この集団訴訟の主要なポイントは、以下の3点である。
第1は、個人単位の国民年金の給付額は、40年加入で月額6.5万円、平均では5万円に過ぎず、単身者は生活できない。また、無年金者が100万人も存在する。第2に、過去のデフレスライド停止分の利得返済(特例水準の解消)は、物価上昇の中で解消するべきで、物価下落局面での年金支給減額は法律違反である。第3に、これに加えて、年金の実質減額(マクロ経済成長スライド)は、憲法で禁止されている、合理的な理由なく財産権を侵害する行為に相当する。
しかし、これらの論理には、次の3つの視点が欠けている。第1に、公的年金は憲法25条に基づく生活保護のような最低生活保障ではなく、給付と負担の均衡原則に基づく「保険」である。第2に、公的年金の受給者が、過去に支払った保険料に対応する財産権を持つとしても、それは現実の給付額の一部に過ぎない。実際には、勤労者世代の財産に強制的に課される社会保険料・税を財源とした、多くの世代間の所得移転を受けていることである。第3に、低所得層の所得維持のためとする年金給付の引き上げは、結果的に中・高所得層の年金受給者にも大きな利益となるポピュリズムと結びつくことである。
公的年金は「強制加入の年金保険」
老後の生活保障の柱としての年金を、民間保険に委ねるのではなく、政府の公的保険とする根拠のひとつに、勤労時に老後の生活保障の柱となる貯蓄を強制することがある。
現行制度では、大雑把にみて、月1万5590円(2015年度)の国民年金保険料を40年間負担すれば、65歳から月6万5008円の給付を、男女の平均寿命に見合って20年間弱受け取れる。これは給付額の半分が税金からの補助で賄われているためで、生涯で負担の倍近い給付を保障する高収益の金融商品である。それでも高齢者の生活を支えるには不十分であれば、それに見合った高い保険料が必要になるが、保険料の負担増には反発が大きい。
現実に、無年金者や満額以下の年金しか受給できない受給者が多いことは、給与から保険料を強制徴収されるサラリーマン以外に対して、事実上、保険料徴収の強制性を欠く年金行政の問題である。これには、確実に保険料を徴収可能な年金目的消費税等の具体的な提案があるが、厚生労働省は無視している(拙書『社会保障を立て直す(日経新書)』他)。
もっとも、過去の行政の不備で、多くの低所得の高齢者が存在するが、その救済は生活保護行政に委ねるしかない。これに対して、年金給付を一律に引き上げることは、生活に困窮しない中・高所得層の高齢者も、多くの利益を得る、ばらまきである。日本の社会保障収支の赤字は、高齢化とともに傾向的に拡大しており、それは一般会計を通じて、赤字国債の発行で賄われている(図)。この「借金に依存した社会保障」をさらに拡大させることは、年金制度の持続性を損ない、高齢者自身にとってのリスクを高めるものである。
公的年金の基本は実質価値の保障
公的保険としての年金の目的のひとつに、戦後の高インフレのような事態でも、その実質価値が損なわれないことの保障がある。そのため、物価水準に応じて給付額を変動させることが、年金法で規定されている。インフレスライドは良いが、デフレスライドは悪いという論理は成り立たない。ここで、消費税率の引き上げによる物価上昇分も、インフレスライドの対象に含まれる点で、年金受給者は増税の負担を、給付の増加で相殺される仕組みとなっていることが忘れられている。
物価下落で実質所得が増えるにもかかわらず、高齢者の生活維持を名目として、平成12年度から3年間に渡って年金の名目水準が維持された。この「特例水準」と、年金法の規定通りに年金額が引き下げられた場合との差額は、毎年約1兆円もの給付増となる。今回の年金額の引き下げは、法律で定められた本来水準への復帰に過ぎず、すでに過去8年以上にわたって支払われた給付増加分は取り戻せない。
集団訴訟の訴状にある、「物価上昇に対応したインフレスライド分から、特例水準解消のための年賦払いの1%を差し引くことは仕方ないが、物価が0.3%しか上昇しないのに、給付を0.7%の削減するのは財産権の侵害」とは、奇妙な論理である。これは、1%以上のインフレであれば、差し引き後も年金の名目額が前年に比べて少しは増えるが、さもなければ減るという違いに過ぎず、年金の実質価値(購買力)で見れば、いずれも同じことだからだ。
年金の世代間格差は無視して良いのか
集団訴訟のポスターには、「若者も安心できる年金制度を」とうたわれている。これは「年金給付拡大の恩恵は、いずれ若者が高齢者になれば受けられる」という前提に依存している。しかし、これは人口の年齢構成が将来も不変という、少子高齢化社会と矛盾した前提に基づく、根本的な誤りである。
現在の年金制度はGDPの額を上回る500兆円強の積立不足(隠れ債務)が存在している。これは現在の高齢者の年金給付が、勤労世代の積立金を取り崩すことで賄われているためだ。これに加えて、社会保障財政の慢性的な赤字の累積から、先進国の内では桁外れの1000兆円を超える公債残高が生じており、いずれも子どもや孫の世代に負担を先送りするものとなっている。
高齢者はそれほど多くの年金を貰っていないというが、毎年の給付額よりも、過去40年間に男性の平均寿命が11歳伸びるなど、長寿化による生涯の年金受給額の増加が重要である。多くの先進国では、平均寿命の伸長に合わせて年金の支給開始年齢を67-68歳に引き上げ、平均的な年金受給期間を、男性で10年程度に抑制している。しかし、世界でトップレベルの寿命の日本では、男性の平均寿命が80歳に達した今日でも、年金の支給開始年齢を65歳以上に引き上げることは、政治的にタブーとなっている。こうした過去の年金政策の失敗が、もっぱらインフレに依存した実質給付の削減策となっている。
シルバー民主主義への正しい対応
国政選挙等での高齢者の高い投票率を背景として、高齢者に媚びる政治家が増えるシルバー民主主義の弊害広がっている。その意味で、年金集団訴訟は、これまで政府が避けてきた高齢化社会の社会保障費の膨張の是非について、国民的議論を行う良い機会である。
この訴訟の背景には、政府が複雑な年金財政について、一部の専門家の間だけで検討するだけで、米国のような公平な第三者機関の評価が行われていないことがある。この結果、年金財政深刻化にもかかわらず、過去の行政の経緯から、楽観的な「100年安心年金」に拘ることで、逆に年金給付削減への国民の納得性を得られないジレンマに陥っている。
シルバー民主主義の弊害是正のためには、世代別選挙区制度や、子どもを持つ親に複数の投票権など、間接的に高齢者の選挙権を制限するというのが定番の政策提言である。しかし、これは高齢者の強い政治力を考慮すれば、机上の空論になりかねない。
高齢化社会では、高齢者の就業を促進するために、他の先進国に倣って、年齢差別的な定年制度の禁止と、それを可能とする労働市場改革を急ぐことである。男女の別なく働き続ける高齢者は、何歳になっても「勤労世代」である。現に、日本と同じ平均寿命の豪州は、年金の支給開始年齢の70歳への引き上げを昨年度に実施した。日本の政府も、年金財政の深刻な現状を、超楽観的な経済前提にもとづく試算で粉飾するのではなく、国民に真摯に説明するべきである。
日本の多くの高齢者は、社会保障の現状についての正しい情報を得られるならば、決して子どもや孫の負担を増やしてまで、自らの生活向上を求めようとはしない筈である。日本の高齢者の良識を信じて、必要な負担を求めるのが政治家の役割である。年金受給者の平均年収190万円は、年金加入者平均の297万円と、世帯員の差を考慮すれば、必ずしも低くないが、高齢者はもっとも所得格差の大きな年齢層である。貧しい高齢者の生活保障は、給与所得と比べて優遇されている年金所得課税の見直し等、同世代の豊かな高齢者の負担で賄う所得再分配を進めるべきである。
《生活の党と山本太郎となかまたち》
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