
今年(2023年)わが母校「津幡小学校」が、創立150年を迎える。

同校では「150周年記念事業」の計画が進行中。
昨年、その節目を側面からサポートしようと卒業生有志による応援団が発足。
僕「りくすけ」も末席に加わり、何度か会合を重ねてきた。
(※今投稿カテゴリー「大西山の丘辺に立てば。」に分類)
年が変わり、いよいよ実務が本格始動。
詳細は次回に譲るが、本日(2023/01/21)応援団長が経営するお店、
お酒とサラダ館の「岩井屋」にお邪魔して打ち合わせをした。





こちらは町の中心部「四ツ角」にあるギフト専門店。
御中元、お歳暮・手土産・出産や結婚の内祝など、各種贈答品を取り扱っているが、
昭和53年頃までは造り酒屋を営んでいて、
今訪問の機会に、往時の面影を垣間見ることができた。


↑酒を硝子瓶に詰める以前、量り売り用の一升・五合徳利。
 背後には酒造りの様子を撮った写真パネル。


↑木の板を円筒状に組み合わせ、竹の箍(たが)をはめた結樽(ゆいだる)。
 一升瓶100本分≒一石はありそうな大きさ。
 輪島塗の漆器を展示するショーケースに転用。





↑造り酒屋営業当時、店先に掲げてあった暖簾。
 「清酒 兼六」には、個人的に少々思い入れがある。
 幼い頃のお使いで、生家近くの酒販店で「兼六」を買い求めた。
 その店は「角打ち」を楽しむ赤ら顔のオジサンたちがたむろしていて、
 顔を出すとよくからかわれたものだ。
 未成年への酒類販売が御法度の今と比べれば隔世の感アリ。

 また「兼六」のロゴを貼ったラベルを見かけなくなり久しいと思っていたが、
 昭和36年~60年まで岩井屋酒造をはじめ、
 6つの蔵が共同で製造販売していた銘柄と伺い納得した。



↑岩井屋酒造のヒット商品「桒酒」(桑酒)の看板。
 桑の樹皮や根を濃く煎じ、その汁を加えて醸造した薬酒は、
 黄金色でハーブのような香りが立ち、甘みがあったという。
 呑んでみたかった。





↑「兼六」以前、岩井屋酒造の主銘柄「喜久鑑(きくかがみ)」のラベルと袋。
 ラベルに描かれた赤い髪のキャラクターは、
 酒を好んだ中国の伝説上の霊獣「猩々(しょうじょう)」。
 日本では酒の精霊として知られる。
 能楽では、酒売りを営む孝行者と出会った猩々が、
 ともに酒を飲み交わしながら舞踊り、酒が湧き出る壺を与えたところ、
 その家は末長く栄えたという演目が有名だ。
 
--- 結びに「松尾芭蕉」の句を掲載。
初春まづ 酒に梅売る 匂ひかな
(しょしゅんまず さけにうめうる においかな)
 初春の梅とお酒の匂いが交じり合い馥郁(ふくいく)と漂うこの里で、
 私は今なんともいえない豊かな気分になっています。
「芭蕉」さん、酒の句が少なくない。
案外、呑兵衛だったのかもしれない。

梅には早い寒中ながら、酒造りのエピソードを拝聴し、
津幡の歴史が香る豊かで充実したひと時を過ごせた。
                
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

As time goes by TSUBATA.

2022年11月26日 21時00分00秒 | 大西山の丘辺に立てば。
                      
わが津幡町の歴史的な遺物と言えば「加賀郡牓示札(かがぐん ぼうじふだ)」だ。
※牓示 ≒「掲示する」


石川県立歴史博物館HPより拝借)

津幡町・加茂(かも)の「加茂遺跡」から出土した平安時代の文書木簡で、
少々乱暴に言えば「時の行政がヒノキの板に書いた命令書」。
その内容から、当時の生活や古代の物流の一端が分かる。
その後、加賀藩・前田家が、津幡村、清水村、庄村、加賀爪村で宿場を整備。
そして、明治22年(1889年)、上記4つの村が合併。
津幡町が誕生した。
当時の戸数700余り、人口は3千人弱だったという。
以後、周辺地域の合併・編入を経た現在、
町の様相は1万5千世帯余り、人口3万7千人を数えている。





「津幡小学校」校舎を望む「ふれあい広場」には、
「町政100年記念タイムカプセル」が埋設されている。
封印が解かれるのは17年後(2039年)になるのだろうか?

--- さて、前掲画像に写るわが母校が産声を挙げたのは、
町の誕生より古い明治6年(1873年)5月1日。
間もなく「創立150年」である。
本日(2022/11/26)、その節目の記念事業について、
卒業生有志応援団とPTA現職による何度目かの会合が開催。
応援団の末席に名を連ねる僕も出席した。



僕の所属は「記念誌部会」。
関係各位の尽力によって、作業スケジュールが具体化し、役割分担も固まりつつある。
年が明けたら、諸々急ピッチで進行してゆくことになりそうだ。
詳細は続報にて。
                      
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

糸瓜と学校。

2022年08月11日 19時19分19秒 | 大西山の丘辺に立てば。
                            
拙ブログをご覧の皆さんは「糸瓜束子(へちま たわし)」をご存じだろうか?
僕は、幼い時分にそれを作ったり、使ったりした。

糸瓜はインド原産。
日本には江戸時代の初めに渡来したと言われている。
細い茎を伸ばしながら巻きひげで辺りに絡みつき、すくすくと成長。
夏には、茂った葉の間から、雄花、雌花を次々と開く。
鮮やかなイエローは、ルーツの熱帯アジアを連想させる。





初秋には実が徐々に大きくなり、やがて長さ50~60センチのビッグサイズに。
熟すと中には、強くて固い繊維がびっしり。
漢字名の由来だ。
水に漬け、皮や果肉を腐らせ、繊維だけを取り出す。
流水にさらし、臭気を抜いたら「糸瓜束子」が完成。
入浴の際は身体を、水仕事では鍋・フライパンなどを洗った。

僕が子供の頃、糸瓜を育て、実を収穫し、束子を作った場所は「津幡小学校」。
確か、理科の授業の一環と記憶している。
校舎が変わり、時代も昭和から令和に変わったが、
その課程は続いているらしい。
掲載画像は、今朝、小学校の敷地内で撮影したものだ。



さて、以前の投稿でご紹介したとおり、
来年(2023年)春、わが母校が創立150年の節目を迎えるにあたり、
側面からサポートしようと、卒業生有志による応援団が発足した。
僕「りくすけ」も一員である。
きのう(2022/08/10)参加メンバー全員が集合。



今後の活動指針と役割分担が決まった。
左程遠くない未来--- 来月末~再来月には、具体化してくると思う。
津幡小学校に所縁を持つ方々、色々と情報提供をお願いすることもあるだろう。
その際は、何卒よしなに!
                                
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

丘の上の青天に輝く 時の雲を目指して。

2022年07月23日 12時12分12秒 | 大西山の丘辺に立てば。
                        
来年(2023年)春。
わが母校「津幡小学校」が、創立150年を迎える。



「司馬遼太郎」氏の言葉を借りるなら、150年前の日本は
“坂の上の青天に輝く一朶の雲を目指して”歩み始めた頃。
欧米列強に追い付き、やがて追い越すため、三大改革を実施した。

徴兵により強力な国民軍隊を作り上げる---「兵制」。
国家財政を安定・充実させる---「税制:地租改正」。
そして、未来を背負う人材を育成する---「学制」だ。
明治5年(1872年)に、小学校から大学校までの学校制度が公布された1年後、
「津幡小学校」は、産声を挙げた。



同校では「150周年記念事業」について協議がスタート。
と、同時に母校の節目を側面からサポートしようと、
卒業生有志による応援団が発足。
何と、僕「りくすけ」にもお声がかかり末席に加わることに。
きのう(2022/07/22)「津幡地域交流センター(公民館)」に於いて、
最初の顔合わせが行われた。



上掲画像、メンバー達が囲む机上に広げられているのは、
応援団長手作りの「津幡小学校年表」である。

創設間もない黎明期。
大西山に建築された木造校舎で70年あまり。
僕自身も通った鉄筋校舎は半世紀近く。
校舎が大西山を降り、現在の姿になって10年ちょっと。
大きく4つのパートに分かれる校史に、戦争、災害などの出来事を重ね合わせ、
まずは、150年全体を俯瞰しつつ、活動の指針を探った。



続いて、小学校内に場所を移し「創設150周年事業 準備委員会」の皆さん、
校長先生、教頭先生、PTA役員各位とも顔合わせをした。

周年事業の詳細・スケジュールは、これから決まってゆく。
僕の係り方、立場、役割なども、次第に定まってゆくだろう。
その様子は、拙ブログを通じ、随時紹介予定。
別途「150周年専用サイト」を立ち上げることになるかもしれない。
改めてご案内いたします。

拙ブログをご覧の津幡小学校にゆかりの皆さま、
色々と情報提供をお願いすることもあるだろう。
その際は、何卒よしなに。
                           
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする