ライトフロウズ ノウト:Lightflowz-Note

音の和 彩の波 響き合う
五感豊かなひとときを♪ 

3度目の生駒の春のよもやま話♪

2023-05-13 | よもやまblog

ライトフロウズノウト今日の1ページにようこそ♪

 

そろそろblogももう少し早く書けてきそうな気がしていたので

そのように前のページで書いたのに、却って間が空いて

もはや忘れたころの更新…それでも

ご訪問くださった方々にページ”お留守”のお詫びと

お読みくださる皆様に心からお礼申し上げます。

 

今年のゴールデンウィークは、あいだの平日にお休み取れたなら

本当に大型連休になるカレンダーでした。

5月らしい爽やかな日も何日かあり、花と緑も春~初夏の彩り豊かな時季で

リフレッシュの良い時間を過ごされた方も多かったことでしょう。 

 

私はといえばちょっと前instagramとFBに書いたのですが、

今年のGW~次の週も見事に飛び石で仕事&休みの繰り返しとなり

「連休」はありませんでした。けどそれなりに楽しく過ごしておりました。

 

連休中に大きな地震が複数でありました。

被災地の皆様方のご安心と安全、より早い復旧を

願わずにはいられません。

 

私の方は、改めて書くにはしょうもない理由で

家の用事や宿題が捗らなかった、などのことがあったけれど

5月の気候を楽しみつつ毎日過ごせたのは幸せなことと思います。

 

そんな中で”四方山話” 頭の中では書き始めてたのですが

やはり文章化しないとですね。

このぺージは日常のできごとばかりですが

もしよければお付き合いください

注☆3番目に蜘蛛のお話を書いています。苦手なかたは読み飛ばして

くださいね。

 

 

1)おかえり鴬

昨春もその前も春先から初夏にかけて

鴬の佳い声が一日中聴こえていました。そして

今年の5月も毎日聞こえてきます。夜明けとともに鳴き始めるので

目覚まし鴬となっております…朝5:00過ぎスタートなので

少々早いですが。

 

でも今年は、鳴き始めが例年3月末~4月初め(と記憶する)ところ

今年は遅くて、初鳴きを聞こえたのは4月最後の週でした。

ですので少し心配しておりました。というのは、

昨年まで鴬がずっといて、囀りが聞こえていた小山の端のところで

昨夏倒木があり、電線を切って数時間の停電を引き起こしたため

かなりの木が切られてしまったのでした。もう見るからに木はまばらで

地面もかなり露出しています。持ち主が分かっているらしいですが

荒っぽい処置のままになっています。

 

この工事の時に、鴬さん引っ越ししまったかな?と少し

心配していました。

 

鴬にしたら、巣を作っていた場所が急に壊され、

家を追われたようなもので、他所へ行ってしまったなら

悲しいことで、人間の勝手でかわいそうなことになった

と思っていたのでした。

その小山の木を切る作業の数日はバリバリ恐ろしい音がしていたので

少なくともその間はどこかに逃げてたはずです。どこでどうして

いたのか…わからないのですが

今は毎日、多分元の場所かその近くで囀りを聞かせてくれています。

 

その鴬さんは帰ってきてくれてよかったのですが、

うちの近所には声色の違う鴬ももう1・2羽いたはず・・だけど

まだ1羽のようで…刈られたほぼ”はげ山”以外にも近くに

雑木林・竹林など点在するのですが、鴬同士で「この辺りはあぶないよ」

とテレパシーで伝え合っててこの界隈寄ってこない、

てことがないといいなあと思います。けれども

これも私(ひと)の勝手な想像、自然の厳しい環境で生きる

生き物は安心して暮らせる場所があればそれがいちばん、

移動した先で巣作りの良い場所を見つけたなら、それがよいのです。

しかし他の色々な場所&もっと大きな規模で人が生き物の住処を奪って

いることもほんとうに数多くある、と思い至りました。

 

ともあれ、今年もまた夏ごろまで鴬の綺麗な声を聴くことができるのは

嬉しいこと、他の鳥たちの色々良い歌声と節回しのも数種類あって

 

昨日のような五月の明るい午後には

さえずりの声たちが響く時と、それが途切れる合間の音のない時の

静かなコントラストが不思議に懐かしく感じられることがあります。

なぜ”懐かしい”と感じるのかは自分でもよくわかりません。

 

 

2)おかえりヤモリ&ハローちびさん

3年前越してきてすぐに見つけた小さなヤモリがいました。

よく窓の外に貼りついていて、ごくまれに家の中にも

いたらしいですが家人がそっと外に出しておりました。

最初は本当に小さくて、しっぽを入れても2㎝ぐらい、

少しずつ大きくなってきて昨秋ごろで10cmぐらい。

で冬ごもりしていたのか寒い間は見かけなかったのですが

先日またいつもの場所にいた、と思ったら結構大きく

なってました。15㎝ほど…白っぽい子で、私は爬虫類少々苦手ですが

ヤモリは家を守るとのこと、小さい時から見ていると親しみも

感じます。先日新たに2㎝ほどのを見つけて子ども?と一瞬

思いましたけど色がもう少し濃い茶系でした。

 

それにしても、前に門の上で見た小さいのは何だったのか、

一回ブログでも書きましたけど全体で1㎝の丸〇に収まる

ウーパールーパーそっくりの顔の。すぐにいなくなったのですが

どこかの家から逃げたのか、自然のだったのか。これは

その後は見かけてません。

 

 

3)こちらは帰ってこないでお願い、大きな蜘蛛

今の住まい生駒のあたりは山沿いのせいか

虫たちがやや大きめだなと普段から感じます。

例えば普通の蝶々でも北摂にいたのよりはやや大きく

見えます。元気でよいのですが、

 

しかし蜘蛛の大きいのは@@;

前から庭に直径1mもの見事なレースのような模様の

巣を作るのは時々いて、庭に水まきをする時いど

ごめんねと思いながらしてましたが、

この冬は特大を2回見つけました。

一回目はテレビの裏、電話線の改良工事で

業者さんに来てもらっていた時、テレビを少し動かしたら

なにやらフワフワ動くので

綿埃かと思ったら蜘蛛でした。足の細くて長いやつで全長20㎝ほど‥

業者さんに棒の先で外に出してもらいました。

もう一回はお手洗いに入り込んだ別の種類の。一回目のよりは

やや小さめ、ですが何となくいかつくて、やっぱり怖かったです・・・

窓の外からどうにかお帰りいただきました。

家の中が暖かいので入ってきたかもですが

こちらもゴメンね、でした。

 

この2つの大蜘蛛は、どうやら毒あるとか特別な悪さはしない種類だったようで

(グーグルレンズ便利)ほとんど動かないのに

見てるだけで何でこんなに怖いかなと。

ハリーポッターの物語のハリーの親友ロン・ウィーズリーという子が

とにかく無条件に怖いという蜘蛛恐怖症で、映画ということもあって

出てくる蜘蛛はありえない超特大でロン君出るたび泣きそうになるのですが

その気持ちがわかるような気がしました。

先方(クモさん)は只いるだけ、ですが、そして

それはそれで1つの生きている命なのですが、うーん…仕方ないです。

 

 

4)哲学的(?)な百均BGM

アゼリアカルチャーに行く途中の石橋商店街の中に

ダイソーがあり、英語クラス前にコピーするのに都合よい位置なので

よく利用します。コピーしているときに聞こえて来るダイソーのオリジナルBGM,

スーパーなどでもよくかかるタイプの、シンプルなフレーズとメロディーの

繰り返しがエンドレスに続くタイプので

可愛い女子の声の歌でかかっています。

 

その歌詞が

♪ハッピー プライス パラダイス♪ 3回繰り返し

(ミッドー ミレドド ファミレミレ2回&ミッドー ミレドド ソファミレド1回)

最初はずっと ↑この繰り返しと思ってたのですが

 

♪ハッピー プライム パラダイス♪ 3回

? 微妙に違う? よく聞いてみると、これ↑ と これ↓

 

♪ハッピー プライム パラダイム ♪ 3回

同じメロディーで続く…

 

先日やや長めの時間コピーをとっていて気づいたのが

ハッピーのところがハイパーとなっていて3x3回繰り返し、

もあるということ、

 

結局このBGMは

*ハッピー:幸せ *プライス:価格 *パラダイス:楽園

*プライム:最も重要な・最も上等な・最上部

*パラダイム:ある時代や分野において支配的規範となるものの見方・捉え方

*ハイパー:超越した・上の(スーパーより強意)

の6つの言葉の組み合わせで できていた

ことがわかったのでした。

普通に買い物していたら最初のフレーズだけと

思っていたかもなのですが、コピーでちょっとの間移動せずに

BGMを聞いていたので

歌詞のバリエーションに気づいたと思います。

百均のお店=ハッピー プライス パラダイス は

そうね、と何となく思ってましたが

プライム パラダイム ハイパーと入れ替えして

展開されると?幸せってなんだっけ?現代の基準?

いちばん は何が優先? と妙に考えてしまうのでした。

 

キャッチーなお店のBGMでありつつ販売の法人の信条も

表しているのか、そこまでの意図はなく作られたのか、

ある時ふと思ってしまったらその後、このお店でこのBGM聞くたび

つい気になってしまうのでした。

 

この頃はどこでもBGMがごく当たり前にかかり、

それが1種類ならまだいいのですが

以前、とある歯科医院でTVとBGM二種類とで3種類の音楽と音声が同時に、

つい先日も、あるお好み焼き屋でお店が細長かったからか

2種類の歌が同時にかかっていたことがありました。

それぞれお願いして音楽減らしてもらいましたが…

 

今は”人工の音のない空間”は、街中では贅沢な場所

なのかもしれない、と思ったりもします。

 

生駒の住まいのあたり、朝夕ひとの出入りが一段落したあとの時間帯は

とても静かで、自然の音の他は少し離れた道を通る車の音ぐらいです。

夜はもっと静か、外の音は本当に少ないです。

 

夜中・・・今ちょうど貨物便の飛行機が上空を

飛ぶ音がかすかに聞こえます。

これが、こどもの頃、そして豊中でも聞こえてたのと同じで

懐かしく、また何となく夜に飛ぶ飛行機の姿のイメージが

湧いて、どこに行くのかなあと

とりとめもなく思ったりもします。

 

昼の音で日中ずっとあるのは小鳥の声、

お天気によっては風の音や雨の音、

小鳥たちの声は不思議と いつの時でも幾つあっても

うるさいと感じることはないです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


二年目の夏 よもやまblog…「停電びっくり☆」「鴬と蜩と」「夜景の思い出」

2022-07-19 | よもやまblog

ライトフロウズノウトの新しい1ページにようこそ♪

 

7月も下旬、生駒での2度目の夏を迎えて

暮らしそのものは慣れてきたですが

あまり落ち着いている感じがしないのは

 

世界でも国内でも社会に激震が走るような大きなニュースや

コロナの不穏なデータ・気候変動のニュースなども続いており、

直接に関わらないことでも心が揺さぶられ、また世の中の速い流れを

肌で感じる部分があるからかと思います。

 

…生駒の住まい近辺 土地そのものは通常は

落ち着いて静かです。日中にあるのは小学校の放送や

やや山沿いの住宅地の自然と生活の音、ですが

この穏やかな空気も天候・健康~

普段の暮らしが平和の中にあってこそ…

 

とここまで先週末に書いて、下書きを見直し用に置いといたら

数日前にこのことを実感する出来事があったので

まずはそのことから書いてみます。

 

生駒の夏のよもやま話

1)停電びっくり☆充電はお早めに

今週の水曜、家にいた日のことなのですが、

ふとみると冷房が止まっている…

はじめはリモコンの電池切れかと本体でスイッチを

入れてみたのですが入らない。この暑い時期にエアコン故障か?

とややショックで、仕事中だけど緊急でごめんねと夫に電話しつつ、

家のあちこちを調べて回ると、どこも電気がきてなくて

!!停電!!!

とわかったのでした。

ご近所は?…と見るとなんだかざわざわしている…

外に出てみるとご近所さんがたも様子見にでておられました。

現場はどこで何があったか一目瞭然、

すぐ近くの林(藪というには大きい)の大きな木の幹が折れて

電線を切って町内一帯停電。私が現場を見たときには

もう警察と市役所が到着で交通整理、関西電力にも連絡済み

工事~復旧待ち、ということが周囲のお話でわかりました。

停電発生の時刻は幸い15時過ぎ、しのげるほどの暑さだったので

家で静かにしていると、

ご近所さんの予想と関電の車スピーカー連絡の予定通り

17時過ぎには復旧、家の電化製品も問題なく立ち上がり

夕飯支度にも間に合って一安心となりました。

 

しかし停電が起きた‥というか倒木があったのは

晴れの日でたいして風も無いときでした。

ちょうどその時の音を聞いたかたにいよると、

結構な音がして家も揺れた、とのことで、私も

それらしい音も聞いたのですが

他での工事の音がここ数日あったこともあり、

まさかそんなことになってるとは‘@@!

夢にも思いませんでした。

 

折れた木は梅雨~台風前後など何度もあった暴風雨の

間にダメージがあって耐えていたのが

とうとう停電を起こしたその時間に耐え切れなくなって折れた、

という状況だったと思います。

 

これでちょっと思い出すのが北大阪地震の時のこと、

豊中の家で震度5強で色々家のダメージや食器、本など

落下物あったのですが、地震当日から一週間あと、

それらの整理も落ち着いて生活がほぼ普通になった頃

エアコンが壁から剥がれてパイプで何とか

落ちずに済んでぶら下がったのでした。

修理の電気屋さんが来てくださるまでに

箪笥を下に持ってきて、座布団を挟んで支えてました。

このことはblogで少し書いたと記憶します。

 

今回比較的天気の穏やかな午後で、停電になりそうな要素が全く見えない

普通の午後の日、それが急転してびっくりxびっくり。

家電が全部使えない&携帯のバッテリーが20%切っていたので一時的に

結構あせりました。家族にメールはできたものの…

今はガス器具も電気がないと動かず、

”これでは何もできない”というのが一番初めに来た実感でした。

 

大きな災害などで大停電を経験された方たちが

どれほど大変だったかが思いやられました。

 

携帯は、スーパー節電モードにしてみたら、

今のはよくできていて、”まだあと24h大丈夫”な状態でした。

それでも、携帯と、あと、この時は必要にはならなかったけれど

電動自転車の充電も、今度からなるべく早めにしようと思いました。

どちらも、まだいけるかな?そろそろ充電しようかな?と

先延ばしにしていたようなタイミングでの停電でした。

エネルギーの大事さとありがたさをひしひしと

感じた約三時間でした。

 

 

2)鴬と蜩と。

鴬の声、今年はいつもより聞こえ始めが

少し遅かった気がしますが、それでも

5月中頃からは毎日のように朝から夕方までずっと囀っていて

心地よい暮らしのBGMになっています。

少ーし困るのは、夜明けとともに鳴き始めるので

夏至の前後などには朝五時には元気な声が聞こえて、毎日

かなり早朝に起こされるのです。そして夜は早く眠くなる…

宿題増える~私。

鴬さんは律儀に、よほどの荒天以外は毎日

谷鳴きも交えて佳い声でさえずっています。

囀り(ホーホケキョ)はパートナーを呼ぶため、

谷鳴き(ピピピピ‥‥)はテリトリー警戒のための

声とのこと、本当に毎日一生懸命がんばっているのがわかります。

それは繁殖期が終わる八月頃まで、とWikipediaに載っていましたけど、

確かに昨夏も真夏までは声が聞こえてました。

最近は真夏の暑さになることもあってか、日中一休み

している日も出てきました。

 

そして7月中ごろに今年の初ヒグラシが聞こえました。

こちらも明け方から聞こえます。

眠りの中で聞こえてきて、鴬‥鴬じゃない…ああ、ヒグラシだ

と身が覚めるにつれて、音の元の具体名が出てきます。

 

ヒグラシもほぼ毎日聞こえます。

大阪の平地に住んでいた年月が長い私にとっては、

ヒグラシの声は旅行で山の方に行ったときに聞こえるものでした。

豊中でも時おり、緑地から聞こえるときがあり

聞こえたらラッキー、と得したような気がしてたのですが

 

ここ生駒では夏中 毎日、これは午前と夕方に快く聴こえます。

他の蝉より早く鳴き声が聞こえて、ヒグラシが一番蝉?…と

ちょっと不思議でしたが、

実際はほかの蝉に先駆けて鳴き始める蝉だそうです。

秋の季語になっていることもあり、早めに鳴くイメージが

一般的には少ない、ともどこかのサイトに書いてました。

その他気温があまり高いと苦手なので朝夕に鳴くそうです。

今週に入って、他の蝉たちもたくさん登場で

いかにも夏らしい蝉しぐれが

お日様ピカピカの昼には聞こえてます。

 

今まだ家近くの鴬はがんばっているので

朝夕には鴬のさえずりと蝉の声と両方が聞こえて

季節の変わり目らしい感じがして

両方好きな私には、緑地の時の小鳥のように毎日の暮らしの

エールのようと思っています。今回蝉と鴬のお話で

書いたのですが、鳥さんも色々綺麗な声を

生き生きと聞かせてくれます。緑地と同じのと、

生駒で初めて聞く声とあり。

鴬の囀りと谷渡りの声

蜩の声

 

 

3)夜景の思い出

大阪方面に行くときに乗る近鉄奈良線は

奈良と難波を東西につないでおり、

生駒駅を出てすぐ大阪府と奈良県の県境に

南北に横たわる生駒山地の生駒トンネルを通ります。

この近鉄奈良線は生駒山の次の駅(大阪側)石切駅から普通電車の

二駅分ほどの間、電車の走っている土地が高く

大阪平野が遠くまで見渡せます。

お昼でも梅北エリアの高層ビルからその向こうまで見えて

見晴らしいいのですが

夜帰宅にの頃にはそのあたりが綺麗な夜景になります。

仕事の帰りにはちょっとした癒しになる、好きな時間帯です。

 

昼間はややくすんだ大気の中で灰色がかって見える大阪の街の色が

夜の黒の中に沈んで、その中に色数は多くなくて

ひとつ一つは金色そんなに派手やかな輝きではないのですが

さざめくような小さな明かり遠くまで無数に広がっています。

明かりのついてる現地は、もしかすると忙しいのかも

知れないですね…けれど遠目で全体を見渡すと美しい景色です。

生駒山にはもっと高い夜景スポットもあるらしいのですが

まだ行ったことがないです。

もっとささやかで、でも好きな日常見る夜景は

夜の帰り道、坂を上がっていく途中一時的に

見える生駒山の山麓の灯り、聖天さんに上がっていく

生駒ケーブル(ミケ号がにゃーんと挨拶する車両)の線路と

その周辺のです。山を背景にして灯りが清らかにチカチカ

見えます。道を通る人や車の邪魔にならないように気を付けて、

いつもちょっと振り返ってみてます。

 

夜景を最初に見て感動したのは

高校のテーブルマナー講座で見たロイヤルホテルの高層階からの

夜景です。今はされているかどうかわからないのですが、

当時毎年、確か高二あたりで家庭科の実習か学校行事で

学年全体で伺っていたと思います。公立高校で普段は

そんなにお行儀に厳しい学校ではなかったですが。

かなりな大人数だったはずなのに

支配人やホテルスタッフの皆様が皆暖かく親切で

テーブルマナーというよりお食事体験のような雰囲気を

作ってくださり、高校生たちは緊張もせず

友達同士のテーブルで楽しく美味しく

お食事いただいたのでした。

 

覚えているのは、お食事前の説明で

「残すとシェフが悲しそうな顔になるので

残さないでくださいね^^」と言われたけれど

たくさん出してくださり

生徒側みな”ちょっと頑張らないと”な量になっていたこと、

あと、付け合わせの野菜が何度も転がってうまく収まらず

サーブする女性が困っていたこと‥(構わないのに)と

思ったけれど、一生懸命されていたので言わずに見ていたこと、

何となく、ああ、この方も”練習中”かな?と思ったこと、

最後デザートが富士山の形のアイスクリームで、各テーブルの前で

切り分けられたのですが、最後の子の分がちょっと可笑しな形で

みんなで笑っていたこと(箸が転げても笑う年頃)

など他愛のないことばかりでした。

 

そして食事後に案内してくださったのが

当時の、今のリーガロイヤルの前の建物でしたが

高い方の階のフロアのどこか、

大阪の街の夜景がよく見える場所にご案内くださったのでした。

横長の大きな窓いっぱいに広がる輝く夜景、

大阪の街はこんなに綺麗なのかと驚き、今でも

映像が目に浮かびます。

ただ、世間知らずの高校生の時の記憶、思い出補正している

可能性もありですが、時間と光が変わると姿が大きく変わることを

視覚で学んだという部分も

心に残った理由のひとつであると思います。

 

この他、まだ三大夜景の函館、長崎は見ていないけれど

神戸の夜景や先日梅田から北に向いてみた夜景、

街の夜景と少し違いますが清水寺紅葉シーズン初めの

夜間参拝ライトアップなど印象的な夜景が幾つか

あるのですが長くなるので、このページはこのへんで。

 

夜景を回想するときにはその時の心模様も

一緒に思い出すことが多い気がしますが

総じて良かったと言えるのは幸せなことかと思います。

 

石切駅近くの夜景(フリーのサイトより)

 

生駒山 夜景(フリーのサイトより)

 

大阪 中之島寄りの夜景(フリーのサイトより)

 

梅田北側の夜景 2022年5月

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ピアノと私のよもやま話♬

2022-03-14 | よもやまblog

ライトフロウズノウト 今日の1ページにようこそ♪

随分春らしくなりました

 

毎日のニュースで気にかかることも多いのですが

このページでは書きかけていた

ピアノの私のよもやま話を載せようと思います。

一回書いてみたいと思っていたのですが…

もしよければお付き合いくださると嬉しいです

 

写真はフリーのサイトからお借りした憧れの

ピアノサロンの画像たちです♪♬

名称は見つかりませんでした。

 

 

 

いちばん好きな楽器はと聞かれれば

迷わず「ピアノ」と答えます。

ピアノを習っていたのは幼稚園から高二頃まで、

音大受験をするかどうかの分岐点のようなタイミングで

そのとき通っていたピアノ塾はやめてしまいました。

素敵な先生とレッスンで、受験しなくても続けてはと

勧めてくださったのですが 当時音大反対の親と問答するうちに

ピアノを弾く気持ちが息切れしてしまったのでした。

それでレッスンに通うのは中断したのですが

 

ピアノ塾をやめるまでは日々のお稽古は土日も休まず

一週間七日、時間は幼稚園の時から少しずつ増えて

高校の時には一日約2時間、発表会前は3時間ほどは

練習で弾いておりました。今から思うと結構長い時間

弾いていたと思うのですが、小さな時から自然についた習慣で、

一日の練習時間も少しずつ必要に応じて増えたので

気が付いたらそのぐらいの時間弾いていた、という感じで

よほどの体調不良か旅行で数日家にいない日以外は

毎日弾いていたと思います。

 

もちろん、ピアニストをめざすかたやピアノの先生、あるいは

音楽の専門分野を目指すかたはきっと子供のころから

高いレベルの音楽教育を受けられる中で、

またプロの演奏家であれば、上に書いた私の練習時間などとは

比べ物にならないほど多くの時間とエネルギーでもって

楽譜に向かいピアノを弾いておられて私の例とは全くの別次元の

ことでありましょう。

 

私のは趣味の範囲のお話なのですが、

嗜みや楽しみで習う場合はもっと少ない練習時間・日数でも通える

お教室もあるようです。実際大学の時の友人で

「明日先生のところにいくから今日は弾かなくちゃ」

=他の日はあんまり弾いてない…という子もいて、

ピアノ教室も色々なんだなと思ったことを覚えています。

 

私の場合はたまたま、最初に習った近くの先生と

次のもうお一人の先生がどちらも

音大受験の生徒さんをたくさん教えるかただったという

ことがありました。

教室でのレッスンはほぼ週一(5週目のみ教室お休み)、

家での練習休みは週に一日でギリギリなんとか?~2日休むと先生との

レッスンでボロボロ、3日休みは論外=ろくに弾けない=レッスンにならない

(できれば前週のレッスン時に先生に状況伝えて課題を減らすお願い必要)

で、一日休んでも自分が大いに困る、ピアノの前に座りつついたたまれない

なんとも言えない気分を体験するので

いやでも…いやじゃなかったけど…次のお稽古で

先生の前で弾けるようにと毎日練習していました。

 

そして、そんなこんなでピアノの音は私の日常に

好きかそうじゃないかという”好み”の範囲をこえて

”ある”のが普通になったのでした。

 

ここ1年ほどは自分で弾くことが稀になっていましたが

家で聞くぶんにはピアノソロもしくはピアノ協奏曲・室内楽など

ピアノの入った曲をCDやパソコン、時にはテレビでその時の気分に

合うものを毎日のようにかけています。

家で聞く音楽のうち9割ほどはピアノ関係、あとの時間は

他の楽器か声楽・合唱、またはクラシック以外のジャンルの音楽を

聴くこともあります。

 

引っ越し前は週に何日かは

自分の手遊びで弾いていたのですが

ここ一年と少し、引っ越し後は何かと取り込んで

自分で弾くことが途絶えていましたが

そろそろ弾いてみようかな…と…あるいは朗読に

音をつけられるといいな、など思ったりもします。

 

よもやま話は三つほど

 

1)暗譜が早い&楽譜を見ない子でした

子ども時分のピアノお稽古の記憶では、初めて習う曲を弾くときは

楽譜を譜読みしながら片手ずつ練習して、両手合わせてミスなく

弾けるようになったら、暗譜で弾いてその曲はお仕舞、そして次の

曲を弾くという手順で、これはピアノお稽古では普通なほうと思います。

そして、両手で通してほぼ間違えずに弾けるようになると

暗譜(楽譜を見ないで弾くこと)するのですが

 

先生に「次は暗譜で」と言われるまでは

楽譜を見ながら演奏記号や表現の言葉の指示(標語)などしっかり見て

弾くほうが良い、とは子供でもわかっていた…のですが

どうした加減か私はいつも、暗譜してからでないとその一曲を

弾けないのでした。いちおう譜面台に乗せてはいても弾き始めたら

ほとんど見ない‥見られない、当然先生には「楽譜ちゃんと見てね」と言われるのですが

それができませんでした。弾く前後では、ミスしたところや

「ここ気を付けて」と先生が印される時には楽譜を見ておりました。

こどもの曲のことで、音符的にはほぼ正確だったと記憶するのですが、

強弱や細かな指示を全部覚えないで弾いていたと思います。

 

最初の先生が「表現」のご指導あまり熱心ではなかったので

多少甘く見逃してくださったていたかと思います。このかたは

ノーミスで仕上げ、という点ではたいへん厳しい先生でした。

この先生がお引越しされて、私にとって二番目の先生のピアノ塾に

通ったときには表現面少し改善してくださったと思います。

いずれにしても、あんまり上手な生徒ではありませんでした。

 

中学~高校でもまだ暗譜しないと弾けない=初見で弾けない

ほうでしたが、大人になってから、少しピアノ触る機会あったり

一時参加していた合唱の練習などの時に、初見でもある程度は大丈夫に

なったなとわかることがありました。

 

塾講師になり始めのころで こども英語講師としての受けた研修で

子どもが英語を学習して吸収するときに

インプットの優先順位が何タイプかあるという内容があったのですが

その時の先輩講師の言葉をお借りすると

「耳の子(音声優先)」「目の子(文字読む優先)」「手の子(書く学習有効)」

「体の子(体全体使うと効果的)」など大まかに4タイプほどあり

従って最適な学習方法はタイプによって違うということで

(実際のこども英語ではたいてい、学習ツールは

ほぼ全タイプのカバーするよう工夫して組み合わせされてます^^♪)

 

それでいくと私は、子供の時のピアノ学習では”耳の子”寄りだったのかも

知れないなとも思います。たしか小学生の夏休みのときのことだったか、

年上のいとこの家に遊びに行って数日お泊りするうち

いとこのお姉さんが練習で弾いていたソナチネの曲で好きなのを

耳で覚えて弾くことができた、ということもありました。

今の言葉で耳コピいうとか。。

これはもしかすると今はできないかもしれません。

子どもの頃には不思議とできた、という経験は

皆様もおありではないでしょうか?

 

 

2)一回だけ先生とのお稽古中に泣きました

最初の先生は厳格なタイプの女性でちょっとぐらいミスしても・・

とか、ものぐらいまででいいわと設定される課題を

生徒がクリアする点で妥協のない方でした。

ただ、きつすぎる言葉、ましてや体罰などは

全くありませんでした。(たまに物差しでたたく先生がいるなど

ききました…今はいないと思いますが)

後にも先にも一回だけ、もう小3ぐらいだったか

この時はどうしても思うように弾けなくて

自分で悔しくて、”泣きたくない”と我慢しているのに

涙がこぼれてきたことがありました。

そのまま”どうしよう?”と思いつつ弾き続け、

先生はおそらくお気づきだったはずですが

曲が終わっても何もおっしゃらず、お稽古終了~

帰る時も何もおっしゃいませんでした。

ちょっと泣きながら弾いていたことが

なかったことになって…たぶん恥ずかしかったので

私はとてもほっとしたのでした。

その時は子どもなりに結構がんばったてたのか

弾いていた最中の鮮明な記憶があります。

なんの曲だったは忘れました。不思議と

その時のピアノとテキストの色はよく覚えています。

 

3)魔法を時々使われた息子のピアノの先生のこと

息子も幼稚園から小6までピアノと、併設されていた

音符カードとともに音感・リズムに親しむ楽しい音楽教育の

音符ビッツのクラスに通っていました。

中学受験で止めてしまったのは惜しいことでした。

ピアノはスズキメソードでのご指導でした。

 

ピアノと音符ビッツの先生は数人おいでで

皆様優しくて明るいしっかりした先生方でした。

”魔法”を使われたのはピアノ教室のある音楽院の代表の先生で、

ご経験豊富で温厚で、当時は動きすぎる男の子だった

息子も暖かなご指導をいただいたのでした。

 

上にも書いたのですが、新しい曲の練習をするときには

譜読みしながら右手~左手と片手づつ練習して

両手を合わせる、で小さいときは一回で曲の最後まで

できなくても、その週にできたところまで、で次のお稽古

伺ってよいのでした。

 

片手練習の時,  息子(Tくんとします)が弾かない方の片手を私が弾いて…

Tくん右手&私左手、Tくん左手、私右手^^♪、

合わせて小さな合奏したのは今では楽しい思い出です。

 

魔法というのは…新しい曲を先生の前で弾いた時にあったことです。

新しい曲をはじめて先生のところで弾くときは、

まだ幼い幼稚園児のころは家で練習したところまでで弾きやめて

「ここまでできました」と”自己申告”していましたが

 

ある時のこと、私は後ろで先生とのお稽古見ていたのですが

新しい曲練習で そろそろこのへんで止まるかな

いう箇所の直前に

先生が「はい次♪」 と柔らかく仰ると息子は

まだ一回も譜読みも片手練習もしてなくて

全くはじめて弾くところになっても

両手で練習してきたと同じように続けて弾くのでした。

 

声にはだしませんでしたが、後ろでとても驚いた@@ 同じようなことは

その後も何度かあり、こども用の練習曲ではありましたが数小節は

ある時は見開き一ページ分(小さいテキストでした…B5横長サイズぐらい)

幼い手で譜読みも片手練習もしてない全くはじめての小節を

両手で弾けたことがありました。

 

先生にとっては珍しい出来事ではなくて

ほぼ、どの生徒さんとも起きたことらしく

「みなさん魔法と仰るのよ・・」と微笑んでおられました

その魔法を目の前でみてびっくりのお母さんたちの間では

度々話題になったのでした。子供たちは何が起きてたか

ほとんど気づかないようでした。

 

この魔法の種のひとつは、スズキメソードのご方針で

練習で弾く前にまずはその曲の美しい演奏をたくさん聴くと

いうところにあったと思われます。

今は音楽・語学でもCD付の教本・テキスト類は多く

ありますが当時はあまり見かけなかった

教本の全曲CDがついていて、練習前に何度もBGMのようにして

家で聴いていたので、子どもの耳から

曲の音楽が教本(スズキメソードの)を見る前に

記憶に入っていたのでしょう。

 

ただ、まだ本当に指も幼く、一人で譜読みもできない子を

一度も練習していない箇所まで 続けて上手に弾くようにと

誘うことができる先生は多くはいらっしゃらないと思います。

 

そういえば、こんなこともあったのですが…

いつもは息子&母ペアでこちらのレッスンに通っていましたが

ある時どんなタイミングだったか忘れたけれど

夫も一緒にいて、レッスンから帰宅後私に言うには

「先生がレッスン中に Tの演奏を止めても

(”ここはこう弾いて”や”よく楽譜見てね”という風に)

音楽はそのまま流れている」

そして私と一緒の練習の時に

(ちょこっと私も弾けるので子供の練習みてました)

”ここ違うよ”とか”もう一度弾いて”など

私がとめるときは

「音楽の流れがぶっつり途切れている」

と言われて大いに反省したのでした。

 

この先生のしてくださったピアノレッスンは大きく暖かく

「指導」「教育」と一言では表せない何か、

音楽性の豊かさと愛があふれている…

…レッスン時々魔法おきる、は

一朝一夕に真似できることではなくで、あるいは

時間をかけたからといってできることでもなく

ご指導の技術や知識のことだけでもない、

当時の私に必要で足りていない色々な素養を

見つめる機会もたくさんいただきました。

 

今でも、子供と一緒に過ごせた音楽の時間に感謝そして

現在はネット&SNSのおかげで、長年開発・普及してこられた

音楽・全人教育の発展を拝見することができます。私には道は遥かですが

子どもを豊かに育む教育者の理想のおひとりでいらっしゃいます。

 

 

ピアノを人前で弾くことは絶えて久しいのですが

今…特に今年はピアノのあるホール、サロン

教室がある場所ご縁がとても多いです。

ご縁のきっかけが

音楽とは全く関係のない場所だったというのも

何となく不思議ですが

 

嬉しい音楽・音とできれば声の輪が繋がって広がって

いくことはいつも願っています。

 

素敵なご案内が具体的にできるとき

またblogでも書かせていただきますね♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


立春もうじき よもやま話

2022-01-27 | よもやまblog

ライトフロウズノウト 今日の1ページにようこそ♪

寒い日が続きます…

季節は”大寒”の最中

それでも12月の冬至から日が経つにつれて

日差しは少しずつ明るくなってきて

 

ふと暦を見れば来週には節分二月三日、そして立春~

梅の花の便りも日ごとに増えて

SNSで綺麗な画像も見られます。

豊中にいたころ、最寄りの駅までの道沿いに

蝋梅のあるお庭が何か所かあり

ほんのり甘い匂いと暖かい色を楽しんでいたのですが

今の家の周りではまだ蝋梅は見つけられていません。

どこかにないかな…見つけたいなと思いつつ。

家の庭の小さな梅さんには

まだ固いけれど丸い可愛い蕾がたくさんついています^^

まだ子どもの木で一年前に7~80cmの苗で植えて

ここ一年で倍ほどの高さに成長しました♬

桜のほうがちょっと心配…桜も昨年小さな苗木で二本植えたのですが

一本は吉野桜、もう一本が紅枝垂れ桜、この

枝垂れ桜のほうを秋ごろ動かしてしまったので

大丈夫かなと見ていますけれど

真冬ではあまり変化なくもう少ししないと元気かどうか

わからない様子です。吉野桜の方は厳寒の気温のなかでも

新しく伸びた枝と小さなとんがり、まだ花芽ではないと思いますが

これもたくさんできています。

 

こうして春の微かな兆しがあるようでも

しばらくは真冬の気温、コロナの用心もあるしで

仕事と大事な用事以外はなるべく出かけず

部屋にいることが多かったりで

ブログのほうでは書きかけていたよもやま話を

幾つかご紹介と思いました。

 

☆ あの時はありがとう

 

家にいると増えてしまうことの一つが

ネットを見る時間、なのですが

 

英語講師でクラス中に使うとか自分の学習に役立つ

記事を拾ったり言葉を調べたり、

最近は動画でもためになる内容多いので

実際お仕事関連でネットを見る必要があるのですが、

 

それ以外でも心惹かれるタイトルの記事を見かけると

そちらもつい見てしまいます。

普段聴く好みの音楽関係は定番として、他で好きなのは

猫さん、あるいは時々犬さんの動画で、家にも猫いるけれど

やっぱり可愛い~のは見てしまう。

のですがひとつでは済まないのが悩みの種^^;

だったりします。

こんなのとか…もちまる日記 那須の長楽寺

などちょっとほっこりするもので。

あるいはお料理のお役立ちレシピも色々、

結構助かります。

 

そのほか、動画ではないけれど つい読んでしまうのは

日常の中の珍しい出来事や心に残る話題の記事、

文だけのやショート漫画付きのもの、色々ありますが

 

その中のひとつで

「あの時はありがとう…誰かに言いたい御礼」

というのを何度か読んで、そういえば私にも

そんな体験があったなと思い返してみたりもしました。

 

もちろん至らぬ私のこと、これまで本当にたくさんのかたがたに

お世話になり助けられてきていて(感謝∞)

具体的にお話もできるのですが

 

このサイトでは「見知らぬ、通りすがりの誰かのふとした

行為や行いで助かり嬉しかった出来事」のお話を集めて

おられます。そこで、

こうしたサイトに投稿まではしないのですが

読む度いつも思い出す出来事を2つほど

書いてみます‥小さなことですが^^

 

1つは、本町で会社勤めをしていて

用事で近くに自転車で出かけた時のこと。

当時貿易事務の仕事で銀行や船会社、乙仲(通関業者)等との書類手続きで

直接の受け渡しがあり、その日も自転車でどれかに行ってたと思うのですが

場所は忘れもしない船場センタービル10号館の交差点の横断歩道で

自転車のチェーンが絡まって動かなくなってしまい

直せるかしらと困ったことがありました。自分で触ってみてましたが

どこをどうすれば良いのかわからず ???どうしよう?と思っていた

その時にどなたか男性がすっと手を出して

あっという間に直してくださって、さっとすぐに立ち去ってしまわれました。

御礼をいう暇もなかったのでした。

チェーンの絡まりをほどいて直した速さもびっくりでしたが

私が顔をあげて、そのひとを見ようとしたら

一瞬のことなのに近くに誰もいない、というのが

狐につままれたような体験でした。

「え?誰だった?なぜいないの?」という感じで。

 

今こうして書いていて気づいたのですが、そのかたは

あえて私の視界から外れるように歩いていったのかも知れません。

時代劇で時おり見かけたシーンで、主人公がか弱き誰かの危ないところを助けて

立ち去ろうとし、「ありがとうございます、せめてお名前を」と問われ

「名乗るほどのものではござんせん」と格好よく去っていくシーンに

似ている気もしますが 御礼の言葉どころがお辞儀ひとつもできなかった私、

かがんでいた姿勢から起き上がる間に”消えてしまった恩人”が印象的で

今でも「いない?」と思った時の視界の記憶があります。

 

もう一つは、

路面電車の車中で助けてくれたかたがたのこと、

息子が一歳前後、まだ赤ちゃんの頃だったのですが

身内が少し大きめの手術をしてその後しばらく入院で

天王寺の病院に何度かお見舞いに通っていたときのことでした。

この当時の住まいは阪堺線という路面電車の駅も近くて

(大阪では通称チンチン電車、レトロですけど今も現役)

それに乗っていきました。

その病院にもまあまあ通いなれたある日

平日の午後で車内それほど混んでいないけれど満席で

息子を抱っこして立っていたのですが、長時間でもなく

自分では特に困っていると感じておらず

息子も機嫌よく外を眺めておりました。

それが、終点天王寺駅に着いて

さあ降りようかなというタイミングで

三人のかたが(おじさん二人、おばさん一人だったと思う)

私に向かってダッシュしてきたので何?何事?と思ったのですが

荷物とベビーカーを有無を言わさず代わりに持って

降りるまでサポートしてくれたのでした。

(降り口に階段三段ほど&料金払う)

この時もお礼言う間もなくお三方散開されました。

三名お連れ様ではなかったのに同じタイミングで私に

駆け寄り、またそれぞれ去っていかれました。

助かりましたが(・・?何でそうなったか

思い返してみると…

私はそんなにしんどそうな顔してなかったと思うのですが

息子抱っことともに持っていた荷物が大変そうに見えたのでしょうか。

”ベビーとお出かけ”の定番の荷物、おむつやお手入れ一式・ミルクなどは

いわゆるマザーバッグに入れて持っていて

ベビーカーは折り畳めるタイプのでしたが、置くと不安定なので腕に

かけていたかもしれません。総じて危なっかしく見えて

心配してくださったのでしょうと思います。

もしかしたら席を譲った方が良いか見ていてくださっていた

かもしれません。

この時印象に残ったのは三人のかたが別方向から同時に

一斉に来られたこと、降車までの速やかなサポート、

と背景にあったと思われる大阪人情でした。自分自身には、

…あまり頼りない、心配かける様子はいかんな気をつけよう

と思ったことでした。この時の車内の景色も今でも覚えています。

 

短時間だったから却って記憶に残ることがあります…

インパクトが強い&深いとそうなるのですね。

 

他愛のない二つのお話でした。

「あの時はありがとう」

ネットの記事で知らない人のことでも、良いお話で

心が暖まると寒い時季少しほっとします。

 

☆生駒の家と豊中の家 偶然の共通点

住む土地が違えば色々前の暮らしと違うことも

出てきます… 豊中では郵便局とコンビニが

一番近いので徒歩五分以内、駅までの道には複数あったのですが

今はそれらの件数が少なくて、徒歩と自転車どちらにしようかなという

距離で(坂もあるし)その距離感に最近慣れてはきました。

あと、夜が静か…前もそんなに夜間うるさいことは

なかったですが、明らかに豊中の時より近隣の家々の消灯時間が早い、

そして朝はその分早起きな感じがします。早寝早起き

健康的でよいですがゴミ出しの時間がどの種類も

「7時までに」で豊中より1時間早かったので

何度か慌てました→これも大丈夫、慣れました。

生駒おろしが吹いて寒い…これはたぶんそうと思っていました。

水と空気が綺麗 星が良く見える などは住んで初めて

実感した嬉しいことでした。

 

前の家と共通しているのは

東の方角に向いて遮るものがなく開けていること…

午前~昼までの日当たりはとても良いです。そのうえ

南側も今回は開けています。坂の途中にある立地のおかげ

ということもあります。

豊中の時も、たまたまうちの前の道を挟んだお向かいさんが

家&畑~駐車場の並びで隣近所より東側に遮るものがなくて

日当たりが良かったです。(ほかの家は向かいのおうちの影に

なる時間帯があった)

 

あと、豊中の時と共通するのが

飛行機の航路の下の位置に家があること、

豊中は比較的伊丹空港が近く、

最寄りの駅からは上昇あるいは下降途中の

飛行機がよく見えていたし、家にいても時おり

かすかに遠い音でゴー・・・というジェット音が聞こえました。

夜でも皆がそろそろ寝静まったころに飛行機の音も毎日のように

聞こえていたのですが、この夜のは多分旅客機の発着終わった後に

貨物機が飛ぶ音ではないかなと思います。

 

今の家の上空も飛行機の通り道で、晴れた日には何度も

姿を見ることができます。日によって高度が違うので

見える大きさも同じではないですが、たいてい色、形もわかるので

目が良くて物知りのひとなら どこの飛行機か、

名前もわかると思います。

空を飛ぶ鳥たちを見るのも好きですが

飛行機が…それが国内線のであっても、それが

高い空を悠々と飛んでどこか遠くまでいく、その姿を見ていると

何か良いことがありそうな気がします。(単純な私)

そして生駒でも、夜遅くに飛行音が微かに聞こえる

時があります。この音が聞こえると、一時よく聞いていた

ラジオ番組 JET STREAM(今はTOKYO FM)の

オープニング/エンディングの音楽”ミスターロンリー”と

語りを思い出して夜間飛行する飛行機の姿を連想します…

ふと心が静まる好もしいひとときです。

またJET STREAM 聴いてみようかなと思ったりします。

↑リンクを貼りましたがオフィシャルサイトのカバー写真がとても綺麗、

イージーリスニングの老舗番組、opening&endingの ナレーションは

初代の城達也さんから数えて今のCREW 福山雅治さんは6代目とのことです。

 

そういえば、池田の結婚前まで住んでいた家も

同じように飛行機の機影が見えて飛行音が聞こえる、

そんな位置にありました。もしかすると

風来坊(範囲は狭いですが)の気質の芽は飛行機の音を遠くに聞く

この環境で育ってきたようにも感じます。

 

・・・もう少しお話書けるように思っていたのですが

このページ長くなってきたのでこのあたりで、

あとはまた次に書きたいと思います。

他愛のないお話の四方山blogが時おりまざりますが

もしお時間あればお付き合いくださると嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


季節が一巡:もうすぐ生駒で二年目♪ ちょっとしたこと色々☆彡

2021-10-30 | よもやまblog

ライトフロウズノウト今日の1ページにようこそ♪

 

 

☆ 小学校のチャイムと放送が聞こえる

今の家は、とある小学校に近くて学校のチャイムや放送が聴こえます。

これぐらいの近さはこれで三回目で、学校関連で昨今様々な問題のニュースが

聞こえることを思えば幸運だったと思いますが、私は

わりと学校が好きなほうだったので

チャイムの音を聞くたびほんのり懐かしい暖かな気分になります。

あと、定時の音楽でキーボードのような音でシンプルに

メロディーの一部が流れてくるのですが、その選曲が

子供さんの成長の場に流れる音楽にふさわしくて

センスが良いなと感じる曲だったいします。

だれでも知っている名曲で自然に歌詞も浮かびます。

 

たとえば「エーデルワイス」

  ♪毎朝私に挨拶する雪のように輝く小さな花よ、

   育ち花咲き 祖国に幸を… 歌詞は要約 by ワタナベユイカ

そして「ホールニューワールド」アラジンと魔法のランプ主題歌

  新しい世界 幾千万もの素晴らしい光景 煌めく星の海を

   流れ星のように一緒に行こう…歌詞は同上 

など子どもたちの将来への希望、成長を見守っておられる

先生方・大人たちの暖かな眼差しが伝わってくる気がします。  

エーデルワイス

ホール・ニュー・ワールド

↑ 歌の動画はそれぞれyoutubeのリンク、

映画の場面 歌詞付きです…もしよければ。

 

上のリンクのエーデルワイス歌の場面の動画は

トラップ一家最後の舞台での歌"So Long"に続きます。名シーン、

トラップ一家が順に舞台からはけて裏で大急ぎでドイツナチス軍から逃げて

母国オーストリアから中立国スイスに亡命へ、マリアのいた修道院の修道女さんたちの

影のサポートもあるけれどまだ一波乱、と動画から思いだして書いていたら

「サウンド オブ ミュージック」実話が元の映画とのこと@@!

久しぶりに見たくなりました。

 

そういえば太鼓の音も九月~十月早朝聞こえていてどこから?と

思っていたらやはり小学校から、先日の運動会の練習だったと

判明しました。ソーラン節ともうひとつ何か、太鼓も元気が出て良いですね。

 

ここではなくて北摂のほうで聞いた話ですが、小学校の

運動会 まず二学年ずつ実施、もう一度オンライン用に実施で

計二回ずつになり先生も生徒さんも忙しそう、ということも

あったそうです。

運動会だけではなく学校行事全体、今年度どこでも色々工夫して

実施されてるおり現場のご苦労もしのばれますが

子供さんたちはやっぱり行事でがんばるし楽しそう、なので

これから~来年に向けて通常のかたちに戻りますようにと陰ながら願います。

・・・まだコロナ冬に向けて用心、海外ニュースのチェックも

必要ですけれど。

 

☆ 空が青で、そこに水と光があるならば

春~夏初め晴れの日によく見かけた日暈(にちうん・ひがさ/ハロ)は

このところ見られなくなりました。

 

そのかわり 時おり雲に綺麗な色がついているのを

見つけることがあります。

 

もともと、珍しい現象ではなくても

毎日 色も形も変わる空と雲を見るのがとても好きなので

空色背景に普通の白やグレーの雲なども

喜んで見ているのですが

 

やはり綺麗な色がついていると嬉しい気持ち、

人の目が虹の七色を見分けられる色彩の感知力があって

よかったと良く思います。

(他の動物が見える色数はもっと少ないらしい…だから

ドッグやキャットフードの人工着色料は要らないと思う)

 

英語の講座で私が使っているテキストのひとつ、

CNN English Express 月一発行 には毎回 

Wonders Around The World~世界の絶景のページがあって

 

世界中の、素晴らしいスケールの風景写真と英文説明が載ってるのです

それらは自然の気候だけで時間をかけて作られた

驚くべき造形と色彩、それこそ 初めて見るものには

写真でさえ unbelievable sight♪←ホールニューワールドの歌詞、

地球という星が持つ本当の美しさがよく伝わってきます。

 

それを見る感動や楽しみがあるのは

人の目が太陽の光の持つ色を赤から紫までの波長で

見ることができるおかげ、

虹の七色‥は、国・民族によって

色数色味は差異があるそうですがとりあえず

虹を七色として 紫 青 緑 黄 橙 赤、その

可視光(リンク先はWikipedia)の範囲は

一般に、波長域380nm~780nm(ナノメーター) とのこと、

この両外の波長は不可視、見えないけれど赤外線・紫外線

と呼ばれて暮らしの身近なところにある…

可視の色たち、そして色と色の間の無限の諧調を私たちが

感じる力が在りできている視覚の世界でありますね。

これは庭の水やりでできる小さな虹、身近なところにも楽しみいっぱい

そろそろ周りが冬色の景色に移っていく時季になりました。

 

☆ スマートホンを変えたら写真が…

FBとInstagramの記事でちょっと書いたのですが

スマートホン機種変更しました。そしたら

写真の感じが結構変わってクリアになった気がします。

 

前の機種の画素数があまり高くなくて ちょっとぼんやりめなのは

分かってたのですが、いまは画像編集アプリがあるので

SNS投稿の分はなるべく見づらくないようには

私なりにできてたかと思うのですが

 

今度の機種のスマホカメラはずいぶん色が鮮やかに写るようで

調整前に既に鮮やかに見えます。そのためか拡大&明るさの

一番良く使う撮影のための機能が直ぐに出てこず、

また無音のほうが気楽に使えるのでその無音アプリのほう

がよく使います。

いずれにしても、私の場合アゼリア英語講座のいき帰りなどで

スマホカメラ撮る時は夕方~夜間になり

撮ったままでは全体暗くて何かわからないのも多いので

 

画像の明るさや色コントラストなど触ってよりクリアにする工夫は

どうしても必要になるのですが

 

幾つか編集してわかったことは

端の要らないところを切って、その結果

残った部分を引き延ばす作業などすると、その後

にじんだ水彩のようになる時があること

 

それはそれで面白いと思うので

そのまま使ったりもします。

全く加工しないのが基本、良い映像ということは

撮影に自信のあるスマホカメラなんやなと妙な感想を

持ったりもしました。

 

しかし同じ景色も通すレンズがこう違うと

ずいぶん受け取っている印象が変わるものだけど、これは

カメラの機種のことだけではなくて

人の視覚もそういうところがあるだろうなと。

 

目から脳に投影される姿も、人が各々の眼、

その奥にある心や持っている知識の背景で

少し‥場合によっては大きく違うことがありそうですね。

なので人、特に子供たちと会う時、先入観などで目が曇らないようにと

日々の暮らしで心や知識、目の精進するのは

子供さんに相対するお仕事に携わる一人としての

務めと秘かに思った次第でした。

 

ちなみに人の目の感じる色彩には個人差(性別年齢etc)世界の中での

地域差などあり、同じ色でも見え方や受け取る印象が物理的に

身体的にも微妙に違うことがあるそうですよ。

 

このあたりは色彩の専門的なデータや資料もあるのですが

お話長くなるのでこの辺で置いておきますね。