中国迷爺爺の日記

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南京の旅(11) 南京で⑦-夫子廟-

2007-09-22 08:48:38 | 中国のこと
  閲江楼を見た日の夕刻、敏敏と璐璐と一緒に、市内南部の夫子廟(Huzimiaoフツミャオ)と言う繁華街に出かけた。

「夫子」とは孔子や高名な儒学者を称する言葉で、日本語では「ふうし」と言う。夫子廟は普通には孔子を祭る廟のことを意味している。孔子廟は文廟、聖廟、聖堂(東京の湯島聖堂)などとも呼ばれる。

  敏敏は出かける前に、南京で一番賑やかな所ですと言っていたが、南京では夫子廟のある繁華街とその近くにある昔の科挙の試験場の跡地を含めた一帯を夫子廟と言っているようだ。

 タクシーを降りて夫子廟の区画内に入ると樹木の多い街並みに入る。ここには現代的な店が並んでいる。


夫子廟の門


 主殿である大成殿。修理中であった。南京の夫子廟は古く宋代の1034年に創建されたが、その後幾度も戦火で焼失し、現在のものは清の同治年代に建設された原図を基本にして1986年に再建された、比較的新しいものである。


大成殿の前には中国で最大と言う孔子像がある。


  大成殿の内部正面には、これも中国国内では最大と言う孔子画像がある。高さは6.5メートル、幅は3.5メートルあると言う。周囲の壁には孔子の事跡を描いた絵がある。


大成殿を通り抜けると小さい門がある。「東南第一学」は南京のある地方で最高の学校と言う意味だろう。


  この門の中に入ると左右に学宮と言う昔の学舎がある。宋代には学宮で秀才(各県の官吏登用試験の合格者)が学び、上級の省級の科挙試験の準備をした。 

中庭には、鐘楼と鼓楼がある。





正面の明徳堂。ここで試験の結果が発表されたと言う。


  夫子廟の前は広場になっていて、その前(南側)には南京城内を流れる秦淮(しんわい)河がある。広場の西側は繁華街になっている。

繁華街にはレストランやみやげ物店がたくさんある。




 今読んでいる「中国性愛文化」(劉達臨著、鈴木博訳:青土社)によると、明代の中期以後になると秦淮河の両岸には遊女を置く妓院が建ち並び、全国の妓業の中心地となって、全国に秦淮の名を馳せたとある。
 また清末にはこのあたり一帯は科挙の試験場とともに遊郭も多くある歓楽街だったようだ。当時この河で遊女を伴って舟遊びをする人々は多かったと言う。

秦淮河に舫う遊覧船。