今年の夏休み商戦は賑やかで熱いです。
前々から偉い人たちが「ヒーロータイムの連携を強めていきたい」と株主総会等々でおっしゃっていましたが、本格的に実りだした気がする。
これが、組織力…!
■仮面ライダーディケイド 第25話「外道ライダー、参る!」
ディケイド兄さんがやってきた新しい世界、そこは「仮面ライダー」とは全く違う「シンケンジャー」の世界。
あまりにも違いすぎる世界だというのに、やってみたら意外としっくりコラボってしまいました。
そしてそれは、「シンケンジャー」の世界の破壊も意味していた。
鳴滝さん:
「ディケイドに侵入された世界は破壊される」
「既にライダーの浸食が始まっている」
「ライダーなど全く不要だったはずのこの世界で、最初のライダーが現れてしまった」
「ディケイドのせいで…!」
「戦隊もの」として確かな世界観を持っていたはずの「シンケンジャー」なのに、「ディケイド」の世界と融合できてしまった。
すなわち、最早「原典」などというものが存在できない。
何でもかんでも、「ライダー」フォーマットで描写できてしまうのなら、オリジナルにどんな意味があるというのか。
けれどその懸念は、違う疑問で塗り替えされました。
夏みかんさん:
「仮面ライダーがいたら…」
「ディケイドがいたら、ダメなんですか?」
蜜柑娘のその発言は、とても重く響きます。
「シンケンジャー」と「仮面ライダー」の融合。もっと言えば旧来の「仮面ライダー」と「ディケイド」の融合。
かなりの思い切ったアプローチだったと思いますし反論もあったかと思いますが、冷静に考えてみるとこの疑問に当たります。
「シンケンジャー」の世界に、「仮面ライダー」がいて何が悪いのか。
今までのシリーズだって、単に描写されていなかっただけで同じ世界に戦隊やライダーが存在したのかもしれない。
それがたまたま合流したからって、何が問題なのか。
いやそれ以前に、異なる世界の異なる登場人物が共闘したからって、それは「世界の破壊」と悪しざまに言うようなことなのか。
だったら「新しい敵の出現」や「続編」だって「破壊」だし、二段変身や新アイテムによる世界の変化だって「破壊」じゃないか。
当初と異なる環境に置かれるという意味で、両者にさしたる違いはないはずです。
続く台詞も重いです。
ディケイド兄:
「待ってる人間がいれば、そこが帰る場所だ」
「這ってでも帰ってくるもんだろ、そういう場所」
仮面ライダーがいたからって悪いわけじゃない。
そうは言っても、何の土台もなく自由にやりすぎれば話が成立しないのも確かです。
じゃあその拠り所となる土台は何かと言えば、結局「原典」になる。
ここでいう「原典」は単なる「元の番組」という意味ではなく、それを見た当時の思い出や思い入れも含んだ広い意味での「原典」。
今まで長い間見てきた私たちにとっては、ただの「面白い話」だとかデータ的なことを越えたものを、その番組に対して抱いている。
察するに、それが「帰る場所」なんじゃなかろうか。
仮面ライダーが出ようと、if世界の展開になろうとも、「帰る世界=原典」があるのならそこに戻ることができる。
楽しくお祭り騒ぎをして、終わったら元の世界に戻って元の展開に立ち返れる。ファンはそこでずっと待ってる。原典もそこで待ってる。
「ディケイド」化に限らず、二次創作も続編も、全てそういう要素を持ってると思います。
原典が好きでリスペクトしているからこそ、改編や続編、パロディも安心して楽しめる。
だって帰る場所を、私たちは知ってるんだから。
「シンケンジャー」の世界は確かに侵食されたけれど、それで番組がダメになってしまったわけじゃない。
一つのエピソードとして、上手く取り込んでいってます。
次回からはまた安心して、いつもの世界に戻っていける。
「ディケイド」展開により、世界は変わってしまったし、そういう意味では「原典」も破壊されてしまったのかもしれない。
だけど少なくとも私たちファンの中にある「原典」への想いは変わらないし変えられない。
それが「帰る場所」たる不変の「原典」なのかなと思ってみた。
公式設定がいくら変遷しようとも、楽しんで番組を見た思い出は変わらないし、その思い出がある限り、どれだけ「ディケイド」化しても破壊されることはないのだろうと思う。
「シンケンジャーの世界」なんてネタ以外の何者にも思えないのに、こんなに考えさせられるとは思いませんでした。
平成ライダーの世界でお祭り騒ぎをしたあとなだけに、構成が上手いです。
自分たちの一喜一憂を、見事に取り込んで回答してくれてる気がする。
…で、当の「ディケイド」さんが悩むことになるんだろうか。
彼にとっては「原典」がない。「原典」は今まさに作ってる最中だけど、それは既に「ディケイド」化している。
だから過去もないし、記憶もない。原典がないんだから。
根なし草の旅を続けるしかなく、彼は「通りすがりの」仮面ライダーでいるしかない。
最後はどう落とすんだろう。
自分で自分たちの世界に行く展開はあってもおかしくないかもしれない。第1話はそんな感じだったような気がしますし。
今年のヒーロータイムはつくづく目が離せない。
【蛇足1】
夏みかんさん:
「何ですかあれ!」
突如出現した巨大兵器を前に戦くライダーヒロインの図。
文化の違いを垣間見たようです。
彼女は「巨大ロボの存在しない世界」のヒロイン様。
【蛇足2】
桃緑寿司:
「よっしゃ!」
青黄鍬:
「よし!」
個々の戦闘で勝利し、歓声を上げる各チームが熱かった。
これが夏の劇場版と言われても納得できるスケールです。
テレビサイズでこれなら、劇場版はどんなことになるんだろう…?
前々から偉い人たちが「ヒーロータイムの連携を強めていきたい」と株主総会等々でおっしゃっていましたが、本格的に実りだした気がする。
これが、組織力…!
■仮面ライダーディケイド 第25話「外道ライダー、参る!」
ディケイド兄さんがやってきた新しい世界、そこは「仮面ライダー」とは全く違う「シンケンジャー」の世界。
あまりにも違いすぎる世界だというのに、やってみたら意外としっくりコラボってしまいました。
そしてそれは、「シンケンジャー」の世界の破壊も意味していた。
鳴滝さん:
「ディケイドに侵入された世界は破壊される」
「既にライダーの浸食が始まっている」
「ライダーなど全く不要だったはずのこの世界で、最初のライダーが現れてしまった」
「ディケイドのせいで…!」
「戦隊もの」として確かな世界観を持っていたはずの「シンケンジャー」なのに、「ディケイド」の世界と融合できてしまった。
すなわち、最早「原典」などというものが存在できない。
何でもかんでも、「ライダー」フォーマットで描写できてしまうのなら、オリジナルにどんな意味があるというのか。
けれどその懸念は、違う疑問で塗り替えされました。
夏みかんさん:
「仮面ライダーがいたら…」
「ディケイドがいたら、ダメなんですか?」
蜜柑娘のその発言は、とても重く響きます。
「シンケンジャー」と「仮面ライダー」の融合。もっと言えば旧来の「仮面ライダー」と「ディケイド」の融合。
かなりの思い切ったアプローチだったと思いますし反論もあったかと思いますが、冷静に考えてみるとこの疑問に当たります。
「シンケンジャー」の世界に、「仮面ライダー」がいて何が悪いのか。
今までのシリーズだって、単に描写されていなかっただけで同じ世界に戦隊やライダーが存在したのかもしれない。
それがたまたま合流したからって、何が問題なのか。
いやそれ以前に、異なる世界の異なる登場人物が共闘したからって、それは「世界の破壊」と悪しざまに言うようなことなのか。
だったら「新しい敵の出現」や「続編」だって「破壊」だし、二段変身や新アイテムによる世界の変化だって「破壊」じゃないか。
当初と異なる環境に置かれるという意味で、両者にさしたる違いはないはずです。
続く台詞も重いです。
ディケイド兄:
「待ってる人間がいれば、そこが帰る場所だ」
「這ってでも帰ってくるもんだろ、そういう場所」
仮面ライダーがいたからって悪いわけじゃない。
そうは言っても、何の土台もなく自由にやりすぎれば話が成立しないのも確かです。
じゃあその拠り所となる土台は何かと言えば、結局「原典」になる。
ここでいう「原典」は単なる「元の番組」という意味ではなく、それを見た当時の思い出や思い入れも含んだ広い意味での「原典」。
今まで長い間見てきた私たちにとっては、ただの「面白い話」だとかデータ的なことを越えたものを、その番組に対して抱いている。
察するに、それが「帰る場所」なんじゃなかろうか。
仮面ライダーが出ようと、if世界の展開になろうとも、「帰る世界=原典」があるのならそこに戻ることができる。
楽しくお祭り騒ぎをして、終わったら元の世界に戻って元の展開に立ち返れる。ファンはそこでずっと待ってる。原典もそこで待ってる。
「ディケイド」化に限らず、二次創作も続編も、全てそういう要素を持ってると思います。
原典が好きでリスペクトしているからこそ、改編や続編、パロディも安心して楽しめる。
だって帰る場所を、私たちは知ってるんだから。
「シンケンジャー」の世界は確かに侵食されたけれど、それで番組がダメになってしまったわけじゃない。
一つのエピソードとして、上手く取り込んでいってます。
次回からはまた安心して、いつもの世界に戻っていける。
「ディケイド」展開により、世界は変わってしまったし、そういう意味では「原典」も破壊されてしまったのかもしれない。
だけど少なくとも私たちファンの中にある「原典」への想いは変わらないし変えられない。
それが「帰る場所」たる不変の「原典」なのかなと思ってみた。
公式設定がいくら変遷しようとも、楽しんで番組を見た思い出は変わらないし、その思い出がある限り、どれだけ「ディケイド」化しても破壊されることはないのだろうと思う。
「シンケンジャーの世界」なんてネタ以外の何者にも思えないのに、こんなに考えさせられるとは思いませんでした。
平成ライダーの世界でお祭り騒ぎをしたあとなだけに、構成が上手いです。
自分たちの一喜一憂を、見事に取り込んで回答してくれてる気がする。
…で、当の「ディケイド」さんが悩むことになるんだろうか。
彼にとっては「原典」がない。「原典」は今まさに作ってる最中だけど、それは既に「ディケイド」化している。
だから過去もないし、記憶もない。原典がないんだから。
根なし草の旅を続けるしかなく、彼は「通りすがりの」仮面ライダーでいるしかない。
最後はどう落とすんだろう。
自分で自分たちの世界に行く展開はあってもおかしくないかもしれない。第1話はそんな感じだったような気がしますし。
今年のヒーロータイムはつくづく目が離せない。
(左画像) Journey through the Decade (右画像) CAST-PRIX SPECIAL 侍戦隊 シンケンジャー 公式ヴィジュアルブック 五侍粋変化 (GLIDE MEDEIA MOOK 35) |
【蛇足1】
夏みかんさん:
「何ですかあれ!」
突如出現した巨大兵器を前に戦くライダーヒロインの図。
文化の違いを垣間見たようです。
彼女は「巨大ロボの存在しない世界」のヒロイン様。
【蛇足2】
桃緑寿司:
「よっしゃ!」
青黄鍬:
「よし!」
個々の戦闘で勝利し、歓声を上げる各チームが熱かった。
これが夏の劇場版と言われても納得できるスケールです。
テレビサイズでこれなら、劇場版はどんなことになるんだろう…?