<はじめに>
拙ブログをご覧の皆様へ。
今回は、まず「58秒のお遊び」を提案したい。
この文章の下に貼り付けた動画の再生ボタンを押し、
曲が流れ出したら、動画の下の太字箇所を読んでみて欲しい。
スピード、テンポは「ややゆっくり」が丁度いいと思う。
ラジオDJ気分に浸れるかもしれない。
時間と都合と気持ちが許せば、お付き合いを。
では---。
人は皆、本当の顔をひた隠しにしている。
独りになれた時だけ そっと取り出して眺めるんだ。
普段は別の顔を使い分けている。
サテンの仮面 鉄仮面 シルクや革の仮面。
正直、どれも見覚えのないものばかり。
でも、不思議なことに 誰もがそれを付けたがるんだ。
人は皆、恋に落ちる。
危険など顧み(かえりみ)ず 深みへハマる。
たとえ、愛し合い気心を許し合う関係になっても
秘め事はあるもんだ。
愛しい君 そんなに驚かなくてもいいじゃないか。
まだ見せたことなかったかな?
僕の本当の顔を。
「ビリー・ジョエル」--- 「ストレンジャー」
※The Stranger(1977)
(Written by Billy Joel/意訳・りくすけ)
いかがだろうか?
イントロに、貴方のナレーションが上手くハマったなら幸いである。
--- さて、もうすぐ仮装と仮面の祭典「ハロウィン」本番。
また、パンデミックによって流行した、表情を殺す鉄仮面「マスク」の記憶も新しい。
そんなタイミングを意識して、今回は「仮面」について一思案してみよう。
ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第二百十二弾「仮面三景」。

「仮面文化」に国境はない。
ネグロイド、コーカソイド、モンゴロイド、オーストラロイド。
熱帯~亜熱帯~温帯~亜寒帯~寒帯、極地に至るまで、
民族や地域を違わず、各々それぞれの仮面が在る。
また、仮面との付き合いは古い。
登場した時期の特定は難しいが、
ヒトが集団生活を始めた頃とイコールではないかと推測する。
用途は様々。
エンターテインメント、求愛、霊や神の召喚、冠婚葬祭、(戦争などの)出陣式。
ともあれ仮面を使うことで「他の何か」に変化(へんげ)したり、
「何かを憑依させる」のが目的。
隣人を道化にも、悪魔にも、神にも変える装置、それが仮面だ。
--- いや、正確に言えば「それが仮面だった」。
科学技術の進歩により、その魔力が奪われて久しい。
でも、廃れたわけではない。
能面、おかめ、ひょっとこ、狐面、鬼面。
歌舞伎の隈取り、縁日の夜店に並ぶお面。
秋田のナマハゲ、石川能登のアマメハギ。
月光仮面、仮面ライダー、覆面レスラー。
身近な例を挙げただけでも実に多種多彩。
今も一種の装置(道具)として、連綿と受け継がれている。
そして「ビリー・ジョエル」が歌っているように、
人はよく「形のない仮面」を付ける。
可笑しくもないのに口角を上げる「作り笑い」や、
野心に蓋をする過剰な演出「ポーカーフェイス」が好例だ。
性格や立ち回り方、仕事などによって度合いは変わるが、
我々は仮面劇の役者に似ていると言えなくもない。
立場や状況に応じて使い分ける仮面。
それは、言葉と同等か、時に言葉以上に雄弁なコミュニケーションツールとなる。
仮面は切っても切れない間柄なのだ。
僕にとっても、貴方にとっても。
仮面に対して、僕はある種の思いがあります。
人は、意識、無意識に、ありたい自分の仮面を被る。そして、同じ仮面を何度も被り続けると、その仮面が、その人の顔になると言う話。(ホラーでは、ありません・・・笑)
パーソナリティ(人格)の語源のラテン語のペルソナは、元々ペルソーナ(仮面)だったという話です。
ほとんど、取ってつけたような無関係なコメント、失礼いたしました。
では、また。
意識するとしないとに拘らず、
自分の願望を求めて仮面を被る。
そして被り続けるうち、
いつしか仮面は「顔」になる。
--- そうして手に入れた顔は、
「本当の顔」ではありませんが、
確かに、その人のパーソナリティになり得ますね。
本当の顔が何なのかは、本人にも分からない。
人の心は底なし沼のようです。
自分で自分の深淵をサルベージして、
心の奥に在るパンドラの箱を開けたら、
どんな悪鬼が出てくるのやら。
果たして「希望」は残ってくれているのか。
気になるところです。
仮面の話題を逸脱した抽象的なご返信になり
恐縮です。
貴コメントを読み、
色々と考えさせてもらいました。
では、また。