最後の宮大工と呼ばれ、法隆寺の再建に貢献した故西岡常一(にしおか つねかず)棟梁の唯一の内弟子となり、その後鵤工舎(いかるがこうしゃ)を設立して多くの弟子たちを育てている小川三夫棟梁の話を塩野米松氏が聞き書きした『不揃いの木を組む』(文春文庫)という本があります。宮大工の育成についての数々のことばは、単に宮大工を育てるという以上に人間の教育についても傾聴するべき内容です。
鵤工舎ではほとんどが中学卒の若者が寝食を共にしながら、宮大工として修業しでいます。その職人としての仕事が、どんなものかを示す一節があります。少し長くなりますが引用します。
刃物を研げなくてはならないのは、きれいで正確に仕上げるときに絶対必要だからだ。堂や塔は幾重にも材を積んで積み上げていくから、ほんのわずかな狂いでも積み重ねれば大きな狂いになる。
たとえば、模型をつくる時にでも一寸角をつくるとするだろう。頭で計算するなら、一尺角の十分の一したものが一寸角や。そうやって一寸角をつくっているだけじゃ俺たちの仕事ではだめなんだよ。
つくった一寸角を十個持ってきたら一尺にピタッとならなくてはいけないんだよ。それはすごいことなんだ。だから一寸角がきれいに削れましたといったってそれはそれまでなんだよ。そうじゃないんだ。それを十倍にして一尺にならなくちゃ。そうすると一厘の差がわかってくるし、そこまで精密に考えるようになるんや。
またそういうふうにものを見れば、道具のつくりも刃物研ぎも、いままでのものじゃいかんということがわかってくる。
飛鳥時代の大工は、基本的にそうしたんや。極端にいえば、一本一本はどうでもいいんだよ。いま法隆寺の五重塔や薬師寺の東塔を見たって、それこそ一個一個はみんな不揃いだ。あのころは鋸がないんだし、木の癖に沿って割ってつくったのだから、みんなばらばらだ。その不揃いの木を適材適所に使ってあれだけのものを組み上げているんだもの。それはいまのやり方よりずっと難しいことだ。
いまの建築のように規格化されたものを組み合わせていくなんていうのはひとつもむずかしくないよ。一人の統率者がいれば組み上がっていくんだよ。
この後にも含蓄のあることばが続きますが省略します。ただちょっと付け加えますと、
なんで学校であんな難しい小数点とか分数を教えるんだろうな。そんなの使わなくても昔の大工は実際やってたんだからな。(中略)人のあらを探すのもそうだ。小数点以下であら探しをしているものな。そういう教育をするから、みんな近視眼的な人間ばっかりで、大きくものごとを把握できる人間が育たないのとちがうか。
うちでは刃物を研ぎ澄まして、一点の曇りもないように研げるようになれと言うけど、目指すのは一寸角のものを見る目じゃないんだ。それを十本合わせて一尺になるような正確さ。それを見る目とできる技術や。