(日本会議研究)憲法編:上 改憲へ、安倍政権と蜜月
13日、東京・高輪のホテル。安倍晋三首相は自民党大会の後、参院選の立候補予定者への公認証交付を終えると、同じホテル内の宴会場に姿をみせた。
新憲法制定を掲げる「日本会議」の地方議員連盟の総会だ。約160人が集った非公開の会合に、首相は15分とどまった。複数の出席者によると、あいさつで憲法改正への決意と国民投票に向けた世論喚起の重要性を強調し、「憲法改正は党是だ」と語った。
■会合、異例の配慮
3月に入り、首相は憲法改正に積極的な国会答弁を繰り返していた。ところが党大会の20分のあいさつでは一言も触れず、「参院選前に拳を振りあげる必要はない」(自民党参院幹部)とする党内や公明党を意識したものと映った。
その数時間後、一運動団体の非公開の会合で首相がみせた異例の配慮。日本会議によると、第2次安倍政権の発足後、首相が日本会議の公式行事に出席するのは初めてだった。
首相、正副官房長官、閣僚、首相補佐官、衆参両院議長、自民党役員、派閥領袖(りょうしゅう)――。「部外秘」とある日本会議国会議員懇談会の名簿(昨年9月15日現在)には、政府・自民党幹部の氏名が並ぶ。首相が特別顧問を務め、当時の会員281人のうち246人を自民党が占める。衆院の6割、参院の5割が属す。
これまでも島村宜伸氏、麻生太郎氏と自民党の大物議員が会長を務めたが、いまほど日本会議が政権中枢と接近し、注目された時代はなかった。「彼らは高揚感の中にある」と同党の閣僚経験者はいう。
政権との蜜月を背景に、日本会議の田久保忠衛会長は昨年11月の講演で「我々が安倍さんについて行くのではなく、先兵になったらどうか。明治維新も下級武士がやった」と述べ、憲法改正の牽引(けんいん)役を務める自負を示した。今年2月、憲法改正を訴える集会では、ジャーナリストの櫻井よしこ氏が「こんな憲法、破り捨てようではありませんか!」と呼びかけた。
日本会議は1997年、新憲法の提唱や新しい日本史教科書づくりに取り組んだ「日本を守る国民会議」(81年発足)などが統合してできた。事務局の中枢を担うのは、60年代後半に全共闘などの学生運動に対抗した椛島有三事務総長ら、当時は反共的な主張をしていた宗教団体「生長の家」の出身者だ。多数の協力団体があり、会員は約3万8千人。国旗国歌法の制定や教育基本法の改正を推進し、夫婦別姓や外国人参政権には反対してきた。
■首相支える存在
一方の首相は93年に自民党初の下野を体験した。河野洋平総裁のもと、結党以来の党是である「自主憲法制定」の見直しが検討されると、学生時代に生長の家で活動していた衛藤晟一衆院議員(当時)らと反対。96年、衛藤氏らとの共著で「心を込めた保守による『革命』を提唱したい」と書いた。97年にすべての中学歴史教科書に「慰安婦」に関する記述が載ることになると、故・中川昭一氏、衛藤氏と「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を立ちあげた。
首相とともに歩み、いま補佐官として首相を支える衛藤氏は2014年10月、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の設立総会で、90年代を振り返りつつ述べた。「安倍内閣は憲法改正の最終目標のため、みんなの力を得て成立したと言っても過言ではない」
衛藤氏が語りかけた国民の会を主導する団体こそ、日本会議だった。
安倍政権の足元で、政権と響きあうように運動を展開する日本会議。その実像を追う。憲法編は全3回。