「時間停止」と「死」は極めて近い。
また「タイムトラベル」は、量子力学や宇宙の成り立ちに関わってきます。
そういったわけで、ハグプリ考察をやっている過程で浮かんだ、死後の世界の仮説を再掲します。
(「HUGっと!プリキュア」24話より)
[1] 死んだら無になるので転生する(沼男仮説)
[Wikipediaより引用]
ある男がハイキングに出かける。道中、この男は不運にも沼のそばで、突然雷に打たれて死んでしまう。その時、もうひとつ別の雷が、すぐそばの沼へと落ちた。なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥と化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。
この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。スワンプマンは原子レベルで、死ぬ直前の男と全く同一の構造を呈しており、見かけも全く同一である。もちろん脳の状態(落雷によって死んだ男の生前の脳の状態)も完全なるコピーであることから、記憶も知識も全く同一であるように見える。
[引用終]
この沼男と同等の状況は、現実にも起きえます。
発生確率がゼロと言ってよいほど低いので、まず見かけないだけ。
ですが確率がゼロでない以上はいつかは起きます。何億年の何億倍のそのまた何億倍の時間の果てには、いつかは起きてしまう。
元ネタである「沼男」では同一人物と呼んでよいのかが問題となっていますが、あらゆることが起こりうるのなら、まさしく同一人物のケースも起きるでしょう。
死んだら無になるのであれば、どれだけ長大な時間の断絶があろうと意識できず、一瞬です。
宇宙が終わり、また別の宇宙が始まり、その宇宙も終わり…と繰り返す永劫の時間を越えて、遂には沼男が出現し、そこに意識が接続されるなら、つまりは「転生」です。
実際には完璧なコピーでなくても意識は繋がりそうに思えます。
また、記憶が連続している必要もない。私らは昨日のことを忘れていても、それでも自我の同一性を保てています。
一瞬だけ自我が接続され、またすぐに霧散し…を無限に思える時間と回数で繰り返し(だけど当人はその長大な時間を認識しないまま)、安定したのが今の私達なのかもしれない。
[2] 多世界解釈により死ねない(量子自殺仮説)
「シュレディンガーの猫」という有名な思考実験があります。
猫を箱に閉じ込めて、「毒ガスが出る」「出ない」を完全ランダムな方法で決定する。さて、箱の中の猫はどうなっているのか?
量子力学的には、箱を開けて中を見るまでは「猫が死んだ」「猫は生きている」が確定しません。
世界は二つに分岐する(分岐している)。
中の様子を観測して初めて「猫が死んだ世界に我々はいた」「生きている世界に我々はいた」と確定できます。
では猫ではなく、自分自身の生死を完全ランダムな方法で決定したらどうなるか。
「自分が死んだ世界」は観測できないので、必ず「自分が生き残った世界」を観測するのかもしれない。
もしそうなら、如何なる死の危機に直面しようと、奇跡的な確率で生き残ることになります。
私らは主観的には死ねない。周囲が順当に亡くなっていく中、それぞれの平行世界でそれぞれたった一人になっていく。
●参考:「停止した時の果て」
[3] 時間は流れていないので、同じ人生を永遠に繰り返す(5分前仮説)
物理学でも哲学でも「時間は流れていない」が主流の解釈です。
過去・現在・未来は同時に存在している。
私たちは明らかに時間の流れを認識していますが、これは脳の補完機能のせいと推察されています。
パラパラ漫画を見て、存在しない「動き」を認識してしまうようなものか。
仮に人生がランダムに再生されたり、巻き戻ったり、飛ばされたりしても、私らはそれに気が付けません。
「今」に至るまでの記憶があり、「未来」の記憶がなければ疑う材料がない。
よって、たまたま「今」を「今」だと認識しているだけで、実際には過去や未来も同時に存在しており、たまたま「今」を見ているだけ。
死の瞬間を経験しても、次の瞬間には誕生直後や何やらを認識しているのかもしれない。全く気が付かずに。
●参考:「時間の牢獄」
[4] この世界は不自然。仮想空間である(コペルニクス原理)
コペルニクス原理という考え方があります。
私たちは特別な存在ではなく、ありふれた確率に従ってここにいる。
例えば21世紀の今は、人類史上で人口が最大です。これはラッキーで繁栄期に生きているのではなく、人口が多いんだから確率的にはこの時代に生まれるのが「当たり前」だからです。
80億の人類の一人として生まれる方が、氷河期のたった数人のホモサピエンスとして生まれるより、明らかにありふれています。だから今を生きている。
この考えに基づくなら、これから先、何万年も続く銀河帝国のようなものは出現しません。何百兆もの人類が栄える時代があるのなら、たった80億しかいない黎明期に私達が生まれたのは確率的に不自然だからです。
しかし宇宙誕生から138億年という現在は、トップバッターを走っているぐらいの黎明期に思えます。
太陽が誕生したのが50億年前、寿命も残り50億年。赤色矮星が白色矮星になり始めるのが8000億年後、別の銀河が観測不可能な果てに消えるのが2兆年後。
これだけの時間があって、なぜ今なのか。
仮に今が黎明期だとすれば、仮想空間の遊びとして選んでも不思議はないように思えます。
私らの感覚でいえば、幕末~大正時代にバカンスを楽しみに行く感じ。盛り上がりたいなら戦国時代や恐竜時代かもしれませんが、スリルと休養のバランスをとるなら今でしょう。
よって、死んだ後はゲーム機から目が覚める。
●まとめ
[1][2][4]ならば、あと100年もすれば自分の体験として真相が分かります。[3]だと永久に不明。
最も悲惨なのはおそらくは[2]。死ねないだけのまま主観が残り続けるので生き地獄です。
[1]も場合によっては苦しい。何だかよく分からない状態に意識が接続され続けると、「何もない空間で永劫の時を過ごす」かのような状態になりかねない。
ただ根性を見せて「自分はプリキュア世界に親和性があるんだ」と魂レベルで信じ抜けるのなら、そこに意識が接続される可能性が上がるかもしれない。いつかはきっとプリキュアっぽい世界も出現するはずなので。
もし[1]や[2]が真相で、茫漠の絶望の時を経験する羽目になったなら、上記のからくりを踏まえつつ、これまでの人生やプリキュアさんのこととかを思い出して頑張ろう。
【参考】
●HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察(一覧)
また「タイムトラベル」は、量子力学や宇宙の成り立ちに関わってきます。
そういったわけで、ハグプリ考察をやっている過程で浮かんだ、死後の世界の仮説を再掲します。
(「HUGっと!プリキュア」24話より)
[1] 死んだら無になるので転生する(沼男仮説)
[Wikipediaより引用]
ある男がハイキングに出かける。道中、この男は不運にも沼のそばで、突然雷に打たれて死んでしまう。その時、もうひとつ別の雷が、すぐそばの沼へと落ちた。なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥と化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。
この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。スワンプマンは原子レベルで、死ぬ直前の男と全く同一の構造を呈しており、見かけも全く同一である。もちろん脳の状態(落雷によって死んだ男の生前の脳の状態)も完全なるコピーであることから、記憶も知識も全く同一であるように見える。
[引用終]
この沼男と同等の状況は、現実にも起きえます。
発生確率がゼロと言ってよいほど低いので、まず見かけないだけ。
ですが確率がゼロでない以上はいつかは起きます。何億年の何億倍のそのまた何億倍の時間の果てには、いつかは起きてしまう。
元ネタである「沼男」では同一人物と呼んでよいのかが問題となっていますが、あらゆることが起こりうるのなら、まさしく同一人物のケースも起きるでしょう。
死んだら無になるのであれば、どれだけ長大な時間の断絶があろうと意識できず、一瞬です。
宇宙が終わり、また別の宇宙が始まり、その宇宙も終わり…と繰り返す永劫の時間を越えて、遂には沼男が出現し、そこに意識が接続されるなら、つまりは「転生」です。
実際には完璧なコピーでなくても意識は繋がりそうに思えます。
また、記憶が連続している必要もない。私らは昨日のことを忘れていても、それでも自我の同一性を保てています。
一瞬だけ自我が接続され、またすぐに霧散し…を無限に思える時間と回数で繰り返し(だけど当人はその長大な時間を認識しないまま)、安定したのが今の私達なのかもしれない。
[2] 多世界解釈により死ねない(量子自殺仮説)
「シュレディンガーの猫」という有名な思考実験があります。
猫を箱に閉じ込めて、「毒ガスが出る」「出ない」を完全ランダムな方法で決定する。さて、箱の中の猫はどうなっているのか?
量子力学的には、箱を開けて中を見るまでは「猫が死んだ」「猫は生きている」が確定しません。
世界は二つに分岐する(分岐している)。
中の様子を観測して初めて「猫が死んだ世界に我々はいた」「生きている世界に我々はいた」と確定できます。
では猫ではなく、自分自身の生死を完全ランダムな方法で決定したらどうなるか。
「自分が死んだ世界」は観測できないので、必ず「自分が生き残った世界」を観測するのかもしれない。
もしそうなら、如何なる死の危機に直面しようと、奇跡的な確率で生き残ることになります。
私らは主観的には死ねない。周囲が順当に亡くなっていく中、それぞれの平行世界でそれぞれたった一人になっていく。
●参考:「停止した時の果て」
[3] 時間は流れていないので、同じ人生を永遠に繰り返す(5分前仮説)
物理学でも哲学でも「時間は流れていない」が主流の解釈です。
過去・現在・未来は同時に存在している。
私たちは明らかに時間の流れを認識していますが、これは脳の補完機能のせいと推察されています。
パラパラ漫画を見て、存在しない「動き」を認識してしまうようなものか。
仮に人生がランダムに再生されたり、巻き戻ったり、飛ばされたりしても、私らはそれに気が付けません。
「今」に至るまでの記憶があり、「未来」の記憶がなければ疑う材料がない。
よって、たまたま「今」を「今」だと認識しているだけで、実際には過去や未来も同時に存在しており、たまたま「今」を見ているだけ。
死の瞬間を経験しても、次の瞬間には誕生直後や何やらを認識しているのかもしれない。全く気が付かずに。
●参考:「時間の牢獄」
[4] この世界は不自然。仮想空間である(コペルニクス原理)
コペルニクス原理という考え方があります。
私たちは特別な存在ではなく、ありふれた確率に従ってここにいる。
例えば21世紀の今は、人類史上で人口が最大です。これはラッキーで繁栄期に生きているのではなく、人口が多いんだから確率的にはこの時代に生まれるのが「当たり前」だからです。
80億の人類の一人として生まれる方が、氷河期のたった数人のホモサピエンスとして生まれるより、明らかにありふれています。だから今を生きている。
この考えに基づくなら、これから先、何万年も続く銀河帝国のようなものは出現しません。何百兆もの人類が栄える時代があるのなら、たった80億しかいない黎明期に私達が生まれたのは確率的に不自然だからです。
しかし宇宙誕生から138億年という現在は、トップバッターを走っているぐらいの黎明期に思えます。
太陽が誕生したのが50億年前、寿命も残り50億年。赤色矮星が白色矮星になり始めるのが8000億年後、別の銀河が観測不可能な果てに消えるのが2兆年後。
これだけの時間があって、なぜ今なのか。
仮に今が黎明期だとすれば、仮想空間の遊びとして選んでも不思議はないように思えます。
私らの感覚でいえば、幕末~大正時代にバカンスを楽しみに行く感じ。盛り上がりたいなら戦国時代や恐竜時代かもしれませんが、スリルと休養のバランスをとるなら今でしょう。
よって、死んだ後はゲーム機から目が覚める。
●まとめ
[1][2][4]ならば、あと100年もすれば自分の体験として真相が分かります。[3]だと永久に不明。
最も悲惨なのはおそらくは[2]。死ねないだけのまま主観が残り続けるので生き地獄です。
[1]も場合によっては苦しい。何だかよく分からない状態に意識が接続され続けると、「何もない空間で永劫の時を過ごす」かのような状態になりかねない。
ただ根性を見せて「自分はプリキュア世界に親和性があるんだ」と魂レベルで信じ抜けるのなら、そこに意識が接続される可能性が上がるかもしれない。いつかはきっとプリキュアっぽい世界も出現するはずなので。
もし[1]や[2]が真相で、茫漠の絶望の時を経験する羽目になったなら、上記のからくりを踏まえつつ、これまでの人生やプリキュアさんのこととかを思い出して頑張ろう。
【参考】
●HUGっと!プリキュア 愛崎えみる研究室問題考察(一覧)