私が読んでいる新聞に「記者有論」という、記者や論説委員がコラムを書く欄がある。先日「『愛国の火』は取扱注意」という一文が載っていた。尖閣諸島問題に関連したもので、ちょっと長いので全文の引用は避けて、一部を抜粋してみる。
(前略)政府はともかく中国の一般民衆は事件をどう受け止めたのか。日中交流にかかわる知人の中国人大学生に連絡をとってみた。各地で抗議デモが起き、ネット上に反日の書き込みが急増していることについて、彼は個人の考えだと断った上で、こんな例え話を披露した。
「スパゲティをゆでるのは、結構面倒ですよね。火が小さいとめんが軟らかくならず、大きすぎると噴きこぼれる。今回の件で言えば、火加減を調節しているのが政府とメディア、たきつけられて鍋で踊っているのが国民ではないか、と」
中国ではどんな集団行動でも政府の指示か黙認なしではありえない。つまり反日行動もすべて管理されている、と彼は説く。「デモは国民感情の『ガス抜き』であると同時に政府の対応に世論の支持を与える『演出』でもあるのでは」
一大学生が中国の体制に冷徹な目を持っていることに驚いた。と同時に、もし彼の分析通りに当局が国民感情を「演出」しているつもりだとしたら、その危うさを、強く案じる。(後略)
この中国の学生の意見はなかなか穿ったものだと思う。内部に多くの問題を抱えながら、それに対する大規模なデモが起こったことは聞いたことがないし、起こっても直ちに鎮圧されるだろう。当局に都合の良いデモだけが容認されているのだ。
四川省の成都と陝西省の西安、河南省の鄭州、湖北省の武漢などで、尖閣諸島問題に抗議する大規模な反日デモがあったそうだ。成都では、2000人以上が中心街に集まり、「尖閣諸島を守れ」「日本と戦え」などと叫びながらデモ行進を行ったということで、西安でも学生、数千人がデモ行進を行い、「尖閣諸島は中国の領土だ」と主張するとともに日本製品を購入しないように呼びかけたということだ。またトラックに乗った若者らは「中国にとって最も大事なことは日本を滅ぼすこと」と書いたプラカードを掲げていたそうだ。「日本と戦え」などは軍事大国意識丸出しで、ましてや「日本を滅ぼす」などに至っては、もはや知性も何もなにもないやくざどもで、嫌悪を感じる。「琉球を回収し、沖縄を解放せよ」と書いた横断幕もあったそうだが、その露骨な侵略主義には呆れかえる。「日本製品を購入するな」などはお定まりのスローガンで、参加者自らが今後一切日本製品を買わないことを実行する決意なら分かるが、口先だけのことだろう。案外日本製品を身に着けて叫んでいる者もいたかも知れない。日本車や日系の商店も破壊したそうだが、単なる犯罪者、暴徒でしかない。
デモの参加者の多くは、かつて江沢民が主席だった頃の極端な愛国教育で育った90年代生まれの若者世代らしいが、偏狭な「愛国」は知性を乏しくすることを示している。日本も過去を顧みて、今の中国の状況を他山の石にしなければと思う。このデモは東京で民間団体主催のデモがあり、これに反発したもののようだが、中国指導部は制御できずに苦慮しているとも言われるがどうなのだろうか。この民衆の「エネルギー」が国内のさまざまな問題に向けられたらたいしたものだと思うが、「知らしむべからず」の状態に置かれていて、行動すれば直ちに弾圧されるのでは、そのようなことはありえないだろう。
中国の若者からカリスマ的存在として支持を集め、ブログの閲覧数が4億回を超えるという28歳の若手作家が先月、自身のブログで「内政の問題ではデモのできない民族が、外国に抗議するデモをしても意味はない。単なるマスゲームだ」と切り捨てたという新聞記事を見た。「主張を貫くのは中国国内に多くの矛盾を抱える中、政府が外国と対立するたびに庶民が『愛国』を叫ぶことへの疑問と政治には踊らされないという冷めた視線だ」とこの記事は言っている。この文章はその日のうちに削除されたそうだが、もちろん当局の手によるものだ。
当局の都合の良いように民衆を踊らせ、常に監視の目を光らせて都合の悪いブログなどは強制的に削除し、ノーベル平和賞受賞者の家族までも軟禁状態にする。考えてみると恐ろしいことだと思う。理想郷ユートピアの正反対の社会としての「ディストピア」という社会は、有名なジョージ・オウエルの「1984年」で描かれ、SF小説の題材ともされる極端な管理社会で、基本的な人権を抑圧するという社会として描かれることが多いとされるが、ふと何か今の中国の一面を連想させられる。
日本では言論の自由が保障されてはいるが、しかし、私たち一人ひとりが、物事を正しく判断できる情報は正しく提供されているだろうか。テレビのワイドショウなどで知らず知らずのうちにある方向に誘導されたりしてはいないだろうか。無罪になった厚生省の局長の逮捕の時は、マスコミの報道を通じて検察の言い分通りに予断を持つことはなかっただろうか。この情報過多の時代に、冷静な判断をすることは難しいと思うし、それだけにマスコミは絶えず自戒をこめて報道してほしいと思う。