中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

田に水が入った

2009-06-13 11:31:38 | 身辺雑記
 昨年より12日、平年より3日遅く、近畿地方は6月9日に梅雨に入った。家のすぐ近くにある田んぼには水が取り入れられた。いよいよ田植えの季節の始まりである。




 田に水が入り陽が落ちると、急に蛙が鳴き始める。クァッ、クァッ、クァと鳴き声が水面に反響して涼しげだ。この蛙は何だろう。30年まえにこのあたりに越してきたときには、ツチガエルやヌマガエルがいた。どちらも褐色の小さい蛙だが、田に水が入るまでは姿は見せないのに、水が入るとどこからともなく現れて大きな声で鳴いた。今はもう姿が見えないから、残っている蛙と言えばアマガエルだろう。これも大きな声で鳴く。かつて新婚時代に住んでいた所には水田がたくさんあり、水が入るとおそらく何千、何万という数だったろう、一晩中蛙の鳴き声が空に響いていて、それを聞くのが好きだった。あの頃の蛙はツチガエルやヌマガエル、アマガエルなどよりはずっと体の大きいトノサマガエルヤダルマガエルで、それだけに声も大きかった。

 身近の蛙の種類も数も減って久しい。トノサマガエルやダルマガエルがまず姿を消していき、水質の悪化に比較的強いツチガエルやヌマガエルが残ったが、それも消えてしまった。蛙がいるということは自然環境、とりわけ水質が良いと言うことだ。開発が進むにつれて蛙たちのすみかはなくなってしまった。蛙大好きの私としては寂しい限りだ。

            
 ツチガエル(インタネットより)




女性専用車

2009-06-12 11:04:46 | 身辺雑記
 新聞で、73歳の女性の投書を読んだ。なぜ女性だけに専用車があるのかと疑問を持っていましたとして、次のように言っている。

 巷の若い女性を見て感じることは、これでもか、これでもかと肌を露出していることです。それにジーンズをはいて自転車に乗っていて、股上が短く上着丈も短いので、お尻の割れ目がもろに見えていることさえあります。これでは、電車内に限らず、世の男性に痴漢してくれと言っているようなものです。

 そして、若い頃満員の映画館では少し高いが「お直り券」なるものを購入すると、2階の特別席でゆっくり見ることができた、どうしても専用車に座りたい女性には「お直り券」を発行してはどうかと提案している。ほほえましい意見だが、実際には実現は無理だろう。

 女性専用車は痴漢から女性を守るために普及してきたものだが、前にも同じテーマで書いたことがある(08.1.31)。そこで「女性達の顰蹙を買いそうだが、私はどうも女性専用車というものに好感が持てない」と書いた。その気持ちは今でも変わらないが、それでも電車内での痴漢被害が多いことが報じられると、やはり必要かとも思ってしまう。痴漢に遭うのは派手な服装の女性とは限らず、高校生でも対象になっているからだ。

 女性専用車に関してはともかく、この投書の主が指摘しているように、最近の若い女性の服装にはいささか目を背けたくなるものがかなりあることは事実だ。上半身は裸同然のものもある。これでは痴漢を誘っているようなものだと思うこともある。今頃はまだそれほどでもないが、暑くなればそれこそ露出過度の姿が横行するのだろう。外見で人を判断してはいけないとはいうが、老人の目には露出過度の服装をしている女性はどうも賢い人間には写らない。上に挙げた投書は次のように結ばれていた。

 本当に賢くて、美しい女性は、肌を露出して痴漢を誘うのではなく、隠れた魅力で世の男性を魅了するものではないでしょうか。

 同感である。



国会議員の給料など(2)

2009-06-11 09:11:30 | 身辺雑記
 給料の他に文書通信交通滞在費というよく分からない名目で、毎月100万円が追加支給されている(同法律の第九条)。 前記の議員が「しかも文書何とか費というのがあるらしく、これが百万円ですよ」言ったのがこれだ。それにしても当選早々にこういうことが言えるのは、当選する前から国会議員の仕事よりも給料によほど魅力を感じていたのだろうと、今更ながら嗤いたくなる。

 他にも議員にはJR各社や航空会社の航空券なども提供されている上に、公務出張の場合は別途実費の交通費等が支給される。それに公務出張の場合は別途実費の交通費等が支給される。また、勤続25年以上の議員にはさらに月額30万円の特別交通費が加算されるようだが、なぜ勤続年数が長い議員にこのようなものが支払われるのかまったく分からない。永年勤続慰労金のつもりなのか。もういちいち挙げるのも煩わしいくらいだが、前記のチルドレン議員は「国会議員はJR乗り放題らしいですよ。しかも全部グリーン車。乗ったことないですよ」と言っていた。また最近では官房副長官が女性との熱海温泉旅行にJR無料パスを使ったということがあり、結局この高官は辞職した。

 議員が所属する政党には1人あたり月65万円の立法調査費なるものが支給される。これは個人のものになるのか、政党のものになるのかは知らないが、ここまでで、国会議員1人に対して税金から支払われる額は、年間4400万円になるようだ。何とも手厚いことではある。

 『国会議員の歳費、旅費及び手当等に関する法律』はたびたび改正されていると言うが、要するにお手盛りである。だから何やかやと理屈をつけて額を上げることは自由だろうが、批判が出ても既得権を守るために金額を下げたり、項目を削ることなどするはずもない。

 年金制度も手厚いもので、月額10万円の納付金(保険料)を10年払えば、月々34万円の年金を一生もらえることになっている。年金は11年目からは1年毎加算され、例えば12年在職で年間 428万円となり、40年近く勤務して退職した私の年金額よりはるかに高い。

 これに加えて、1995年には政党助成制度が創設され、これによって政党交付金が税金から国会議員1人に、平均して約4500万円が支払われる仕組みになっている。完全無所属の議員と、この制度に反対して受け取りを拒否している共産党の分は他の政党で分配している。

 他にも議員宿舎のこともあるが、忌々しくなるのでこのあたりで止めておこう。世襲問題が言われているが、なるほど家業としてはなかなか魅力的なものなのだろう。それでも人間の欲には限りはないもので、ネットのコラムで、あるテレビキャスターは「ローカル番組のゲストに、さるタレント学者出身の国会議員に出演を願った。彼はあろうことか、ブラウン管に向かって『いやあ、国会議員の待遇がこんなに悪いと思わなかった。税金や年金を引かれるとほとんど手元に残らん!』と、のたまった」とあり、「なんだとー、てめえ一体いくら税金もらってるのか分かってるのか!!!」と心の中で罵ったと書いている。

「井戸塀」などと言うのは現代の議員諸公にとっては無縁で、もはや死語になってしまったのだろう。


             





 




 

国会議員の給料など

2009-06-10 08:56:07 | 身辺雑記
 英国の内閣が揺れているようだ。議員の経費乱用問題で閣僚の辞任が相次いでいて、ブラウン首相は苦しい立場に置かれていると言う。

 国民の批判は厳しいようで、批判を受けているのは下院議員の住宅手当の目的外流用だと言う。英国では1911年までは議員は無給だったそうだ。富裕層が私財を費やして取り組む仕事と見られていたからだ。その後給与制が導入されたが、政治家は世論の反発を恐れて昇給を嫌い、不透明な「手当」で埋め合わせてきた経緯があるようだ。その手当てが問題になり、とりわけ批判の的になったのは、議会出席に必要なロンドンでの住宅補助とされている「2軒目の住宅」手当で、年間2万4千ポンド(約360万円)。それが身内の住む家を対象にしたり、投機目的にしたりなど乱用が目に余るということだ。他にも自宅の修理費やテレビ購入費などで高額な請求をしたり、中にはトイレの便座の購入費やペットのえさ代などを請求する例まであって国民の顰蹙を買っているらしい。ところがこのような事例の大半は規則違反ではないため、多くの政治家が不正ではないと言い張り、かえって批判が高まったようだ。

 英国国民の批判は激しく、ある世論調査では48%が「国会議員の半数以上が腐敗している」と答えたそうだ。このような例については詳しいことは分からないから何とも言えないが、国民が政治家の行動には極めて厳しいことは分かる。事は国会議員の手当てに関することだから、わが国ではどうなのかと改めて興味を持ってまとめてみた。

 まず歳費だが、これは「議員は、一般職の国家公務員の最高の給料額より少なくない歳費を受ける」と決められている。つまり、最高裁判事のような特別職の公務員は別にして、最も給料の高い一般公務員と同じか、それ以上の給料ということになり、具体的には、無役の議員で月額130万1000円(『国会議員の歳費、旅費及び手当等に関する法律』第一条  各議院の議長は二百十八万二千円を、副議長は百五十九万三千円を、議員は百三十万千円を、それぞれ歳費月額として受ける)。これにボーナスにあたる期末手当ての718万円を加えると、おおおよそ年収2400万円となる。

 かつて小泉元首相の「郵政選挙」で多数当選したいわゆる「小泉チルドレン」の1人が、当選後のインタビューで「給料はなんと2500万円!」、「料亭に行きたい」、「これで念願のBMWが買える・・・」などと発言し、その能天気ぶりが批判と嘲笑の的になり、それ以来ネット上などではオバカ議員と揶揄されるようになったが、アルバイトやフリーター、派遣社員として働いていた平凡な若者が突然国会議員になって舞い上がるくらいの、一般のサラリーマンには想像できない額なのだ。それにしても国家公務員の中にもこのくらいの給料をもらっている者もいるわけで、高級官僚なのだろうが、同じ公務員でもひどく差があると思う。

           



醤油の起源(2)

2009-06-09 09:01:38 | 身辺雑記
 今頃寝る前にベッドで読んでいるのは、『図説 中国 食の文化誌』(王仁湘著 鈴木博訳、原書房)。約420ページのもので、前にも読んだから今回は2度目だが、なかなか面白く、少しずつ読んでいる。この本に「醤―重要な調味料」という小節がある。これによると、

 中国古代の殷の時代(紀元前17世紀頃~紀元前1046)の調味料は塩と梅で、鹹(塩辛い)と酸味が中心だった。その後の周代(紀元前1100頃~紀元前256)になると醤(ジャン)が多く使われるようになった。この醤は汁の多い肉醤で醯醢(けいかい)と言い、今の塩辛のように食べられるものだったようだ。漢代(紀元前202~紀元220)になると醤は醯醢のことではなくなり、豆で作る豆醤(トウチャン)や小麦で作る麪醤(ミエンチャン)を意味するようになった。

 醤(ひしお)は食品を麹と食塩で発酵させた調味料や食品を言い、原料が肉のものを肉醤、魚のものを魚醤、穀物のものを穀醤と言い、現在の醤油は大豆からつくられる穀醤が発展したものだ。魚醤は醤油の原型のようなもので、ハタハタでつくる秋田のしょっつる(塩汁)、イワシやイカでつくる能登のいしる(魚汁)、香川のいかなご醤油が日本三大魚醤として有名だ。我が家にはいしるがあるが、独特の香りと味があって、鍋物や煮物などに使うと風味がある。
 

 インタネットで見たので醤を注文した。千葉県銚子の製造業者のもので、商品名を「ひ志お」と言い、大豆と大麦からつくられた発酵食品だと言うから穀醤だ。製造元のホームページには「醤酢に蒜搗き合てて鯛願ふ 吾にな見えそ水葱の羹」という万葉集の一首が紹介され「万葉時代のひ志おが使われていた食膳の様子がわかる歌です。今日の鰹のたたきのように、鯛の膾に蒜を和えた時その調味料としてひ志おを使っていました」とある。                   

 丸大豆と大麦から麹をつくり、石をのせ、時間をかけて発酵熟成させたものだそうだ。「固形の醤油の感覚でご自由にご利用ください」とある。軟らかくなった大豆の形が残っていて、少し塩辛いものだがコクのある味で、キュウリや豆腐につけて食べるとなかなかよい。


 同じ店で「源醤」というものがあったので、これも注文した。醤を製造するときに染み出る少量の液体で、醤油のルーツと言う。前に書いた湯浅町のたまり醤油の由来と同じで、銚子はやはり古くから醤油醸造地として有名だから、湯浅から製法が伝わったのかも知れない。ひ志おを液体にしたような味で、これも濃厚でコクがあり、刺身にはよく合う。



醤油の起源

2009-06-08 09:19:01 | 身辺雑記
 醤油は日本の料理や食卓にはなくてはならないものだし、米国などでも好まれて使われているようだが、その起源についてはあまり知らなかった。

 前にHg君夫妻やHr君と南部の梅林に行った帰りに、同じ和歌山県の湯浅町に立ち寄った。この町は日本の醤油造りの発祥の地と言われていて、今も江戸時代創業の醤油造りの老舗がある古い街並みが保存されている趣のある町だ。




 天宝12年(1841)創業の醤油醸造業者、角長(かどちょう)。




 古い醸造器具が保存されている職人蔵。慶応時代の仕込み蔵。




 醤油は13世紀の中ごろの鎌倉時代に、湯浅町に隣接する由良の禅寺興国寺の開祖であった法燈円明国師により、南宋から伝えられた金山寺味噌が起源だと伝承されている。刻んだ野菜を味噌につけ込むこの金山時味噌造りが湯浅周辺で広まり、この味噌から浸み出す汁が調味料とされ、これが現代の溜り醤油につながっているとされる。

 湯浅にある金山寺味噌造りの老舗と金山寺味噌。




 角長で造られている濁り醤(ひしお)。鎌倉・室町時代のたまりを再現したもの。当時は自家用のもので商品として流通したものではなかったようだ。今も醸造過程で火入れをしないので、冷蔵庫保管するようにとある。味は濃く塩分が強い。味噌の香りがする。
 



「先生」

2009-06-07 10:34:16 | 身辺雑記
 「先生と呼ばれるほどのバカでなし」。読み人知らずの川柳だそうだ、いつの頃のものかは分からない。どういう意味かと検索してみると、

1.代議士や教師・医者などは、「先生、先生」と呼ばれてよい気になっているが、呼んでいる方は本当に尊敬しているわけではないんだよということ。
2.大人の社会というところは、ちょっとしたことですぐに人を煽てるものだから、乗せられて得意になるものではないということ。 

 元教職にあって「先生」と呼ばれていた者にとっては、いささか面白くない思いもする解説だが、こんな言葉をふと思い出したのはインタネットで、あらまし次のような記事を読んだからだ。

 自民党の「士気の高い霞が関の再構築を実現するための研究会」の衆参議員29人が集結し、政府の公務員制度改革関連法案では不十分だとして、独自の議員立法への賛同を募る決議の署名活動をスタートさせた。「『天下り・渡り全面禁止』に向けた決議案」への賛同を募る署名活動開始のためだった。
 「57人の先生方が呼びかけ人となった。みんなで手分けして、全国会議員に働きかけよう」世話人がこう呼びかけ、議員らは署名用紙入りの茶封筒の束を手に、議員会館へ散っていった。

 国会や県会、市会を問わず議員は互いに「先生」と呼び合う。テレビか何かで初めて耳にした時は、なぜ議員が先生なのかと非常に違和感を覚えたものだ。教育委員会の事務局にいて、市会開催中には市会議員と接する機会が多かった時には、中には極めて品性の低い人物もいて、何が先生だと内心反発したものだが、仕方なく「先生」と呼んでいた。こういう連中に「○○議員(さん)」などと呼ぼうものならどんな反発を買うか分かったものではなかったからだ。まさに「呼んでいる方は本当に尊敬しているわけではないんだよということ」そのものだ。

 議員を「先生」と呼んだり、互いに呼び合ったりすることはいつごろ始まったのだろう。官僚あたりが言い始めたことなのか。「○○議員」と呼んでは呼び捨てのようで失礼ということなのか、それにしてもお互いに「先生」と呼び合うのはどうも気色が悪く、慇懃無礼に聞こえることもある。議員達は年齢を問わず互いに「先生」と呼び合っているのか。委員会などでは議長が発言者を指名する場合には「内閣総理大臣麻生太郎君」などと呼んでいる。あれ以外では「君」とは呼びにくいだろうが、なぜ「さん」ではいけないのだろう。

 小学校や中学校では、教師は互いに「先生」と呼び合い、子どもに対しては自分のことも「先生」と呼ぶのは好きでなかった。そのような教師の職場の習慣に反発のようなものを感じていたのに、いざ高校の教師になった時にはやはり年上の人は「先生」と呼んだ。「○○さん」とは言いにくかった。実際他の高校では、40代の教師が自分より若い教師に「○○さん」と呼ばれて「さんとは何だ」と怒鳴りつけたことがあったと聞いた。40代でこれだから、教師の社会に対して偏見があるはずだと思ったものだ。仲間内では「さん」と呼び合うようにすればいいし、実際そのようにしているところもあると聞いたことがあるが、対人関係に非常に気を遣う日本ではなかなか難しいことなのかも知れない。それに米国などでは教師同士ではファーストネームで呼び合っているし、生徒も先生を「ミスター」とか「ミセス」、「ミス」と呼んでいると言っても、習慣が違うのだから何もその真似をすることもないだろう。

 教職を離れて、と言うことは日常的に「先生」と呼ばれる環境から離れて15年もたっている。さすがに今では卒業生や昔の保護者以外からは「先生」と呼ばれることは極めて少なくなった。退職して間もない頃は「さん」と呼ばれるとひどく新鮮な感じになったものだし、特に若い人からそのように呼ばれると、何か解放感のようなものも味わったものだ。

 中国の友人達も初めのうちは私を「先生」と呼んでいたが、これは中国語の「ミスター」、「さん」に当たる言葉だから仕方がない。それでも親しくなるにつれ、爺爺(イェイェ)、おじいさん、おじいちゃんなどと呼んでくれるようになって親近感が増したように思われる。東京にいる上海人の娘の敏敏などは「爺ちゃん」で、とても気に入っている。



親バカ

2009-06-06 10:12:51 | 身辺雑記
 集団準強姦容疑で逮捕された京都教育大学の学生の1人が、大阪府茨木市で学童保育の指導員に採用されていた。

 茨木市教委では学童保育の指導員の欠員が出たが、一般公募しても応募者がなかったので、採用の権限がある青少年課長が、無期停学処分になっていることを知りながら息子に応募を勧めた。選考は書類審査と面接で、いずれも父親の課長が担当していた。息子は5月1日から5か月の契約で、市の臨時職員として採用され、市内の小学校で学童保育の指導員として働いていたが、同月末に「別にやりたいことがある」として退職したという。

 選考に当たって課長は息子の停学の事実は市教委に伏せていたようだ。市の規定では、臨時職員は大学在学中でも採用でき、停学中などの場合は理由を確認して判断するという。課長は息子の停学の理由を大学から知らされていなかったと言っているようだ。

 親バカと言うか、この課長の行為は公私混同した愚かな行為だ。停学の理由を知らされていなかったと言うが、大学は理由も言わずに停学の事実だけ親に伝えるものなのか。それとも未成年者ではないから、特に親には通知しないのか。あるいは大学が謝罪会見のときに強調していた「教育的配慮」と言うものか。しかし、父親は少なくとも停学ということは知っていたようで、それなら親として理由を大学に問い合わすべきだろう。そのあたり何かはっきりしない。

 この課長はおそらくは教員経験者だろうが、無期停学処分を受けている息子を、子どもの世話をする指導員にさせることにためらいはなかったのだろうか。息子も息子で、自分が何をして停学処分を受けたかは知っているのだから、親が勧めても応募するべきではないだろう。どうも親も子も箍が緩んでいる。

 それにしても、自分の権限の範疇にある選考に息子を応募させること自体が、たとえ停学という事実がなくても、私には理解できない。私もかつてある市の教育委員会の事務局にいたことがあるが、このような場合たとえ複数の応募者があっても、選考の場に立ち会うことなどは遠慮しただろう。それが公の職にある者のけじめ、わきまえというものではないかと思う。

 

世襲

2009-06-05 09:33:24 | 身辺雑記
 北朝鮮の金正日総書記は後継者として三男を指名したようだ。初代の金日成総書記以来3代続く世襲となる。社会主義国家を標榜する国の最高指導者の地位が世襲とはどうにも理解しがたいことだが、この国にとっては不思議なことではなく、当然のことなのかも知れない。権力者は国家よりも身内の方に力点を置くのだろうか。王国などの支配者は世襲が当たり前だが、それ以外の体制の国では考えられないから、金王朝などと言われる。

 後継者とされる三男は、今年25歳になり、総書記の側近のようにしているらしいが、写真に撮られたことはなく、テレビや新聞に出た写真は少年時代のものらしいから、国民ににとってもまったく未知の存在ではないか。それでもやがては最高指導者として祖父や父のように神格化され、「国民の敬慕を一身に集める」ということになるのかも知れない。既に「讃える歌」が歌われているということも聞いた。つくづく理解の枠を超えた不思議な国だと思う。

 この常識が通らない国の指導者の世襲についてはとやかく言っても仕方がないから、これからの成り行きを見ていくことにして、翻ってわが国を見ると、最近国会議員の世襲問題についての議論がかまびすしくなっている。よく知られているように、自民党の国会議員の中の世襲議員の比率は40%で、現内閣の閣僚17人中11人が世襲議員である。これは米国や英国に比べると格段に高い数字だそうだ。

 最近『世襲議員のからくり』(上杉隆 文芸新書)という本を読んだ。日本の、特に保守系の議員では世襲がなぜ多いのかを分析したものだが、読みやすく面白かった。次の衆議院選挙に向けて野党の民主党が世襲制限を打ち出し、これに対してこれまで消極的だった自民党も次期衆院選からの世襲制限導入を言い出したが、「混乱を招く」との理由で、次々回からに先送りされるという腰砕けになった。この党にとっては世襲制限などは「百年河清を俟つ」に等しいことのように思う。それほど世襲を支えているいわゆる3バン、すなわちカバン(政治資金)、地盤(後援会組織)、看板(親の名前)は強力なもので、とりわけ後援会組織などはちょっと手がつけられない大きな力を持っているものらしい。また政治資金も潤沢で、それを親から受け継いだ場合には非課税だということには驚かされる。

 自民党の世襲議員の中には、「世襲制限は立候補の自由、政治活動に対する侵害であり・・・、立候補の自由は民主主義の根幹であり、万人に相等しく保障されるべきである」という意見もあるようで、何かもっともにも聞こえるが、世襲議員のほとんどが享受している3バンを持たない者が、小選挙区で太刀打ちできることは難しく、立候補の自由が万人に相等しく保障されているとは言えないだろう。

 この本では世襲議員の多くの、「銀の匙を銜えて生れた」者のひ弱さと、現実の世情に対する疎さが取り上げられている。そのような性情がどのようにして出来上がったのかを、典型的な例とも言える最近の3代の首相を取り上げて分析しているが、なるほどその氏と言い育ちと言い、我々庶民とはおよそ隔絶した存在だ。現首相がはじめて出た選挙の演説で「下々の皆さん」と呼びかけたことはよく知られている。ほとんどバカ殿と言っていい。

 首相やその経験者だけでなく、他の世襲議員にも「世の中のことが分かっちゃいない」のが少なくないようで、次のようなエピソードが紹介されている。

 社民党党首の福島みずほは、世襲議員は人々が何で苦労しているのかまったく分かっていないと憤る。初めて格差是正のことを国会で質問し、非正規雇用のことを質問していた時のことだ。「がんばって働いてマンションくらい買え」「がんばって正社員になれ」と二世議員から野次が飛んだという。

 まったくもって何をか言わんやである。このような連中に国民は税金から高額の議員報酬や特権的な諸手当、それに政党助成金を支払っているのだ。天を仰ぎたくもなるではないか。

 これからも世襲問題は議論されるだろうが、議員の世襲は今では自民党の体質の一部になっているようにも思う。「自民党をぶっ壊す」などと大見得を切った元首相が引退を表明したのはいいが、恥らうこともなく息子を後継者に指名したのはその良い見本だ。このような例を見せられては、この問題が本当に皆が納得するような形で収まるにはまだまだ道は遠いように思う。

 


もったいない

2009-06-04 08:39:12 | 身辺雑記
 公正取引委員会は最大手の外資系コンビニエンスストアに独禁法違反(優越的地位の乱用)で近く排除措置命令を出す方針という。自社のフランチャイズ(FC)の加盟店が消費期限の迫った弁当やおにぎり、サンドイッチなどを値引きして売る「見切り販売」を制限したというのが理由とされている。

 このコンビニとFC加盟店との契約では、弁当やおにぎりは消費期限の2時間前に店頭から撤去し廃棄するとしている。加盟店は廃棄分の原価を負担し、廃棄商品が増えるほど負担が重くなるとの指摘が出ていたようだ。加盟店の中にはその負担を軽減することために見切り販売を希望して本部は認めなかったことが今年2月に発覚した。売れ残り食品の値引き販売を制限する不公正な取引をしたとの疑いという。こうした行為は業界内で半ば慣行化し、食品ロスの温床になっていると指摘されてきたようだ。

 関東地方のある加盟店の店主は昨年秋ごろから本部に「値引き販売」を相談してきたが、止められたという。それが公取委の調査が明らかになってからは、本部は「オーナーの判断で」と対応を変えた。そこで3月から消費期限の2~4時間前の弁当などをすべて定価の半額にして販売し、その結果、原価ベースで月50万円ほど生じていた廃棄食品が半分にまで減ったので、「食べ物を捨てて損をするぐらいなら、売り切ったほうがいい」と話しているようだ。どれほどの規模の店かは分からないが、月50万、年間600万は馬鹿にならない数字だろう。

 閉店時間があるスーパーでは、店じまいの前に売れ残り商品を値下げし、できる限り売り切るようにすることが当たり前だが、24時間営業のコンビニは売り切れなくても、常にあらゆる商品が揃っていることがビジネスモデルとされているとのことだ。ある大手コンビニの幹部によると、加盟店主が本部に相談しても、本部は同じ商品に異なる値段がついているのはなじまず、ブランドイメージが悪くなると難色を示すのが普通だそうだ。弁当やおにぎり、サンドイッチなどは消費期限が短く、売れ残れば廃棄し新しい商品を補充する。業界では店頭に品物がないことを「機会ロス(販売のチャンスを失う)」といって嫌い、食品の廃棄を「必要悪」とみなしてきたという。また見切り販売をすると新鮮な商品を提供するというイメージが崩れ、スーパーと競合するという懸念もあるらしい。

 まあ、コンビニとしてはそれなりのポリシーがあることは分かるが、私のような戦中戦後の食糧難の時代を過ごしたものにとっては、やはりまだ食べられるものを捨ててしまうのはもったいないことと思う。ある店では自治体の回収業者の車に産業廃棄物として渡す量は1日に20~25キロという。店主は「こんなことを続けていたら、罰が当たる」と思ったそうだが、その気持ちはよく分かる。現場にいる者の至極真っ当な気持ちだろう。それに比べると本部の人間は食品を単なるモノとしか見ていないように思う。

 世界には飢餓のために悲惨な状況に置かれている人たちは多い。日本は食糧の自給率は低く、大量の輸入食料に頼っているのに飽食状態にある。昔は食べ物を捨てるどころか、少し残しても子どもは親に叱られたものだ。それに比べると今の子ども達は好き嫌いも個性だなどと言う大人もあって、嫌いなものは食べず、好きなものでも飽きれば残す。昔ならそれこそ「罰が当たる」と言われるところだ。食育ということがしきりに言われるが、その第一は残さずに食べるということを教えることではないだろうか。