「戦争しない国」を貫こう 年のはじめに考える
安倍晋三政権は自衛隊法など安全保障関連法の改正を目指します。平和を祝う戦後七十年の節目に「戦争のできる国」に戻ってよいはずがありません。昨年、亡くなった俳優の菅原文太さんは、沖縄知事選に立候補した翁長(おなが)雄志候補の集会で、こう訴えました。「政治の役割はふたつあります。ひとつは、国民を飢えさせないこと。もう一つは、これが最も大事です。絶対に戦争をしないこと!」。聴衆は割れるような拍手で賛成しました。残念ながら、菅原さんの訴えは、与党政治家には受け入れ難いようにみえます。
空論が生む「武力行使」
安倍首相はペルシャ湾の入り口にあるホルムズ海峡に機雷が敷設された場合、自衛隊を派遣して除去する意向を示しています。機雷敷設は戦闘行為であり、遺棄されていない機雷の除去も戦闘行為にあたります。これまで違憲とされてきた「海外における武力行使」が検討されているのです。なぜ
ホルムズ海峡なのか。唐突な問題設定は、
米国の知日派グループが二〇一二年にまとめた「第三次アーミテージ・リポート」で「イランがホルムズ海峡を閉鎖する事態に日本はただちに掃海艇を派遣するべきだ」と提言したことが原点のようです。ただ、核放棄へ向け関係六カ国との話し合いを続けるイランがホルムズ海峡を封鎖するでしょうか、仮に強行したとして機雷に反応しないよう木やガラス繊維でできたもろい船体の掃海艇を戦闘の最中に派遣してよいのでしょうか。「並走する米艦艇の防護」「米本土を狙った弾道ミサイルの迎撃」など、安全保障面、技術面からみて、およそ現実離れした事例を積み上げ、ついに集団的自衛権の行使容認に踏み切った与党協議と同じぐらいの空論といえます。
頬かむりする政治家
アーミテージ・リポートは、集団的自衛権の行使解禁と原発再稼働も求めています。安倍政権が次々に受け入れているのをみると、日本を自分たちの言いなりにしたいジャパンハンドラー(日本を飼いならす人々)の言葉を真に受けているとしか思えません。
政治家は自らの判断によって引き起こされた結果に責任を負わなければなりません。あえていうのは、自衛隊の活動が憲法違反との判決を受け、政治家が頬かむりした実例があるからです。イラク戦争でクウェートに派遣された航空自衛隊は〇六年七月、陸上自衛隊のイラク撤収を受けて、空輸対象を米兵に変えました。もちろん政治の判断です。政府は米兵空輸を伏せ、国連物資や人員を空輸すると発表しました。航空自衛隊の輸送機が首都バグダッドの上空まで来ると、ミサイルに狙われたことを示す警報音が機内に鳴り響き、アクロバットのような飛行を余儀なくされたのです。名古屋高裁は〇八年四月、「航空自衛隊の空輸活動は米軍の武力行使と一体化していて憲法に違反する」との判決を出しました。政府は無視しましたが、政治家の命令に従って活動し、裁判所から憲法違反とされたのではたまったものではありません。非戦闘地域へ派遣されたはずの陸上自衛隊の宿営地へは二年半の間に十三回で二十二発のロケット弾が発射されました。無事帰国した隊員のうち、陸上自衛隊は二十人が自殺、航空自衛隊は八人が自殺しています。心的外傷後ストレス障害(PTSD)が疑われますが、政府は初の「戦地」派遣となったイラク派遣について、まともな検証をしていません。検証どころか、太平洋戦争下の陸軍大本営もかくやと思わせるような偏った情報しか発表せず、国民に判断材料を提供してこなかったのです。その政府が昨年七月、集団的自衛権の行使容認を閣議決定した。米軍などへの後方支援も拡大し、名古屋高裁が違憲としたような活動を認めることにしたのです。安全保障関連法をめぐる国会論議は四月の統一地方選後に始まり、八月には防衛省が一六年度防衛費の骨格を決めます。専守防衛の枠を超えるのだから、装備、人員の増強が見込まれます。
首相が狙う憲法改正
年末には日本防衛の指針「防衛計画の大綱」が見直され、国際平和協力活動という名の「戦争」や「戦争支援」が本格化する公算が大きい。そうなれば、憲法九条は何も禁止していないのと同じことになります。菅原さんの訴えた「絶対に戦争をしないこと」から大きく外れることになるのです。政権の思惑通りに安全保障関連法改正が進めば、次は安倍首相が「私の使命だ」と明言する憲法改正です。
戦後七十年の節目に、日本は重大な岐路に立ちます。●ブログランキングに参加しています
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