
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2403346.html
戦後70年談話、安倍首相 表現継承に否定的考え
安倍総理は今年発表する戦後70年の総理談話について、「過去の植民地支配と侵略への反省」を明記した村山元総理の談話の表現をそのまま引き継ぐことに否定的な考えを示しました。安倍総理はテレビ番組で、戦後70年の総理談話について、「歴代政権の談話を全体として受け継ぐ」とする一方、「今まで重ねてきた文言を使うかどうかではなく、安倍政権としてどう考えているのかという観点から出したい」と述べました。そして、「今までのスタイルを下敷きにして書くことになれば『今まで使った言葉を使わなかった』、『新しい言葉が入った』というこまごまとした議論になる」と語り、文言全体を見直す可能性を示唆しました。これについて、民主党の岡田代表は「まるで植民地支配や侵略が『こまごまとしたような』と受けとられかねないような発言で、総理大臣として絶対に言ってはならないことだ」と批判し、26日からの通常国会で追及していく考えを示しました。(25日14:02)
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
戦後70年談話 反省抜きで未来語れぬ
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2015012702000106.html
安倍晋三首相は戦後七十年の今年、どんな首相談話を出そうとしているのか。いくら未来志向の言葉を重ねても、戦争への反省抜きでは、戦後日本の「平和国家」としての歩みを傷つけかねない。太平洋戦争の終結から今年で七十年。日本国民だけで三百十万人もの犠牲を出した先の戦争から十年ごとの節目の年は、日本国民にとっては過去を振り返り、未来への誓いを立てる機会でもある。戦後五十年の一九九五年、村山富市首相は八月十五日の終戦記念日に首相談話を閣議決定し、自ら発表した。いわゆる「村山談話」である。この談話の特長は、過去の「植民地支配と侵略」に対して「痛切な反省」と「心からのお詫(わ)びの気持ち」を表明したことだ。植民地支配と侵略の歴史を正当化しないこの談話は継承され、日本政府の歴史認識として定着している。二〇〇五年の小泉純一郎首相による戦後六十年談話にも、同じ文言が盛り込まれた。戦後七十年の首相談話を出す方針を明言している安倍首相は、村山、小泉両首相談話を「全体として受け継いでいく考え」を重ねて表明してはいる。しかし、二十五日のNHK討論番組では「今まで重ねてきた文言を使うかどうかではなくて、安倍政権として七十年を迎えてどう考えているかという観点から談話を出したい」と述べた。村山談話を全体として受け継ぐといっても「植民地支配と侵略」に対する「反省」と「お詫び」という根幹に関わる文言を盛り込まなければ、談話を継承したことにはなるまい。首相はかつて「侵略の定義は定まっていない」と国会答弁した。侵略を正当化する意図を疑われ、国際社会の一部から「歴史修正主義的」と厳しい視線が注がれていることを忘れてはならない。首相が指摘するように、アジアや世界の発展に貢献してきた戦後日本の歩みや、どんな国際秩序を目指すのかという未来に対する意思も、談話に盛り込むべき重要な観点ではある。しかし、そうした「未来志向」も、植民地支配や侵略という「負の歴史」と向き合う謙虚さがなければ、信頼は得られまい。過去の反省に立った平和国家としての歩みこそが、国際社会で高い評価と尊敬を勝ち得てきた。これをより確固たるものにすることこそが首相の責任だ。いささかの疑念をも生じさせてはならない。☆我々は↑読売と産経の不買運動に参加しかないかも(^^)
●ブログランキングに参加しています
●1日1ポチ応援お願いします