中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

「先生」

2009-06-07 10:34:16 | 身辺雑記
 「先生と呼ばれるほどのバカでなし」。読み人知らずの川柳だそうだ、いつの頃のものかは分からない。どういう意味かと検索してみると、

1.代議士や教師・医者などは、「先生、先生」と呼ばれてよい気になっているが、呼んでいる方は本当に尊敬しているわけではないんだよということ。
2.大人の社会というところは、ちょっとしたことですぐに人を煽てるものだから、乗せられて得意になるものではないということ。 

 元教職にあって「先生」と呼ばれていた者にとっては、いささか面白くない思いもする解説だが、こんな言葉をふと思い出したのはインタネットで、あらまし次のような記事を読んだからだ。

 自民党の「士気の高い霞が関の再構築を実現するための研究会」の衆参議員29人が集結し、政府の公務員制度改革関連法案では不十分だとして、独自の議員立法への賛同を募る決議の署名活動をスタートさせた。「『天下り・渡り全面禁止』に向けた決議案」への賛同を募る署名活動開始のためだった。
 「57人の先生方が呼びかけ人となった。みんなで手分けして、全国会議員に働きかけよう」世話人がこう呼びかけ、議員らは署名用紙入りの茶封筒の束を手に、議員会館へ散っていった。

 国会や県会、市会を問わず議員は互いに「先生」と呼び合う。テレビか何かで初めて耳にした時は、なぜ議員が先生なのかと非常に違和感を覚えたものだ。教育委員会の事務局にいて、市会開催中には市会議員と接する機会が多かった時には、中には極めて品性の低い人物もいて、何が先生だと内心反発したものだが、仕方なく「先生」と呼んでいた。こういう連中に「○○議員(さん)」などと呼ぼうものならどんな反発を買うか分かったものではなかったからだ。まさに「呼んでいる方は本当に尊敬しているわけではないんだよということ」そのものだ。

 議員を「先生」と呼んだり、互いに呼び合ったりすることはいつごろ始まったのだろう。官僚あたりが言い始めたことなのか。「○○議員」と呼んでは呼び捨てのようで失礼ということなのか、それにしてもお互いに「先生」と呼び合うのはどうも気色が悪く、慇懃無礼に聞こえることもある。議員達は年齢を問わず互いに「先生」と呼び合っているのか。委員会などでは議長が発言者を指名する場合には「内閣総理大臣麻生太郎君」などと呼んでいる。あれ以外では「君」とは呼びにくいだろうが、なぜ「さん」ではいけないのだろう。

 小学校や中学校では、教師は互いに「先生」と呼び合い、子どもに対しては自分のことも「先生」と呼ぶのは好きでなかった。そのような教師の職場の習慣に反発のようなものを感じていたのに、いざ高校の教師になった時にはやはり年上の人は「先生」と呼んだ。「○○さん」とは言いにくかった。実際他の高校では、40代の教師が自分より若い教師に「○○さん」と呼ばれて「さんとは何だ」と怒鳴りつけたことがあったと聞いた。40代でこれだから、教師の社会に対して偏見があるはずだと思ったものだ。仲間内では「さん」と呼び合うようにすればいいし、実際そのようにしているところもあると聞いたことがあるが、対人関係に非常に気を遣う日本ではなかなか難しいことなのかも知れない。それに米国などでは教師同士ではファーストネームで呼び合っているし、生徒も先生を「ミスター」とか「ミセス」、「ミス」と呼んでいると言っても、習慣が違うのだから何もその真似をすることもないだろう。

 教職を離れて、と言うことは日常的に「先生」と呼ばれる環境から離れて15年もたっている。さすがに今では卒業生や昔の保護者以外からは「先生」と呼ばれることは極めて少なくなった。退職して間もない頃は「さん」と呼ばれるとひどく新鮮な感じになったものだし、特に若い人からそのように呼ばれると、何か解放感のようなものも味わったものだ。

 中国の友人達も初めのうちは私を「先生」と呼んでいたが、これは中国語の「ミスター」、「さん」に当たる言葉だから仕方がない。それでも親しくなるにつれ、爺爺(イェイェ)、おじいさん、おじいちゃんなどと呼んでくれるようになって親近感が増したように思われる。東京にいる上海人の娘の敏敏などは「爺ちゃん」で、とても気に入っている。