中国迷爺爺の日記

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南京の旅(10) 南京で⑥-獅子山閲江楼-

2007-09-21 09:52:43 | 中国のこと
 紫金山天文台に行った翌日、王解寧さんの案内で西北部にある獅子山に行った。やはり敏敏と璐璐が同行した。

 獅子山は海抜78メートル、長江を一望できることから古くから軍事戦略上重視されていた。明の太祖朱元璋が獅子山の戦いで元の40万の大軍を破って1368年に明帝国の建国を実現することができた故地である。

タクシーで南門前に乗りつけ、ここから入場した。


 南門のそばに城壁があり、儀鳳門という門がある。城壁は明代のもので石組みが美しい。



 南門から入ってしばらく行くとエレベーターがあり、これに乗って頂上まで上った。頂上には閲江楼と言う大きな楼閣がある。

閲江楼。7層51メートルの楼閣である。


 朱元璋は建国後、「閲江楼記」という文章を作り、獅子山の頂上に閲江楼という楼閣を建設することを決めた。彼はそこで「碧色の瓦に朱塗りの柱」という楼閣の姿を構想した。しかしその後は民生の安定を優先して基礎工事だけで建造は中止、その後も実現することはなかった。現在の閲江楼は2001年に建造されたものである。長江沿いには古くから有名な3つの楼閣(湖北省武漢の黄鶴楼、湖南省洞庭湖の岳陽楼、江西省南昌の滕王閣)があるが、閲江楼はそれと共に4大楼閣と自称している。

閲江楼の正面の階段。ここから楼閣内に入る。



横から見た閲江楼。朱元璋がイメージしたように、藍色の瓦と朱塗りの柱が美しい。


楼内の各層にはいろいろな展示物がある。

 明朝歴代皇帝画像。一番左が太祖朱元璋。明王朝は第17代崇禎帝が清軍に包囲されて自殺し1644年滅亡した。17人の皇帝像の説明を見ていくと、英明君主もいれば暗愚な皇帝もいたことは他の長期王朝と同じである。


五色土。朱元璋が獅子山の戦いの前に発見したと言う土。彼は祭壇を設けて祭祀を行なったと言われている。


   鄭和遠征図。鄭和は明の永楽帝時代の宦官でイスラム教徒。大艦隊を率いて1405~1433年に前後7回、インド洋や南洋に遠征した。
 

閲江楼から見た城壁。南京の城壁は高さ20m、延長約34kmで世界最長と言う。13の城門がある。


最上階。百獅台という獅子の彫刻がある紅木(マホガニー)製のテーブルと椅子がある。


最上階の天井の黄金の龍のレリーフ。


最上階から見た長江大橋。


  長江大橋は自国技術で建設された中国では最初で最大の大橋。9年の歳月を要して1968年に開通した。自動車、鉄道の両用2階建て。

最上階から見た秦淮河。この河は城内を流れて長江に注ぐ。


南京市街



 最上階から降りる時にはエレベーターを使った。エレベーターはこのような歴史を意識した建築物には似合わず興醒めでもあるが、まあ観光名所として売り出していて、大阪城や名古屋城のようなものと思えばいいのだろう。

 
 帰りは歩くことにした。静かで緑が美しい。璐璐は何度も来たことがあるのか、よく地理を知っていた。

桂花(木犀)の木。今頃は満開になっていて芳香が立ち込めているだろう。


両側にたくさんの桂花の木がある道。


城壁。頑丈で美しい。


城壁の近くに置かれた明代の大砲。


朱元璋像


東門のあるところに下りた。


東門の前の壁。



 この日も楼内も外も階段続きだったので、王解寧さんがずっと介助してくれた。2日間、王さんには本当にお世話になり有難く思った。真心こもる親切が忘れられない。