8/21(火)
事の発端。
あれは思うに確か、、 夕食の時。
食後食器を冷やしに台所へ運んだあと何気に冷蔵庫を開けたら梨が二切れ小さな皿にあった。
「おっ、 美味しそうだ」 当然パクパクと数口で腹の中へ流し込んだ。
手に取った時に色が黒く変だなー とは思ったが、 まいいやと思い食べてしまった。
(我が家は昔から少々賞味期限切れた食材でもあまり気にせず、それより捨てるのもったいなく
食べている節がある)
8/22(水)
明日から始まる夏休み第二弾の山行に胸が膨らむ。 「天気もいいようだし、 早く行きたいなー」
ちょうどこの時に柏原新道のMさんとのメールのやりとりで、ご子息さんと一緒に富士山に登る事を
知らされ僕も一段と足(手にじゃなく(^^;) に力が入る。 (笑)
会社帰宅後山準備を終える頃より体に不調の兆しが表れ始める。
(だるい、 2階の部屋に上がる足が重い、 冷や汗のようなものが出始める、 他)
8/23(木)
いつもと同じ5時起床。 通勤ルートで何気に聞いているラジオの星座占いに耳をやる。
「おひつじ座のあなた、 無理なことを強行すると先で大失敗!!」 と。。
この時既に僕の体は発熱していて気持ち悪く会社に行くのがいっぱいいっぱいだった。
午前中の会社では寒くて寒くて、、 急激に不調になっていくのが手に取るようにわかった。
(当初の予定どおり午後有給休暇で自宅に帰る時の車内はアクセル踏むのがやっとの状況)
それでも帰宅後夕方出発予定の山準備を始めた。 ← 何やっとんねん!?
「少し休めばよくなるだろう、 明日は稜線にある避難小屋まで行きそこで休もう」 と考えが交錯。
そんな思いは数時間後、 いとも簡単に打ち破られた。 当たり前だのクラッカー

いつの間にか眠り そして目が覚めた18時、 「今週の山行中止」 を決定。
以降地獄が続くことになる。
何も食べず(食べられず)、 腹激痛、 20~30分置きのトイレ(シャーッと水状態)、
トイレから戻り横になったとたんに下腹部に集中する水のゴロゴロ音(ギュルギュルー ゴロゴロ~♪)、
エアコンつけてるのに額に冷や汗、 そのうち頭痛、 息も絶え絶えの浅い呼吸、 またトイレ・・。
トイレは朝まで十数回は行きました。 変な話題でゴメンナサイ。。

脱水症状を懸念し、山で使うべく買ったポカリの粉末をポットに溶かし口に運ぶ。
とたんに胃を通り越し(感覚的に)いきなり腸へ。 即、 ゴロゴロ~ ギュルギュル~ なははー
8/24(金)
朝9時、 やっとの思いで掛りつけの医者へ。 「食中毒でしょう」 と。 とほほ~
栄養不足を補うための にんにく注射 (スポーツ選手がよく打つと聞く) と数種の薬を手に帰宅。
一日中横になり腹に手を当て静かにじっとしていました。
(母親がまだ幼い自分の子供のお腹に手を添えて早く治りますようにと思う気持ちがお手当ての語源)
もうこの時点ではTVを見るのもイヤ、 PCを上げるのも同、 とにかく音や細かい字等全部NGで
とにかくとにかく静かに静かにしていたかった。。
で当然この日もトイレ行脚は欠かせませんでした。

8/25(土)
やっと少々体力回復の兆しが・・。 しかし腹中ゴロギュルは相変わらず。。
体に力が入るようになりトイレの回数も減り、、 なにより水モノを大量に摂取したい感じになってきた。
ちびちびポカリは止め適温のほうじ茶を飲むことにした。 (飲んだあとの即腹中雷は相変わらずだが)
歩きも段々普通になってきた。 TVも見られるようになってきた。 PCもこうやって叩けるし・・
ラジオで聴いた占いは当たったようだ。
もし山行を強行していたら大袈裟かもしれないが今ころ最悪僕はこの世にいなかったかもしれない。
(稜線までの登りで熱中症 → 行動不能、脱水症状 → 体内温度急上昇 → 超危険な状況に・・)
今回は神様がくれた良き休養だと思ってゆっくり自宅に引きこもることにしよう。
ということで今宵は29年ぶり?に日本テレビの24時間TVをじっくり見ようと思う。
(1983年第6回の時に武道館まで行き斉藤慶子さんと欽ちゃんと握手をしました。
その時は高校時代の友人が下高井戸(京王線)に下宿していて部屋のTVを見ていていきなり行った次第。
両名と握手をする寸前まで近くのモニターに映っていたのに僕たちの番になったらCM突入していた。(苦笑)
後日 日本TVから欽ちゃんと斉藤慶子さん両名のサイン入りの色紙が届いた)
この夏は腹中ゲリ (下○) ラ、 腸 (超/チョー) 激雷雨にご注意ご注意。
