思えば今年は震災から幕を開けた。
元日夕方に発生したマグニチュード7.6の「令和6年能登半島地震」である。
度重なる緊急地震速報。
何度も襲い掛かってくる震え。
その度に柱や壁がミシミシと音を立てる---。
怖ろしくて仕方のない時間は、忘れられない記憶だ。
「あの日」から明日で丸一年が経つが、それは「過去」ではない。
わが津幡町から車で20分あまりの内灘町・西荒屋。
能登半島地震では、激しい揺れとともに地下から水や砂が噴き出し、
家は沈み、道路は広範囲で波打ったような状態となった。
応急危険度判定で「危険」と判定された建物も少なくない。
上掲画像は1ヶ月ほど前に撮影したもの。
通行に支障のあった県道は、現在応急復旧工事が完了し「おおむね」平坦になったと聞くが、
元通りとなるまでは道半ばである。
甚大な被害が出た奥能登地域の道路事情も同様。
きのう(2024/12/30)輪島まで足を運んだ際に通った「のと里山海道」は、
ひび割れ・崩落により生じた路面のアップダウンが激しい。
場所によって車の底を擦ってしまうほどだった。
金沢との全面通行は実現したが、すんなりとはいかず不便なまま。
それが、偽りのない実感である。
明日(2025/01/01)、輪島市の「日本航空学園能登空港キャンパス体育館」に於いて
「令和6年能登半島地震・令和6年奥能登豪雨犠牲者追悼式」が催行される。
セレモニーは亡くなってしまった方々へ思いを致す意味で大切。
しかしこれは区切りでも、節目でもない。
奥能登4市町の人口は地震前と比べ7.8%減。
全国平均を大きく上回っている。
特に子育て世帯の流出は深刻だ。
輪島市では小中学生がこの1年間で3割マイナス。
過疎化の加速が懸念される。
1月の地震と9月の豪雨が与えた打撃は大きい。
整備・復旧は前進しているが、復興となると道のりは遠くゴールは見えない。
「あの日」から続く苦闘は、まだ過ぎ去ってなどいないのである。
さて、今回が拙ブログ今年の投稿ラスト。
拙ブログをご覧いただき誠にありがとうございました。
読者諸兄姉におかれては、どうかよい年をお迎えくださいませ。
では、また。
令和6年(2024年)大晦日 りくすけ
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