2023年・ゴールデンウイーク真っ只中。
コロナ禍終焉風潮の後押しもあり、巷では様々なイベントが花盛り。
列島各地で賑わいが創出されているようだ。
そんなタイミングに重なる今回の投稿は、
時計を大きく巻き戻し、舞台を地中海に移して、
「古代ローマのイベント」を取り上げてみたいと思う。
ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第二百二十四弾「女性剣闘士」。
小さな都市国家に始まった「古代ローマ」はイタリア半島を統一した後、
領土拡大方針へ舵を切った。
周辺地域への侵略を繰り返し世界国家への道を歩む途上、
敗戦国から戦利品として膨大な数の奴隷が連行されてくる。
有力者たちは、それら労働力を農園で働かせ富を蓄えた一方、
資金力に乏しい中小規模農民たちは太刀打ちできず没落。
やがて田畑を捨てて首都ローマへ押しかけ、政府に保護を求める。
当時のローマは「共和政」、為政者は選挙によって選ばれていた時代。
「選挙権を持つ無産市民」をないがしろにできない政治家・貴族たちは
票と引き換えに願いを叶えた。
世に言う「パンとサーカス」である。
「パン」は食料。
主食の小麦粉が特価、あるいは無料で配布された。
「サーカス」は娯楽。
競技場での戦車競走や、闘技場での剣闘士試合などが代表的だ。
後者は“ガチンコ殺人ショー”の印象が強いかもしれない。
確かに、それはあった。
中でも「猛獣 vs 人」は、公開処刑の意味合いが強く凄惨を極めた。
だが「人 vs 人」は“苛酷なスポーツエンターテイメント”に近い。
--- というのが実態に思える。
前述したとおり、主催者は政治家・貴族。
その依頼を請けた興行主のマネジメントにより催しが開かれる。
中身が素人同士の切り合い、スプラッターばかりでは観衆を満足させることは出来ない。
やはり、高度な武芸を見せカタルシスを与える必要があった。
そのため、訓練トレーナー、マッサージ師、料理人、武具係、医師など、
さまざまな専門スタッフを揃えた養成所でプロフェッショナルを育成した。
元手がかかっているのだ。
更に剣闘士は奴隷だから、当然、持ち主がいる。
オーナーにとっては「財産」。
闘いの性格上、常に危険と隣り合わせだし命を落とすことも珍しくなかったが、
毎度死人の山を築いていたのでは割に合わないだろう。
そして一口に剣闘士と言っても一律ではない。
人種・体格・戦法・武器などによってタイプが異なり、技量や経験にも差があるのは当然。
誰と誰を、どの順番で組ませるか。
マッチメイクの妙がイベントを盛り上げるカギだった。
ショーアップも大切。
要員として「女性剣闘士」がいても不思議ではない。
文献・碑文も、彫刻も遺されている。
どうやら実在したのは間違いなさそうだが、
従事した人数、闘いの様子、境遇となるとえらく不明瞭。
おそらく女性剣闘士は少数派だ。
(男に比べると)非力な点を考慮すれば、重くて取り回しの大変な長ドスはそぐわず、
得物は懐刀、鎌のように湾曲した短剣などがせいぜいか。
(男女がペアを組んだ)ミクスドマッチはあったかもしれないが、
同性との対戦が主体だっただろう。
また、興行に於ける色物の役割を期待されたのは想像に難くない。
しかし、いずれも想像の域を出ない。
彼女たちはミステリアスな存在なのだ。
その姿は遥か古代、円形闘技場(コロッセオ)に揺らめく陽炎の中に霞んでいる。
< 後 記 >
「パンとサーカス」。
これは、古代ローマの詩人が生み出した言葉だ。
食糧と娯楽で民を手なずけ、政治への関心を失わせ支配を容易にするやり方、
「愚民化政策」を批判したもの。
確かに生きる上でパンもサーカスも必要だが、要注意。
権力者は、時に金をバラまき、民心の不安を煽ったり興奮を高めたりする為、
色んなサーカス(イベント)を仕込んでくる。
それは時代が混迷の度合いを深めるにつれ、巧妙さを増す。
世の中に対し無関心になってはいけない。
懐柔されてはいけない。
忘れないで欲しい。
大ローマは「滅びた」のだ。