「彼は切れる男だ」と言えば誉め言葉で、決断が早くて、よくことを処理するということだが、「最近の若者はすぐに切れる」と言うと、これは堪え性がなく、すぐに暴発することだ。「切れる」には「我慢が限界に達し、理性的な対応ができなくなる」の意味(広辞苑)があるが、最近は「我慢が限界に達し」ていなくても暴発してしまうのが多いようだ。怒りの沸点が低いのだ。
少し前のことだが、東京の青梅市で、中学3年生の14歳の男子生徒が、公園の池で遊んでいた小学4年生の男子児童に水しぶきを掛けられたことに腹を立て、児童を背後から押し倒して右手を骨折させ、首をつかんでおよそ30回池の中に顔を沈めたり引き上げたりしたうえ、1分間にわたって首を絞めるなどしたそうだ。傷害罪で逮捕されたこの生徒は「乾きにくい綿のズボンに水を掛けられたため、切れてしまった」と言ったそうだ。14歳でもこんなことをするかと空恐ろしくなる。こういうのが、いわゆる「切れる若者」の予備軍なのだろう。
ネットで「切れる」を検索していたら「ゲームをしながらブチ切れる人達の映像」という、テレビゲームの最中に切れてしまう青少年の動画があった。欧米人の青少年なのだが、そのブチ切れようはすさまじい。何か大声で罵りながらキーボードを操作していると、突然喚きながらディスプレイの画面を殴りつけたりするのはまだいいほうで、まるで気が狂ったようにキーボードを机に叩きつけ、机の上のものを叩き落す。それを何度も繰り返す。凄まじい切れようだ。中にはディスプレイをひっくり返し叩きつける映像もあった。私はやったことがないから解らないが、テレビゲームには、苛立たせ、怒らせ、暴力的にさせるような要素があるのだろうか。
なぜ「切れる」青少年が増えてきたのだろう。実際にはそれほど増えてはいないで、何か突発的に暴力的なことをしでかした本人が「切れた」と表現しているのかも知れない。以前は「カッとして」と表現されたが、今では「切れて」のほうがインパクトがあるのかよく使われる。あるサイトを見ると、切れる若者が多くなったのは、給食などでよく牛乳を飲むようになったからだと「牛乳元凶」説を唱えているが、そうすると日本人以上に牛乳を飲む欧米人は日本以上に切れる人間が多いことになるが、すぐには納得できない。私の長男は幼い頃からよく牛乳を飲み、大学生になってもかなり飲むので、同級生から「赤ちゃん」と言われたりしたそうだが、とくに切れる性格でもない。他にも切れるようになるのは幼時からの食生活が原因だという説もあるそうだが、調査の結果なのか推測なのかは知らない。
増えているかはともかくとして、「若者は切れやすい」というように思われて、街や公共施設などで目に余る若者の傍若無人な行動を見ても、うっかり注意すると切れて何をされるか分からないから、見て見ぬ振りをすることは多くなっていると聞く。そういうことがますます一部の若者をつけ上がらせる悪循環になるのだが、かく言う私もそういう場面に出くわしたら、自分でも情けないが、多分見て見ぬ振りをするだろう。触らぬ神に祟りなしならぬ、触らぬ若者に祟りなしだ。