きのう投降した建物と同じ道沿い。
ほんの少し金沢方面へ移動して撮影したのが「今日の一枚」。
中央の立派な門は、江戸期に宿場町だった頃の名残りである。
かつて、この辺りには旅籠や商家が沿道に軒を並べていた。
大崎屋、越中屋、河合屋、米屋、西嶋屋、八尾屋などの大店である。
ちなみに、傍には藩の年貢を収納した蔵もあり、
津幡川⇒河北潟を抜け、舟によって運搬されていたそうだ。
大西山の津幡城から延びるそこは、往時の目抜き通りといったところか。
…やがて、昭和に入り、それらは姿を変え、
町民の生活に欠かせない場所になる。
向って門の左手には「農協」が、
右手には「電信電話公社」が居を構えた。
奥に写っている鉄塔は、通信用のアンテナだ。
…しかし、平成になってしばらくすると、それらは姿を消す。
どちらも時流の変化と組織替えに伴って、統廃合さたのである。
ごく最近になって写真にあるとおりシートが被せられ、
何やら工事が始まったらしい。
…近い将来、また記憶の中の風景が消える事になるのだろう。
せめて風雪を耐えている、門戸は残って欲しい。

僕の知らない“失われた津幡”を見つめてきた門構え。
僕がこの世を去った後も、変わらぬ居住いでいて欲しい。
ほんの少し金沢方面へ移動して撮影したのが「今日の一枚」。
中央の立派な門は、江戸期に宿場町だった頃の名残りである。
かつて、この辺りには旅籠や商家が沿道に軒を並べていた。
大崎屋、越中屋、河合屋、米屋、西嶋屋、八尾屋などの大店である。
ちなみに、傍には藩の年貢を収納した蔵もあり、
津幡川⇒河北潟を抜け、舟によって運搬されていたそうだ。
大西山の津幡城から延びるそこは、往時の目抜き通りといったところか。
…やがて、昭和に入り、それらは姿を変え、
町民の生活に欠かせない場所になる。
向って門の左手には「農協」が、
右手には「電信電話公社」が居を構えた。
奥に写っている鉄塔は、通信用のアンテナだ。
…しかし、平成になってしばらくすると、それらは姿を消す。
どちらも時流の変化と組織替えに伴って、統廃合さたのである。
ごく最近になって写真にあるとおりシートが被せられ、
何やら工事が始まったらしい。
…近い将来、また記憶の中の風景が消える事になるのだろう。
せめて風雪を耐えている、門戸は残って欲しい。

僕の知らない“失われた津幡”を見つめてきた門構え。
僕がこの世を去った後も、変わらぬ居住いでいて欲しい。