中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

クラス同窓会

2011-04-12 08:24:02 | 身辺雑記

 私が高校に勤めて5年目に入学してきた学年の、1年5組というクラスの同窓会があった。1962(昭和37)年に入学したから、今から49年前のことになる。3年生のときのクラス会をするのはよくあり、それが普通だが、1年生の時のクラスが集まるというのは珍しい。よほど良い思い出があるのだろう。

 

 クラス担任は化学担当のO先生で、私はこのクラスは教えなかった。クラス会をすると聞き、O先生も出席されるということなので、O先生に会いたいと言ったことが伝わって、私も招いてくれた。ついでに範囲を広げようということになったようで、会場に行ってみると、3年生の時に担任していたクラスの生徒や、久しぶりに会った顔もあって嬉しかった。

 

 卒業してから学年会やクラス会を開くには、よほど熱心な幹事役がいないとできない。このクラス会は副委員長をしていたOさんという女性が中心になり、それにK君、Ouさんの2人が加わり、念入りな準備と会の進行をしてくれた。とりわけOさんのきめ細かい、それでいて控えめな幹事ぶりは快かった。

 

 この学年の生徒は私より13歳下だから645 歳になる。それぞれ年相応の風貌、容姿になっていたが、幹事のOさんなどは高校生時代の面影そのままだったし、どう見ても60半ばとは思えない若々しい女性もいた。それでも50年近い歳月にはそれぞれいろいろなことがあったようで、女性の中には夫君を亡くしたのも2人いたし、男性の多くはもう引退生活を送っているが、中にはまだ元気に働いている現役もいた。

 

 同窓会というものは、顔を合わせたとたんに、途中の何十年かの歳月は飛んでしまって、昔にかえってしまうのが面白い。それだけに高校時代というものは懐かしいものなのだろう。皆、楽しそうにその頃のクラスのことやクラブ活動のことを話し、私もその中に入っていると、すっかりその当時の気持ちになってしまい、実に楽しかった。いろいろあの頃のことを思い返すと、いつも言っていることだが、あの時代に、あの学校で教師になったことは本当に良かったと改めて思った。

 

 クラス担任だったO先生は、今年82歳になられるとか、数年前に夫人を亡くされ、今は私と同じ独居生活、と言っても現役時代からの趣味であるサボテン栽培と囲碁を楽しみ、阪神タイガースを応援する、まさに悠々自適の生活で、とくに趣味もなくのんべんだらりと日を送っている私は恥ずかしい思いをした。穏やかな性格で、今も当時の1年5組の生徒達が訪れるようで、温和な人柄が慕われるのだろう。

 

 校歌を皆で歌い、写真を撮ってお開きとなり、その後は会場近くで同じ学年の女性が経営している喫茶店での二次会となった。これにも出席者全員が参加し、お茶とケーキの会は大いに盛り上がり非常に楽しく、近頃少し体調がよくないことなど霧散した。

 

 よく本を読みに行く、近くのJR駅の構内のエキナカマーケットにある喫茶室で、近くの高校の4人の女生徒を見た。テーブルにノートを広げてレポートか何かを書いているようで、時々手を休めて楽しそうに話をしている。2年生ぐらいだったが、いかにも年頃の娘らしい明るく可愛い様子だった。何となく微笑ましい感じで目を遣っていたが、クラス同窓会で会った彼、彼女達もこのような生徒達だったのだろう、この子達も40年、50年たった時に同窓会をするのかも知れない、その時にはどんな思い出話をするのだろうかと考えた。

 

 

 

 

 

 

 


風評被害

2011-04-10 10:45:38 | 身辺雑記

 今回の大地震津波の被害に対しては国の内外から支援活動が行われているが、福島原発の損壊による被害に関連しては、国際的にさまざまなネガティーブな反応があるようだ。ロシア政府は日本に寄港する航空機が飲料水や食料を積み込むことを禁止したり、京都の茶所の宇治の茶がアメリカや中国などから輸入拒否されたり、シンガポールでは愛媛や兵庫を含めて11都府県の野菜に国際基準を上回る放射性物質があったとして輸入禁止になった。中国では上海などの沿岸部で、塩が大量に買い漁られたと言う。塩は放射性物質に「効く」という根拠のない噂に踊らされたらしい。沿岸部からはるか離れた内陸部の西安でも塩の買い漁りがあったと李真から聞いた。韓国では全土に雨が降った日には、首都圏の幼稚園や学校の100校以上が休校になった。目に見えない放射能というものは、限りない恐怖と疑心を生むものだ。

 

 福島から離れている京都の茶がどうして放射線に汚染されているとされたのが分からないが、中国やアメリカなどの国土の大きな国から見れば、福島と京都などはほんのすぐそばにあるように思われるのかも知れないし、どこの国でも日本の地理のことなどよく知ってはいないだろうから、今回の原発事故で日本中が放射能に汚染されているとも思うのだろう。外国が過敏な反応をするのは仕方がないと思いもする。日本でもあの中国産毒餃子事件の後に中国産の食品に対する拒否反応が広まって、今でも中国産は絶対に買わないという人はいる。外食すれば多くの食材には中国産のものが使われているらしいのにとおかしく思うこともあるが、それが普通の反応なのかも知れない。しかし、国内での被災地、とくに福島に対する風評被害ではどうにかならないものかと思う。福島に限らず周辺の府県産の野菜や海産物を忌避しているのにも行き過ぎを感じることもあるが、福島産の工業製品までが不安の対象になっているというニュースを見ていささか驚いた。

 

 福島県が県内企業からの強い要望を受けて県が独自に実施を決めためた工業製品の放射性物質汚染を調べるスクリーニング検査には、県内の業者から予約が殺到したと言う。検査に持ち込まれるのは注射器などの医療機器、自動車のメーターやエンジン部品、掃除機や着物などさまざまだそうだ。取引先から「安全証明書がなければ契約を打ち切る」と通告された業者もあり、家内工業で手作り製品を出荷してきた、あるかばん製造業者も大手百貨店から「今後は安全が確認できなければ購入しない」と通告されたという。愚かしいとも横暴とも思う。よほど頭の悪い社員が納入業者を見下したように対応しているのではないか。郡山市の梱包材メーカーは、震災前に出荷した商品ですら、返品されてしまう状況だそうで、まったく無茶としか言いようがない。

 

 放射性物質を吸収する可能性のある野菜や魚介類を敬遠するのはまだ分かる。しかし工業製品をなぜ恐れるのかまったく理解ができない。県の検査責任者の主任専門研究員は「製品に放射性物質がしみ込むことはなく、人体に影響があるとは考えられない。屋内で作った製品まで検査する必要があるのか」と疑問を投げかけているという。県によると、県内には約9000の製造業者があり、出荷額は年間約5兆円で東北地方最大だそうで、風評被害が続けば損害額は計り知れないようだ。

 

 被災地に対してさまざまな形で支援していくことは当然のことだが、風評に乗った行き過ぎた行為はそれと矛盾しないか。前記の大手百貨店にしても表向きは支援キャンペーンや募金活動などをしているだろうにと思うが、支援と商売とは違うということか。一般の市民にしても、被災地には同情してカンパなどをするのに、一方では風評に惑わされて福島やその近くの県の産物を忌避するのは矛盾してはいないか。そのことによって農家の人たちが苦しむということには考えが及ばないのだろうか。

 

 どうにも首をかしげる思いをしたのは、この福島県の工業製品に対する反応について、あるサイトの書き込みには、当然だとする声がほとんどだということだ。風評被害ではない、実害だと言い切っているのもあった。実際に福島の工業製品で害を被ったとでも言うのだろうか。書き込みの文体から見て、多くは若い人たちのようだが、このような冷然とした傍観者的態度は、風評被害に泣く中小業者に、怒りを通り越した思いをさせるものではないか。

 


夕月

2011-04-09 11:46:03 | 身辺雑記

子どもの頃に歌っていて、今でも歌詞を覚えている歌に、文部省小学唱歌の『朧月夜』がある。6学年用で、私が生まれた昭和8年(1933)につくられた。

 

http://www.youtube.com/watch?v=LiDgphPtjb4&feature=related

 

一、菜の花畠に、入日(いりひ)(うす)れ、
  見わたす山の()、霞(かすみ)ふかし。
  春風(はるかぜ)そよふく、空を見れば、
  夕月(ゆうづき)かかりて、にほひ淡し。


二、里わ火影(ほかげ)も、森の色も、
  田中の小路(こみち)をたどる人も、
  (かわず)のなくねも、かねの音も、
  さながら(かす)める朧月夜(おぼろづきよ)

 

 

 小学生用の唱歌と言っても、文語調でいかにも時代がかっているが、私も小学生の時に習い、とくに理解が困難なこともなかった。当時は小学生でも易しい文語調の文章なら理解できた。この歌は当時でもそうだったが、今も私は大好きで、とくに夕暮れ時の農村の情景を歌っている2番が好きだ。

 

 夕月は旧暦4~6日の月で細い鎌のようだが、とくに前日(3日)の三日月を指すこともあるようだ。4月6日の月は夕月だったが、季節的にはこの歌の「菜の花」や、「蛙のなくね」、「春風そよ吹く」には少し早い。次の夕月の日は5月6~8日(旧暦4月4~6日)で、5月6日の東京での日の入りは18時32分、月の入りは21時23分(インタネット『こよみのページ』)だから、この歌の情景は自然の姿をよく写していることになる。

 

 

     三日月:Wikipediaより

               

 

 

 

 

 


自粛

2011-04-07 09:38:48 | 身辺雑記

  私が住む町の自治会では、毎年校区の小学校で花見会を開いている。参加したことはないが、もちろん小学校でするものだから花見酒などが出て騒ぐものではない。その花見会が東北大震災のため、今年は自粛ということで中止になった。市内には小浜宿(こはましゅく)と言う古い宿場町の街並みが保存されていて、毎年春に宿場祭が開かれるが、これも自粛、中止となった。大震災の被災者をおもんばかるのは当然のことだが、このあたりでそこまですることがあるのかと、いささか疑問に思う。

 

 東京でも江戸時代から続く由緒ある神田祭は、5月の中頃に行われるのに早くも中止が決定された。上野公園などの桜の名所は今年は閑散としているらしい。祭で賑やかに神輿を練り回したり、年に一度の花見を楽しむことが、被災地の苦しみを踏みにじることになるのだろうか。ある新聞の夕刊の小さい寸言欄に、「西日本まで花見を自粛して何になる。東でも被災地地産を持ち寄って盛大にやろう。そこで義援金を集めてもよい」とあった。戦後最大の地震、津波の被害はあまりにも大きく、日本全体が打ちひしがれた。そういう時に苦しみを分かち合うという心情は日本人の美徳の一つだと言われるが、それも過度になると好ましいとは言えないのではないか。

 

 大阪道頓堀にある名物の菓子メーカーのネオン看板が震災直後から消灯されていたが、このほど再点灯された。大阪や神戸、京都などでは元気を出して被災地を応援しようという、自粛ムードを改める動きが出てきているそうだ。東京などの大都市での自粛ムードは経済の停滞を招くということは、既に外紙が指摘していた。日本でもそれを心配する声もあったのだろうが、それを言うと不謹慎とそしられることを懼れたのか、何か萎縮したムードがあったが、ここに来てやっと、元気を出そうという気運がでてきたのは良いことだと思う。被災地や被災者を励まそう、応援しようということは、義援金の募集に応ずるなど、普通の生活の中でささやかでも一人ひとりができることから実行すればいい。

 

 自粛も真に自発的なものであるというのならまだいいが、そうしないと非難されるという、あたりを窺って萎縮した気持ちでするのは無意味なことだ。実際、東京のネオン街は震災後火が消えたようになったらしいが、ある経営者によると、店を開くと、このような時に何だという非難の電話がかかってきたそうだ。こういう行き過ぎた自警団的な行為はよくあることで、我こそは正義の具現者という鼻持ちならない思い上がりの者がいる。今では季節型インフルエンザの扱いになったが、一昨年の「新型インフルエンザ」騒ぎの時のいわれのない誹謗中傷、恫喝が横行したことを思い出す。こういうことは戦時中の「非国民」という、よく言われた面罵と同じことだ。そんなことを被災者の人達が望んでいるとは思われない。

 

あるジャーナリストは「『人がつながって一致団結すること』ということと、『圧力をかける空気をつくりだす』という行為は表裏一体で、容易にダークサイドに転ぶ』と言っているようだし、あるフランス現代思想の研究者も「『この非常時にそんなふるまいが許されるのか』という恫喝から『非国民』という名指しまでは僅かの距離しかない」と言ったとのことだ。オカミから何かを言われる前にと自粛するというのは情けないことだが、多数をたのんで異とみなす者に圧力を加えるのは実に不愉快なことだ。

 

 

 


震災の中で

2011-04-05 09:29:54 | 身辺雑記

西安の李真の外国語大学日本語科の学友の曹渓は日本の男性と結婚して神奈川県に住んでいる。美人で日本語も料理もうまいし、家庭菜園も手がけたりするなかなか良い奥さんだ。 

 

 彼女の夫君の父親のK氏は、ある食品メーカーを定年退職となったが引き止められて引き続き、立ち上げからずっと責任者として勤めてきたトマト菜園の経営に携わってきたが、福島県のいわき市にあるそのトマト菜園が、今回の震災で大きな被害を受けた。大変な立場になっているのに違いないと曹渓は言った。会社には中国から22名の研修生を預かっていたが、地震の後K氏は奔走して、16名を帰国させ、6名を千葉に転職先を見つけてやった。地震の後で断水になると22人の研修生のために8時間並んで水を取りに行ったり、深夜まで研修生と一緒に中国領事館からの迎えの車を待ったそうだ。先週の土、日にK氏夫妻は神奈川の曹渓の家を訪れたが、そのときに彼女に翻訳してもらうために、帰国した研修生からの手紙を携えてきた。それを読んで彼女は涙が止まらなかったと言い、義父は本当に立派な社長だと思ったようだ。

  

 義母も夫の立場をよく理解して、ずっと一緒にいた。曹渓はせめて義母だけでも先に神奈川に来るように勧めたが、おとうさんと一緒にいると聞かなかったそうだ。地震の直後には、彼女はなぜ両親が避難して来ないのかと理解できず、夫君に散々文句を言ったが、夫君は涙を流しながら、親父のことはよく分かっている、社員達を置いて来られるような人間ではないから自分からは何も言えない、心配だが親父を信じるしかないと言ったそうだ。

 

 このようなことを見て曹渓は、自分も主人を置いて一人で中国に帰ることはできないと言う。西安にいる彼女の両親もよく理解して、一言も帰ってほしいとは言わなかった。中国では今回の地震のニュースは大々的に、やや過大にも報じられていたようだから、おそらく両親は一人娘のことが心配で堪らなかったはずだ。これまた立派な両親だと思う。

 

 彼女が日本人と結婚したことをなかなか理解してくれない友人も少なからずいたそうだ。しかし彼女は、義父母も夫君も自分を誇りに思ってくれているし、西安の両親を尊敬してくれている、それで満足していると言った。

  

曹渓は、このような話を日本人が嫌いな中国人全員に聞かせてほしいと言ったので、私も中国が嫌いな日本人に聞かせてやりたいと言った。K氏の中国人研修生に対する誠実で献身的な対応は、日本人として誇りに思う。真に日中友好の精神を具現している人だ。

 

義父母が訪れる前日に、曹渓は妊娠していることが分かった。これまでずっと願い続けていたことが叶えられて、夜もワクワクして眠れないほど嬉しいようだ。もちろん義父母も西安の大喜びしたようだ。

 

曹渓は「何か今回の大惨事で、私も少しだけ成長した気がします。人生の中で初めて死がこんなに身近にあるものだと気づきました」と言い、

 

「不安の中、来てくれた子は本当に神様がくれたご褒美かなと思っています。新しい命がまた生まれる。自然の力は本当に大きいですね。大事に大事に育てていきます」

 

と言っている。曹渓とその家族の幸せを心から祈る。

   

 

   

    

 

 


虐待死

2011-04-04 11:20:01 | 身辺雑記

またしても、またしても!だ。大阪で3歳の男の子が26歳の母親と、同居の20歳の男にポリ袋に入れられて死亡した。母親と男の言い分は「しつけのためにやった。殺すつもりはなかった」という、これまた同じような犯罪の場合にぬけぬけと口にされる言い分だ。

 

 この2人は、自宅で女の長男のSちゃんの両手首と両足首を粘着テープで縛ってポリ袋に閉じ込めて放置して窒息死させた。母親の言い分は、ゲーム機などの大事なものをSちゃんがゴミ箱に捨てるので、「この子自身を捨てるという意味のしつけだった」とか、「ゴミの気持ちを分からせるために袋に入れた」という、どうにも短絡的で支離滅裂なものだ。しつけの意味も何も分かっていない、かなり程度の低い女という気もする。

 

 Sちゃんは最初に母親に袋に入れられたが、すぐに自力で出てきたために、男が「今度はおれがやる」と言って、粘着テープで手足を縛りポリ袋に入れて袋の口を縛ったということだ。母親にしても男にしても、「殺すつもりはなかった」と殺意を否認しているようだが、ポリ袋に入れて密閉したらどうなるかも分からないのか。本当に愚劣な連中だ。

 

 この2人は昨年末に出会い系サイトで知り合い、今年2月頃から同居を始めたらしい。新聞記事には、男を内縁の夫としているが、こういう関係でも、同居しているだけで夫婦と言えるのだろうか。何やら男女間の欲望だけの薄汚い関係に思えてならない。これまでに起こった同様な犯罪は、単身の母親が同居している男と一緒にやった例が多いようで、この事例でもそうだ。男はまだ成年になったばかりの年齢で、私の大学生の孫娘よりも年下だ。まだまだ社会人として成熟していない年齢だ。もっともこの年齢でもまじめに堅実に生きている若い人たちは多いが、この男は無職で、その点でも女性に寄生しているような存在ではなかったか。自分自身が育った家庭でまともなしつけを受けてきたとは思われない。

 

 3歳と言うと、自我も出来てきているし、まだまだ聞き分けのない年齢でもある。いたずらもするだろう。その時の気分で大事なものを捨てるくらいのことはするだろう。それなのに「しつけ」と称して理不尽な方法で掛け替えのない命を、実の母親と得体の知れない若者の手で奪われたSちゃんが哀れでならない。

 

 あるネット掲示板に「こういう虐待系の罪人は、殺した方法と同じ方法の死刑でいいよ。ゴミ袋の中で己の罪を知れ」という書き込みがあった。いささか乱暴な意見だが、心情としては理解できるところもあると思った。

 

 

 


国家主席が使うレストラン

2011-04-01 11:06:17 | 中国のこと

 西安の旅行社で日本の観光客のツアー経費の見積もりやホテルなどの手配をしている李真が先日、急な見積もり請求が日本からあって残業した。

 

 その請求の中に、「毛澤東とか胡錦濤などの中国の主席が使うレストランで食事したい」という客の希望があったそうだ。それで1卓8,800元のメニューを紹介したら、高いと言われて、再度4,500元のメニューを出したようだ。それで納得したのかどうかは聞いていない。

 

 いったいどういうつもりで「国家主席が使うレストラン」などと要求したのか分からない。どんな連中だということは李真の職務上のことだから聞くことはしなかったが、理解できない希望だと思った。西安にはこれまで何回も行ったが、初めての頃の団体ツアーに参加した時にはそれなりのレストランに案内された。しかしその後はそれほど高級なレストランを利用したことはない。私はむしろごくありふれた店の方が好きだ。だから、国家の要人が利用するレストランがどこなのかもまったく知らないし、関心もないが、そういう店の料理は多分高いだろうとは想像できる。

 

 しかし8,800元というと、この4月1日のレートで1元は12.677円だから、112千円くらいだ。これが一人当たりの料金だとすると高いが、1卓の料金で希望してきたのは10人くらいの人数らしいから、一人当たりにすれば1万2千円ほど。これくらいのメニューならば日本でもあるし、もっと高いのもある。何か中国は物価が安いという先入観があってひどく高いと思ったのではないか。

 

 李真は「わざわざ主席とか有名人が利用する店を要求するのが気持ち的に嫌。高いと言われたらもっと嫌」と言ったが、その気持ちはよく分かる。おそらく李真は内心では軽蔑感をもったのではないだろうか。日本人として何か気恥ずかしい感じがした。そんな連中はきっと食事を済ませた後で、大したことはなかったとでも言うかもしれないなと言うと、私もそう思うと李真は言った。

 

 それにしても、わざわざ国家主席クラスが使う店などと指定したのはどういうことだったのだろう。帰国してから、そういう店で食事したと自慢したいのか、その後であまり大したことはなかったとでも付け加えて自尊心をちょっぴり満足させるのか、いずれにしてもつまらないことだと思った。

 

 これまでにも李真達から、日本の旅行社の嵩にかかったような要求や、観光客や添乗員の無礼な振る舞いをたびたび聞いていたが、なかなか気疲れのする仕事だと思う。