今頃寝る前にベッドで読んでいるのは、『図説 中国 食の文化誌』(王仁湘著 鈴木博訳、原書房)。約420ページのもので、前にも読んだから今回は2度目だが、なかなか面白く、少しずつ読んでいる。この本に「醤―重要な調味料」という小節がある。これによると、
中国古代の殷の時代(紀元前17世紀頃~紀元前1046)の調味料は塩と梅で、鹹(塩辛い)と酸味が中心だった。その後の周代(紀元前1100頃~紀元前256)になると醤(ジャン)が多く使われるようになった。この醤は汁の多い肉醤で醯醢(けいかい)と言い、今の塩辛のように食べられるものだったようだ。漢代(紀元前202~紀元220)になると醤は醯醢のことではなくなり、豆で作る豆醤(トウチャン)や小麦で作る麪醤(ミエンチャン)を意味するようになった。
醤(ひしお)は食品を麹と食塩で発酵させた調味料や食品を言い、原料が肉のものを肉醤、魚のものを魚醤、穀物のものを穀醤と言い、現在の醤油は大豆からつくられる穀醤が発展したものだ。魚醤は醤油の原型のようなもので、ハタハタでつくる秋田のしょっつる(塩汁)、イワシやイカでつくる能登のいしる(魚汁)、香川のいかなご醤油が日本三大魚醤として有名だ。我が家にはいしるがあるが、独特の香りと味があって、鍋物や煮物などに使うと風味がある。
インタネットで見たので醤を注文した。千葉県銚子の製造業者のもので、商品名を「ひ志お」と言い、大豆と大麦からつくられた発酵食品だと言うから穀醤だ。製造元のホームページには「醤酢に蒜搗き合てて鯛願ふ 吾にな見えそ水葱の羹」という万葉集の一首が紹介され「万葉時代のひ志おが使われていた食膳の様子がわかる歌です。今日の鰹のたたきのように、鯛の膾に蒜を和えた時その調味料としてひ志おを使っていました」とある。
丸大豆と大麦から麹をつくり、石をのせ、時間をかけて発酵熟成させたものだそうだ。「固形の醤油の感覚でご自由にご利用ください」とある。軟らかくなった大豆の形が残っていて、少し塩辛いものだがコクのある味で、キュウリや豆腐につけて食べるとなかなかよい。
同じ店で「源醤」というものがあったので、これも注文した。醤を製造するときに染み出る少量の液体で、醤油のルーツと言う。前に書いた湯浅町のたまり醤油の由来と同じで、銚子はやはり古くから醤油醸造地として有名だから、湯浅から製法が伝わったのかも知れない。ひ志おを液体にしたような味で、これも濃厚でコクがあり、刺身にはよく合う。
中国古代の殷の時代(紀元前17世紀頃~紀元前1046)の調味料は塩と梅で、鹹(塩辛い)と酸味が中心だった。その後の周代(紀元前1100頃~紀元前256)になると醤(ジャン)が多く使われるようになった。この醤は汁の多い肉醤で醯醢(けいかい)と言い、今の塩辛のように食べられるものだったようだ。漢代(紀元前202~紀元220)になると醤は醯醢のことではなくなり、豆で作る豆醤(トウチャン)や小麦で作る麪醤(ミエンチャン)を意味するようになった。
醤(ひしお)は食品を麹と食塩で発酵させた調味料や食品を言い、原料が肉のものを肉醤、魚のものを魚醤、穀物のものを穀醤と言い、現在の醤油は大豆からつくられる穀醤が発展したものだ。魚醤は醤油の原型のようなもので、ハタハタでつくる秋田のしょっつる(塩汁)、イワシやイカでつくる能登のいしる(魚汁)、香川のいかなご醤油が日本三大魚醤として有名だ。我が家にはいしるがあるが、独特の香りと味があって、鍋物や煮物などに使うと風味がある。
インタネットで見たので醤を注文した。千葉県銚子の製造業者のもので、商品名を「ひ志お」と言い、大豆と大麦からつくられた発酵食品だと言うから穀醤だ。製造元のホームページには「醤酢に蒜搗き合てて鯛願ふ 吾にな見えそ水葱の羹」という万葉集の一首が紹介され「万葉時代のひ志おが使われていた食膳の様子がわかる歌です。今日の鰹のたたきのように、鯛の膾に蒜を和えた時その調味料としてひ志おを使っていました」とある。
丸大豆と大麦から麹をつくり、石をのせ、時間をかけて発酵熟成させたものだそうだ。「固形の醤油の感覚でご自由にご利用ください」とある。軟らかくなった大豆の形が残っていて、少し塩辛いものだがコクのある味で、キュウリや豆腐につけて食べるとなかなかよい。
同じ店で「源醤」というものがあったので、これも注文した。醤を製造するときに染み出る少量の液体で、醤油のルーツと言う。前に書いた湯浅町のたまり醤油の由来と同じで、銚子はやはり古くから醤油醸造地として有名だから、湯浅から製法が伝わったのかも知れない。ひ志おを液体にしたような味で、これも濃厚でコクがあり、刺身にはよく合う。