廃炉作業が進む旧グライフスバルト原発。実際に使用されていた原子炉容器が保管されている
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201408/20140805_73005.html
国民「ノー」政府動かす/(1)フクシマの衝撃/脱原発への道 ドイツ・スイスは今
<廃炉作業続く>
巨大な鉄の塊がホールにずらりと並ぶ。廃炉になり、不要となった4基分の原子炉容器。原形をとどめたままだ。ドイツの首都ベルリンから北へ180キロ。バルト海に面するルブミン、クレスリン、ルベノウの3町に、国内最大だった旧グライフスバルト原発は立地する。
東西ドイツが統一された1990年、ロシア製の同原発は安全性が疑問視され、運転を停止した。「こんな距離まで近づけるのか」
福島県議会の視察団が原子炉容器を間近に見上げた。容器の側面に貼られたラベルには「2メートルの位置で毎時50マイクロシーベルト」と書かれている。福島第1原発事故で指定された帰還困難区域の年間放射線量と同レベルだ。「危険なので早く移動します」。現地の解体会社ノルト・エネルギー社広報担当のハルトムート・シンデル氏がせかした。福島第1原発は1~3号機がメルトダウン(炉心溶融)した。破損の状況は不明。格納容器に人が近づくことすらできない。昨年12月、1号機の格納容器付近で測定された放射線量は1600ミリシーベルト。旧グライフスバルト原発の約3万倍だ。ドイツ各地の原発では廃炉作業が進む。86年のチェルノブイリ原発事故後、国内では脱原発の機運が高まり、2002年には当時のシュレーダー政権が「22年までに国内の原発の全基停止」を決めた。しかし、原発推進派のメルケル政権が09年に誕生すると、方針は一変。停止を12年先延ばしにした。11年3月11日、福島で世界最悪の事故が起きた。「ドイツの脱原発を決定的にしたのは、フクシマの事故だ」。シンデル氏は振り返る。原発事故の2週間後、ドイツ南西部のバーデン・ビュルテンベルク州議会選挙で、与党が大敗した。勝ったのは「90年連合・緑の党」。長年、脱原発を掲げてきた第4政党だ。その後、他の州でも次々と緑の党が旗印を挙げた。原発に国民が突き付けた明らかな「ノー」。総選挙を控えていたメルケル首相は危機感を抱き、同年6月、国内の全17基を22年までに閉鎖することを閣議決定した。
<国は経済優先>
ドイツの原発事情に詳しい原子力資料情報室(東京)の沢井正子氏は「脱原発は政治判断ではなく、国民の意思で実現した。ドイツは政府が民意を無視できないお国柄だ」と解説する。
日本の世論もドイツと同様、脱原発志向が主流だ。しかし、安倍政権はエネルギー基本計画で原発を「重要なベースロード電源」と位置付けた。原発輸出を進め、早ければ秋にも九州電力川内原発(鹿児島県薩摩川内市)が再稼働する。福島では今もなお13万人が避難を余儀なくされている。避難自治体の一つ、川内村の遠藤雄幸村長の言葉が重い。「この国では私たちよりも経済が優先だ。多くの人が故郷を汚され、地域のつながりを失った。原発をやめるのにそれ以上の理由は必要なのだろうか」福島第1原発事故後、ドイツ、スイスは自国の原発を全基廃炉にする道を歩み出した。なぜ、脱原発を選択したのか。両国を視察した福島県議団の同行取材から考える。(福島総局・桐生薫子)=4回続き
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